K’sストーリー第ニ章 ボクを呼んでよ(4)
 翌日である。朝、俺はまだ寝ていたのだが、電話の着信で起こされた。
「はい、東です…えっ、克美さん!?」
 彼女からの電話で、俺はベッドの中から飛び出した。
「お、おはようございます克美さん。どうしたんですか、こんな朝早く?」
「朝9時ってそんなに早いかな?何してたの?」
「ね、寝てました、今の今まで」
「あれ、そうなんだ。今ね、健吾くんのアパート近くのコンビニにいるの。何か買ってっ
てもらいたい物とかある?」
「えっ、近くのコンビニ?まさか、もう来るつもりですか?」
「そのつもりだけど…ダメ?」
「いや、ご飯作りに来るって言ってたからこんな時間に来るなんて思ってなくて…あっ、
来るのは全然構わないですけど」
「それじゃ行くね。で、何かある?」
「いえ、特には…」
「そう。じゃあ、今から行くから」
「わ、わかりました。それじゃあ」
 それで電話は終わったんだけど、俺は焦った。
「やべえよ、部屋散らかったままだし、何よりまだ着替えてもいない。とりあえず、この
部屋も俺自身も、克美さんを迎えられる状況にしないと…」
 それで俺は、大急ぎで準備をした。そして数分後、玄関のチャイムが鳴った。覗き窓を
見て来たのが克美さんだということを確認して、俺はドアを開けた。
「健吾くん、おっはよー!」
 例によって元気な克美さんの声。寝ぼけた頭がスカッとする。もっとも、声だけでなく
克美さんの顔を見たことで目が覚めたのかもしれないが。
「おはようございます克美さん。まあとりあえず、上がってください」
「それじゃ、お邪魔しまーす」
 克美さんが俺の部屋に入ってきた。よく考えるとこの人をこの部屋に入れるのは初めて
だ。克美さんは、部屋の中をキョロキョロと見回している。
「健吾くんの部屋ってこんななんだあ。思ったよりかは片付いてるけど、何だろう、この
違和感は…」
 その言葉の後、なぜか克美さんは黙ってしまった。何かを考えているようだ。そして次
の瞬間、何かを閃いたような顔をして、アクションを起こした。
「わかった、そこだあっ!」
 その言葉と共に克美さんは押し入れを開けた。その中には、さっきまで室内に散らかっ
ていたいろんな物がぶち込まれていた。
「物がない割りにほこりとか溜まってるから変な感じしたんだ。やっぱり、ボクが来るか
らって大急ぎでこーゆーことしたんでしょう。ボクの目はごまかせないよ」
「お見それしました…すみません克美さん」
「別に謝ることはないよ。男の子の一人暮しだもん、こんな物だよ。それに、今日はご飯
作るだけじゃなくて掃除とかお洗濯もしてあげるつもりで来たんだから」
「えっ…?」
「と、いうわけで…」
 そう言うと克美さんは背負っていたリュックを降ろして中からエプロンを取り出した。
そしてそれを装着する。
「健吾くん家クリーン大作戦、始まり始まり〜!…と、その前に…」
 克美さんはさっきのリュックからアルミホイルに包まれた二つの物体を取り出して俺に
差し出した。
「朝ご飯まだだと思って、おにぎり作ってきたの。お昼はボクが腕に寄りをかけてもっと
ちゃんとした物作るから、朝はこれで我慢してね」
「あ、ありがとうございます。我慢も何も、これだけでも嬉しいですよ俺は。それじゃ、
いただきます」
 そして俺はそのおにぎりを食べたのだが…かなりでかかった。見た目もでかかったのだ
が、かなり圧縮されていたのか実際には見た目以上の量があるように思えた。もちろん味
については文句なしだが、二つを食べ切ると、もう腹がいっぱいだった。お昼までに消化
できるかな…。
「よーし、やるぞー!健吾くんも手伝えー!」
「あっ、はい」
 俺がおにぎりを食べ終えた後、克美さんは気合いを入れて掃除をし始めた。俺としては
ちょっと複雑な気分だ。もちろん、女の子にこういうことをしてもらえるのは嬉しいのだ
が、やっぱり俺も男だから見られたくない物とかはあるし…。克美さんはそんな俺の気持
ちには気づかないようで、てきぱきと片付けをする。はっきり言って、俺、邪魔…?
