K’sストーリー第ニ章 ボクを呼んでよ(3)
 そして、翌日。俺は昨日の片瀬さんとの約束通り、木本公園に来た。連休中ということ
もあり、俺たちが住んでいる街の中で一番大きい公園のここは人であふれていた。
「まだ片瀬さんは来てないみたいだな…。それにしても、なんだか曇ってきたな…。天気
予報だと、もしかしたら雨になるかもって言ってたし…」
 俺は空を見上げてそうつぶやいた。とその時、遠くに片瀬さんの姿が見えた。片瀬さん
も俺に気づき、全速力でこっちに走ってきた。
「はあ、はあ、はあ…。健吾くん、おっはよー!」
 相変わらずの元気な声で片瀬さんが言う。それで俺もこう言った。
「おはようございます、片瀬さん」
 ところが、俺がそう言ったとたんに、片瀬さんの動きが止まってしまった…ように見え
た。でも次の瞬間にはまた元気よく動いていたので、俺は気のせいかなと思った。
「お、おはよう健吾くん。待った?」
「いえ、ちょうど今来たところですから。それよりも片瀬さん…」
 俺はさっきの硬直について片瀬さんに聞いてみようと思ったのだが、やっぱりやめた。
ところが、その時片瀬さんはむっとした表情をしていたのだ。
「か、片瀬さん、その顔…」
「えっ?ボ、ボクの顔がどうかした?」
 片瀬さんは慌てている。
「怒って…ませんでしたか?」
「お、怒ってなんかないよ!もし健吾くんにそう見えても、それは気のせいだよ!それよ
りもさ、公園の中をお散歩しようよ、ねっ?」
「え、ええ、いいですよ。行きましょう」
 それで俺と片瀬さんは公園の散歩をしたんだけど、歩いている間じゅう、さっきの片瀬
さんの顔が気になった。それと、昨日のことも…。もしかして俺は知らず知らずのうちに
片瀬さんを傷つけているのだろうか?そうだとしたらその理由は…。だけど考えてみても
その原因は思い付かなかった。それに、せっかく一緒にいるのに片瀬さんと話もしないで
考えているのも失礼なので、俺はひとまず考えるのをやめて、楽しくしゃべりながら片瀬
さんと歩いた。ただ、その中でも時々片瀬さんの表情がこわばったように見えたのが気に
なったのだが、なんとなくそのことを聞くのがためらわれた。
 散歩の後、俺たちは昼メシを食べた。片瀬さんの作った弁当はいつものようにうまかっ
たけど、今日の俺はそれを素直に味わう気にはなれなかった。やっぱり、俺の心に何かが
引っかかっていたんだ。
「あーあ、おなかいっぱいだあ!」
 片瀬さんが満足そうに言う。が、その時急激に辺りが暗くなった。突如空に広がった雲
が太陽を隠してしまったんだ。
「あれ、健吾くん、何か天気が悪くなってきちゃったね?」
「そうですね…」
 俺がそう言ったか言わないかのうちに、何と急に雨が降ってきたんだ。
「きゃー!雨だ雨だー!健吾くん、どうしよー!」
 片瀬さんがパニックになっている。
「落ち着いてください!とりあえず、荷物持って、屋根のある所に行きましょう!」
 それで俺たちは広げてあった弁当なんかをまとめて雨宿りのできる場所まで走った。だ
けどこの公園にはそんな場所は少ない。ようやく見つけたのはいいけど、それまでに俺も
片瀬さんもびしょ濡れになってしまっていた。
「もー、なんでいきなり降ってくるんだよー!」
 片瀬さんがぶりぶりと怒っている。それで俺も言った。
「今日はもしかしたら降るかもって言ってましたけど…このタイミングで来るとは…」
「えっ、今日そんな予報だったっけ?…そういえばお弁当作りに夢中になってたせいで、
ちゃんと確認してなかった…」
「片瀬さんらしいって言えばらしいですけど…それよりも、はい」
 俺は自分のバッグに入れていたタオルを片瀬さんに差し出した。
「あっ、ありがとう。でも、健吾くんもびしょ濡れじゃない。健吾くんが使いなよ」
「大丈夫ですよ、俺は。使ってください」
「そう?それじゃ借りるね」
 それで片瀬さんはタオルで濡れた髪や服を拭き始めた。俺はその片瀬さんとまだ降って
いる雨を見ながらつぶやく。
「それにしても、すごい雨だなあ…。傘持ってきてよかった。」
 それを聞いた片瀬さんがぱっと笑顔になる。
