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  命日  7回忌

 命日に、師匠の、供養と思い、今回の編を、書くことにしました。
7回忌というのは、一つの、区切りのような、気がします。 今日は、百合の花を飾って、語りたいと思います。

 昨日も、でしたが、以前、20年前とかに、弦先生に占ってもらってという方を、今の私が、鑑定したりしています。
「引継ぎ」ですよね。 本当に、有り難い事に、弦先生・独特の解釈の、タロットカードの味が、忘れられない方々が、
いらっしゃいます。そういう方々が、私を、探しだしてくれて、鑑定を、申し込んでくださるのです。
タロットカードの解釈も、そうかもしれないですが、シャカシャカと、「次は!」と、進めるテンポが、良かったのですかねー。

  スターは、大体の占い師の方は、制限時間が、有りました。 弦先生と、私は、30分でした。
 他の方も、それ位だと思いました。
 だけど、時々、2時間も、話していたとか、聞いた時が、ありました。
 「は~、引っ張り過ぎじゃん。」って、私は、安易に、考えてしまいました。
 たった、30分で、答えをださなくては、いけないので、お客様が、書いて戴いた鑑定用紙を、
 受け取ってから、瞬時に、
 鑑定内容と、時間を、組み立てていくのです。それは、凄く、訓練されたと、今、実感しています。 

 弦先生の鑑定を、垣間見る時が、度々ありました。その時々に、鑑定時間の流れや、テンポ、タロットカードの解釈、笑うタイミング等、
学びました。 いざ自分となると、時間オーバーしたり、あまり、満足のいかない30分だったり、しました。
私は、スターでは、足手まといの人だったと思います。 でもね、自分で言うのもナンですが、人気は、あったんですよ。

 今現在は、ミミ月丘鑑定室で、対面セッションと、電話の鑑定と、時々の出張鑑定で、活動しています。
いつも、いつも、スターに出勤していた時の、気持ちで、応対しています。
そうじゃなければ、弦エニシ師匠が、私に、何を教えて戴いたんだという、申しわけなく、だけど、有り難い気持ちになるからです。
独立したら、オリジナルを・・・と、思いますが、私は、出来ません。弦先生が、いらっしゃったから、今の、私が、いるからです。

 出会った時、高校生だった私が、時を経て、7年前、弦エニシ・本名 ○○KYOKOの、マンションを、片す事になった縁です。
昨日も、思いました。私の鑑定室、待合室、服・・・片して、引き取った遺品が、たくさん生きているなーって。
これって、「私の部屋は、ミミちゃんに、お願いしたいのよ。」っていう、あの世からの、先生からの、最期の、教えだったのでしょう。
一人の偉大なる女性の部屋を、終う、並大抵の作業では、無かったです。泣きたいけど、泣いていられないし、泣けないし、
ヤマズミで、思い出のモノが、たくさん積まれていて、それに、私の、27年間の、感情も、渦巻くし、大変な、御片付けでした。

 今、こうして、7年が経ち、私の、鑑定生活も、定番化してきました。
時々、思うんです。茨城で、ヌクヌクと、自分一人で、仕事していていいのかなって。 競い合うって事を、していないのが、
たまに、「それじゃ、いけないでしょう。」って、思うんです。
東京に、定期的な、鑑定場所を、持ちたいなーって、思うんです。 ・・・ううん、思うだけに、しておきます。 
ここ、ミミ月丘鑑定室で、弦エニシ先生の遺品に、囲まれながら、教えて戴いたタロットカードの解釈とともに、鑑定しています。

 今日、2018年8月5日、弦エニシ 師匠を、思う朝でした。

                                   「命日に、師匠を感じ、立ち眩み」 

 

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