弦エニシ&me その1 その9へ その10へ その11へ その12へ その21 その23へ
                           その25へ その26へ  その27へ その28へ その29へ その30へ
2013年 12月の晴れた日の夕方。時間外のお客様が、お越しになるので、
午後4時30分に、私は仕事場(ミミ月丘鑑定室)に出勤した。
ドアを開けたとたん、あの香りが、漂っていた。
ゴーストという香水と、先生が持っていた独特の匂いだ・・・
「あら、先生、いらっしゃってたのね。」思わず、私は、声にだして、しまった。
先生というのは、出会った時から数えると、27年間、お世話になり、
タロットカードを、私に、伝授してくれた、タロット界の重鎮
弦エニシです。
2011年8月5日に、逝ってしまいました。
「先生、もう、書いてもいいですか?先生との思い出、記憶が、
薄れていく前に・・・」夕陽がさしこみ、ゆらゆらと、
揺れる何かに向かって、私は、言ってみた。
「私もね、そう思うわ。私、皆に、忘れられたくないもん、書いて、
ミミちゃん。」
夕暮れが返事を、運んでくれた。

私が、16歳。私立高校1年の時の夏休みに、ある占い専門雑誌で、
原宿・渋谷の占いハウスの
特集をやっていた。わんさか、いろんなお店が、掲載されていた。
しかし、たった一つのお店にしか、私は、惹かれなかった。
原宿フォーチュン カフェ スター
原宿の街の、真ん中の、八角館ビルの2階に、その店は、あった。

もともと、私は、9歳から、タロットを、独学だけど、知っていた。
最初は、妹が、タロット教本を、買ってきて、何やら、トランプみたいに、
遊んでいました。それを、私が、「貸して」といいつつ、横取りしてしまったのが、事実。
本当の、タロット占い師に、その後なるなんて・・・

そして、スターに、入り、「指名無し」で、申し込んだ。
カフェなので、カウンターで、お茶のサービスがあるシステムだ。
高校生らしく、アイスティーを、頼んだ、記憶がある。
ジプシー真理亜さんという、外人みたいな、御顔の素敵な占い師さんが、
私を、占ってくれました。私、真面目にね「進学」について、質問したの。
「恋愛じゃないんだ。」っと、言われたのが、おもしろかったな。
私、高校生の時、恋愛のれの字もなかったですから・・・

そして、夕方、スターを、出るときに、派手な格好で独特の化粧をしている、女性と、
すれ違った。「うわっ、今の人、日本一派手な、女の人だ!」と、驚いてしまった。
雑誌を良くみたら、その派手な女性が、スターの主宰 弦エニシ だった事を知った。

    後の後、この女性の遺品を、この女子高生・16歳 (左写真)が、受け取るなんて、誰も知らなかった。

    ミミ月丘 HP トップへ  その49へ
                         続く
       その2   その8  その5  その6 その14  その21 その22へ その34へ