「えっ、健吾くん、傘持ってきてるの?」
「まあ、ちゃんと天気予報見てきましたら、念のために折りたたみ傘を…。でもどうしよ
う、一本しかないし…」
「それじゃ、一緒に入ろうよ。相合い傘しよう!」
「片瀬さんさえよければ…」
 俺がそう言ったとたん、片瀬さんの表情が一変した。むっとした顔だ。これは俺の気の
せいじゃない。明らかに片瀬さんは怒っている。
「あの…どうしたんですか?」
 俺はこわごわ片瀬さんにたずねた。
「…健吾くん、今何て言ったの?」
「えっ?だから、片瀬さんさえよければ相合い傘で…」
「ボクよくない!健吾くんと一緒に傘なんかに入らない!」
「えっ、でも、最初に言い出したのは片瀬さん…」
「気が変わったの!これ返す!」
 片瀬さんは俺のタオルを、それこそ投げ付けるように返してきた。
「それじゃあ、ボクは雨の中走って帰るから!バイバイ、あ・ず・ま・く・ん!」
 そう言うと片瀬さんはどしゃ降りの中に走り出していってしまった。
「あっ、片瀬さん、ちょっと!」
 俺がそう言った時には、すでに片瀬さんの姿は小さくなってしまっていた。だけど、俺
はその片瀬さんを追いかけることができなかった。片瀬さんがあんな風に怒ってしまった
理由がわからない俺に、彼女を追いかける資格はないと思ったからだった。
「…帰ろう…」
 そして俺は一人で傘をさして雨の中とぼとぼと家路についた。

 俺は自分のアパートに帰った。部屋につくころには、もうすでに雨は上がっていた。玄
関を開け、部屋に入り、ベッドに寝転ぶ。今日あんなことがあったもんだから、ベッドの
上でいろいろと考え始めた。どうして片瀬さんはあんな風に怒ってしまったのだろう。そ
ういえば昨日から片瀬さんはどこかおかしかった。何がどうおかしいのかはよくわからな
かったが、とにかくおかしかった。
「いったい何なんだよ…」
 俺がそんなことをつぶやいた時、急に玄関のドアをノックする音がした。かなり強い。
「どちら様ですか?」
「あっ、健吾いたか!俺だ、仁だ!」
「仁?」
 それで俺はドアを開けた。するとそこにはなんだか嬉しそうな表情をした仁がいた。
「どうしたんだ仁?おまえ、今日も喜久とデートじゃなかったのか?」
「ああそうだよ。けど、もう終わった。もちろん最後は彼女をちゃんと家まで送り届けた
さ。で、おまえに今日あった出来事の報告をしたくてさあ」
「報告ねえ…実を言うと今の俺にはそれ聞いてる余裕ないんだけど…」
「何だよ、何かあったのか?…もしかして、片瀬さんとケンカでもしたとか?」
「まあ、それに近い…。ケンカと言うより、俺の方が一方的に怒られたんだけど…」
「じゃあ、相談に乗ってやるよ。だからとりあえず上がらせろ」
「ああ…」
 それで俺は仁を部屋に上げた。
「悪いんだけどさ、まずは俺の報告からさせてもらえないか?」
 仁が言ってきた。
「ああ、いいぜ。今日の喜久とのデートで何があったんだ?」
「それが聞いてくれよ健吾!今日は二人で映画見に行ったんだけどさ、とりあえずお約束
として、暗い中で彼女の手に触ってみたんだ。そしたら拒まねえんだよ!」
「ふーん、そう…」
「それで映画の後、昼メシ食ったんだけどさあ、せっかくの連続デートなのに二日続けて
ファーストフードってのも味気ないねって俺が言ったんだよ。そしたらなんと!それじゃ
あ三日目の明日はお弁当作ってくるって、喜久さん言ったんだよ!」
「へーえ、俺だって彼女の手料理食ったことないってのになあ」
「さらにさらにだぜ。帰り道で俺、何気なく喜久さんに言ってみたんだよ。これからは俺
のこと、『間くん』じゃなくて名前で呼んでくれないかって。そしたらこれもOK!今度
から俺のこと、『仁くん』って呼んでくれるって!」
 これを聞いた俺ははっとした。それは、この仁の言葉で今日片瀬さんが怒った原因がわ
かったからだった。そんな俺には気づかず、仁は話を続ける。
「まあ、『呼び方変えてもお金かかるわけじゃないし』ってのが喜久さんらしいって言え
ばらしいけど、とにかく、カンペキに俺になびいてきてるよ彼女!こりゃ、明日のデート
で落ちるかもな!」
「そっか…まあ、よかったな仁」
「ああ。俺の報告は以上だ。どうしても親友のおまえに真っ先に言いたくてさあ。さてそ
れじゃあ、おまえの話聞くぜ」
「いや、どうして片瀬さんが怒ったのか考えてもらいたかったんだけど…今のおまえの話
でその理由がわかったから…」
「へ?それってどういうことだ?」
 それで俺は昨日と今日の片瀬さんとのデートのことについて仁に話した。
「なるほどな…。そりゃ、間違いなくおまえの推測通りだな」
「やっぱり…」
「自分が呼び方変えたのに気づいてもらえなくて、その上名字で呼ばれ続けられてたらそ
りゃ怒るよ」
「‥‥‥‥」
 俺は何も言えなかった。昔から、俺はこうだった。女の子に想われていても、そのこと
に気がつかないでその娘を傷つける。そんなことが何回かあった。そして今回も…。
「でもまあ、早めに気がついてよかったじゃん」
 仁が言ってきた。
「今ならまだ、修復可能だと思うぜ。今日じゅうにちゃんと謝れればな」
「そう…だな…」
「じゃあ俺、帰るわ。明日のデートの準備とかしなきゃな」
「…仁、毎度毎度悪いな」
「気にすんな。じゃ、がんばれ」
 そうして仁は帰っていった。また俺は一人になった。これからどうすればいいか…なん
て考えるまでもない。とりあえず俺は片瀬さん…いや、克美さんの携帯に電話をかけるこ
とにした。しかし、留守電につながってしまった。それで俺はとりあえずこんなメッセー
ジを残すことにした。
「あの…東です…いえ、健吾です。また後でかけ直します、克美さん」
 その後俺は、克美さんの家の方に電話をかけてみた。
「はい、片瀬ですが」
 電話に出たのは大人の男の人だった。先日、漫画のアイデアが出なくて電話の向こうで
叫んでいた克美さんのお父さん、片瀬先生だ。
「あっ、片瀬先生ですか?東ですけど…」
「あれ、どうしたんだ東くん?君は確か克美の携帯の番号を知っていたよな?そちらでは
なく家の方に電話をするということは、克美ではなく私に用事かい?」
「いえ、克美さんに用があるんですけど、携帯がつながらなくて…。帰ってますか?」
「携帯がつながらない?そうか…。いや、一応帰っては来ているが…」
 その先生の言葉が引っかかる。
「帰っては来ているけど…何ですか?」
「なんだか風邪をひいてしまったようなんだよ。さっきまで雨が降っていたただろ?その
中を傘もささずに走ってきたみたいで…。それで今は自分の部屋で寝ているんだろうが…
いったいどこに行ってたんだろう?」
「それは…い、いえ、何でもないです…。それじゃあとりあえず、目を覚ましたら俺から
電話があったって伝えておいてください」
「ああ、わかった。ところで東くん、話は変わるんだがね、君、この間私が連載している
雑誌の賞に応募しただろう?少し見せてもらったんだが、まだ荒削りではあるものの、弱
点を克服してこのまま描き続けていけばプロも夢じゃないぞ」
「そうですか…。ありがとうございます…」
 本当なら、俺の憧れの漫画家である片瀬先生にこんなことをいわれたら嬉しくてしょう
がないはずだ。だが、克美さんのことが引っかかってそんな返事しかできなかった。
「どうした?そんな気の抜けた返事で?」
「いえ、ちょっとトラブルを抱えてるもんで…今日はこれで失礼します」
「ああ、それじゃあ」
 そして俺は電話を切った。その後でこんな風につぶやく。
「こりゃあまずいかな、克美さん…」
 もしかして俺たちはこれで終わりか…。そんな考えが俺の頭をよぎった。いや、終わり
にしてたまるか!同時にそんな言葉を心の中で言った。だけど、克美さんと話ができない
以上、これからどうすればいいのか俺にはわからなかった。

 克美さんの家に電話をしてから、俺は何をするでもなく、自分の部屋でただぼーっとし
ていた。あれからもう何時間たったのだろうか。もうすでに辺りが暗くなっていたことだ
けはわかっていたが…。
「もう一度電話してみようかな、克美さんの携帯に…」
 俺がそうつぶやいてテーブルに置いておいた携帯電話に手を伸ばそうとした時、不意に
その電話が鳴った。
「克美さんか!?」
 そう思って画面表示を見てみると−違った。克美さんではなく、香菜ちゃんからの電話
だった。でもとりあえず俺はその電話に出ることにした。
「はい、東です…」
「あっ、東センパイですか?香菜ですけど…。実は今、克美さんを見たんです」
「克美さんを…?どこで?」
「アパートの近くに、小さな公園がありますよね?そこです。ブランコに腰掛けて、何だ
か思い詰めたような顔で…。なんだか話しかけにくい雰囲気だったものですから、とりあ
えずセンパイに連絡をと思って…」
「わかった。ありがとう香菜ちゃん!」
 それで俺は電話を切ると、すぐに部屋を出た。もちろん行き先はその公園だ。大急ぎで
走って行くと、さっきの香菜ちゃんの話通り、克美さんがブランコに座っていた。それを
見た俺は、大きな声で叫んだ。
「克美さーん!!」
 その声に彼女が気がついた。俺は驚いた顔をしている克美さんの所に走った。
「健吾くん…なんで?」
「ここに克美さんがいるって人から聞いて、いても立ってもいられなくなって…。あの…
今日はどうもすみませんでした!いえ、昨日から、どうもすみませんでした!」
 そう俺は克美さんに謝った。その彼女が俺に言う。
「…ボクが怒った理由、わかってくれたんだね?だから今、『克美さん』って、名前で呼
んでくれてるんだよね?」
「はい…。やっぱり、それが原因だったんですね。本当にすみません、鈍感で…」
「もういいよ。気がついてくれたんだし、そうやって謝ってくれてるんだし」
 克美さんがそう言ってくれた。許してもらえてよかったと俺は思った。そしてその次に
俺は、疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「ところで克美さん、こんな所で何してたんです?」
「実は、健吾くんに会いにアパートに行こうと思ったんだけど、踏ん切りがつかなくて…
だからここで気持ちの整理をしてたの」
「そうですか…あっ!」
 ここで俺は、あることに気がついた。
「克美さん、風邪ひいたって先生に聞いたんですけど、大丈夫なんですか?」
「風邪?あれ、嘘…」
 意外な言葉だった。
「嘘?」
「そう、嘘。誰にも会いたくなかったから、そうお父さんに嘘ついたんだ。部屋に閉じこ
もってたんだけど、そのうち本当に寝ちゃってさあ…。起きて携帯電話見たら健吾くんか
らの着信があって、メッセージが残ってて…。だからボク、急いでここに来たんだ。どこ
に行くんだって言う、お父さんの声も無視してね」
 そう言って克美さんが笑ったんだ。そして俺はその克美さんに言う。
「それ…かなりまずいんじゃないですか?」
「そうかもね。だけど、健吾くんに謝ってもらえたし、ちょっとぐらい怒られるのも我慢
できるよ」
 なんだかとても嬉しい言葉だった。だけど、そう嬉しがってもいられない。
「あの、克美さん…」
「何?」
「これから克美さんの家に俺も行って、一緒に怒られましょうか?…いえ、怒られます。
そうしないと、俺の気が済みませんから」
「えっ?」
「もともとの原因は、俺ですし…」
 俺が言うと、克美さんが顔を押さえた。
「克美さん?」
「ごめん、健吾くん…。なんだかすごく嬉しくて、涙が出てきちゃった…」
「そうですか…。それじゃあ、その涙が止まったら行きましょうか」
 それで俺は少し待った。
「…ありがとう健吾くん、もう平気」
「じゃ、行きましょう」
 俺がそう言って克美さんに背中を向けたんだけど、その瞬間、俺の背中が重くなった。
「ちょ、ちょっと、克美さん!」
 何が起きたかは一発でわかった。克美さんが俺の背中に乗っかってきたんだ。
「克美さん、降りてくださいよ…。もう高校3年生なんだからおんぶは…」
「ダーメ!安心したとたんに力が抜けちゃって、もう歩けないんだもーん!健吾くん、家
までおんぶしてってよ!」
 そう言う克美さんは、さっきまで彼女とは違う、いつもの無邪気な克美さんだった。よ
うやくいつもの、俺が好きになった克美さんに戻ってくれたんだ。それを思うと、俺も嬉
しい気持ちになってきた。
「まあ、いいか。それじゃあ行きましょう、克美さん」
「うん、行こ!健吾くん、大好きだよ!」
 そうして克美さんを背負った俺は、雨も上がり星まで出た夜空の下を歩き出した。
「それで、克美さん…」
 俺がそう言ったんだけど、返事がない。耳をすますと、なんだか寝息が聞こえる。
「克美さん、寝ちゃったんですか?」
 やっぱり返事はなかった。それで俺は、彼女を起こさないようにそっと歩いていった。

 俺はゆっくりと歩き、いつもよりも長い時間をかけて克美さんの家まで行った。家の前
までついたその時、それはもうドンピシャのタイミングで、玄関のドアが開いた。そして
中から片瀬先生が出てきた。もちろん先生は俺に話しかけてくる。
「ああっ、東くん!克美が、うちの克美が家を飛び出したきりまだ帰って…ん?」
 かなり慌てていた先生だったが、俺に背負われている克美さんに気づき冷静になった。
「…東くん、これはいったいどういうことなのかな?」
 先生の声は静かな怒りをたたえているように感じられた。
「えーっと、話せば長くなるんですが…」
 確かに先生に怒られる覚悟はしていたが、こういきなりではまだ心の準備ができていな
い。その時、俺の背中で寝ていた克美さんがもぞもぞと動いた。
「ん…うーん…あれ?ボクの家についたの、健吾くん?」
「ええ、ついたんですけど…」
「あっ、お父さん…」
 克美さんが、すぐ近くに片瀬先生がいることに気がついた。
「克美、いったいどういうことなのか説明しなさい!」
 さすがに自分の娘のことが心配だったのだろう、先生の口調はこれまで聞いたことのな
いぐらいに強かった。
「えーっと、それはね…」
 片瀬さんが事の次第を説明した。まず最初に、俺と克美さんが付き合っているというこ
とから始まり、昨日、そして今日に起こったことまで…。先生はそれを黙って聞いていた
が、克美さんの話が終わるとゆっくり口を開いた。
「…なるほど、話はわかった。別に私は二人の交際に反対するつもりはないが、それなら
それで一言言っていきなさい。本当に心配したんだからな」
「ごめんなさい、お父さん…」
「謝って済む問題ではない。とりあえず、東くんから降りなさい」
 先生に言われて、克美さんは俺の背中から降りた。
「目をつぶりなさい、克美」
 その先生の言葉に従う克美さん。もしかして殴ったりするのか?俺は心配した。そして
先生はその通りのことをした。ただし、本当に軽く、克美さんの頭をこつんと叩いただけ
だった。あまりの軽さに、克美さんもびっくりしたようだった。目を開けて先生に聞く。
「こ、こんなのでいいの、お父さん?」
「ああ。ただし次に同じことをしたらもっとひどいからな。それと、東くん」
「は、はい」
「ある意味君も同罪だからな、克美と同じ罰を受けてもらうぞ」
「は、はい」
 それで俺も目をつぶった。数秒後、軽い衝撃が俺の頭に来た。その衝撃からは、娘を思
いやる片瀬先生の気持ちが感じ取れた。本当にいい父親だ。
「さて、今日はもうこれでいいだろう。克美、夕食を作ってくれ」
「う、うん、わかった」
 そして片瀬先生は家の中へ。克美さんはそのまま家には入らず俺に話しかけてきた。
「健吾くん、今日はいろいろありがとう。そうだ、せっかくだから夕飯食べてく?」
「いえ、親子水入らずを邪魔するほど野暮じゃありませんから、帰ります」
「そう…。あっ、それじゃあさ、明日健吾くんのアパートに行ってもいいかな?ご飯作っ
てあげる!」
「えっ?あっ、じゃあ、お願いしちゃいましょうか。待ってます」
「うん。それじゃ楽しみにしててね!」
「おーい克美、まだか?」
 家の中から先生が呼びかける。
「今行くからー!じゃあ健吾くん、また明日ね。おやすみなさい」
「おやすみなさい、克美さん」
 その俺の言葉を聞いた克美さんは、手を振りながら家の中に消えていった。ドアが閉め
られるのを確認した後で、俺は自分のアパートに向かって歩き出した。
「克美さんがご飯作りに俺の家に…楽しみだぜ、いやっほーう!」
 そして思わず歩きながら飛び跳ねてしまう俺だった。

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