「すごい手際いいですね、克美さん…」
「まあ、家でいつもやってるからね。お母さんがいないから必要に駆られて、だけど」
 そうだ、この人の家にはお母さんがいなくて、克美さんと先生の二人暮しだったんだ。
もしかして、あまり触れてほしくない話題だったかな?俺はそう思ったが、克美さん自身
は特に気にしていないようだ。先ほどと同じペースで掃除を続けている。
「うわ、洗ってない服がこんなに…。よし、洗濯も同時進行だ!今日はいい天気だから、
すぐに乾くぞー!」
 掃除の途中で、洗濯機が稼動し始めた。克美さんは衣類を分別して洗濯機に入れる。洗
濯している間にも掃除は続く。洗濯が終わるとすぐにベランダに干す。その後、一回では
終わらなかったので二度目の洗濯がスタート。なお、当然のことながら洗濯物の中には俺
の下着もあったが、克美さんは別段気にすることもなく、他の衣類と一緒に洗っていた。
「うん、こんなもんかな。クリーン大作戦、終了〜!」
 克美さんが言った。今の時間は11時30分。克美さんがこの部屋に来て2時間半で掃
除と洗濯が終わってしまったんだ。
「早かったなあ…おまけにすごいきれいだし…」
「ゴミは分別して袋に入れておいたから、ゴミの日に出してね。さ、次はいよいよ今日の
メインイベントだよ。ご飯のスイッチはさっき入れたからいいとして、健吾くん、おかず
は何が食べたい?」
「と言うより、何が作れますか、今の冷蔵庫の中身で…」
「さっき中整理するのに見たけど…賞味期限切れの物とか捨てたらだいぶなくなっちゃっ
たね…。よし、なければ買ってこよう!近くにスーパーあったよね」
「ええ。それじゃ二人で出かけますか」
「うん。行こ行こ」
 そして俺たちは二人でアパートを出た。

 俺と克美さんは近所のスーパーに行ったのだが、その店で一人の女の子に会った。彼女
を見つけた克美さんが言う。
「あーっ、香菜ちゃんだあ。こんにちはー」
「あっ、東センパイと克美さん…こんにちは。…あの、昨日は何があったんですか?」
「ほえ?なんで香菜ちゃんがそのこと知ってるの?」
「実は、昨日克美さんがあそこにいるってのは、香菜ちゃんから聞いたんです」
「そうだったんだ。んーとねー、ボクと健吾くん、ちょっと仲違いしちゃったんだ。だけ
どちゃんと仲直りできたから。それで、仲直りの印に、今日はボクが健吾くんの家でお掃
除してあげたりご飯作ってあげたりするんだ」
「そうなんですか。仲直りできてよかったですね。それにしてもそうやってお二人で買い
物してると、なんだか新婚さんみたいに見えます」
「やっだー、香菜ちゃんたら。でも嬉しいな。ところでこんな所で会うってことは、香菜
ちゃんの家ってこの近くなの?」
「あれ、克美さん知らないんでしたっけ?香菜ちゃんの家って、俺の住んでるアパートの
敷地内にあるあの一戸建てですよ。香菜ちゃんのお母さんがあそこの大家なんです」
「ふーん、そうだったんだあ」
「はい、そうなんです。あっ、ごめんなさい、わたしもう行きます。お母さんに頼まれて
お使いしてるので、早く帰らないと…」
「そうだったんだ。ごめんね引き止めて」
「いえ、こちらこそお二人の邪魔をしてすみませんでした。それじゃあ、さようなら」
 そうして香菜ちゃんは去っていった。
「えへ、新婚さんだって」
 そう言って克美さんは喜んでいる。だけどそれは香菜ちゃんが俺たちの関係を知ってい
るからそう見えたんであって、知らない人が見たら絶対にそうは見えないだろう。もっと
も、他人にどう見られようが事実俺たちは恋人同士なんだから構わないんだけど。
「それじゃ健吾くん、ボクたちも買い物して帰ろうよ」
「そうですね」
 その後俺たちは買い物を済ませアパートに戻った。そしていよいよ克美さんの料理が始
まる。これまでに完成品を食べたことはあっても、その過程を見たことはなかったので、
いったいどうやってあんなうまい料理を作るのか、興味があった。しかし、克美さんの家
の立派であろう(実は見たことがない)キッチンならともかく、このアパートのちんけな
台所で作れるのかと心配になった。が、数分後にその心配は杞憂だと思い知らされた。
「はい、まずは肉野菜炒めのできあがり〜!」
 なんだか、あっと言う間に一品が完成した。名人は道具を選ばないという話を聞いたこ
とがあるが、それに近い感じなんだろうか。そしてその後も、数品の料理が克美さんの手
によって生み出された。どれもこれもすごくうまそうだ。例によって量が多いのは、俺だ
けでなく克美さんも一緒に食べるつもりだからだろう。
「よし、おかずはこんな物だね。後はご飯とお味噌汁をよそって…はいできた!」
「うわあ、うまそうですね。…これ、俺のための料理なんですよね?」
「当たり前じゃない。ボクの分もあるけど。それじゃ健吾くん、食べて食べて!」
「はい、それじゃいただき…」
 俺がそう言いかけた時、不意に玄関のチャイムが鳴った。しかも連打されている。
「やかましい!俺の部屋のチャイムをこんな風に押すのは…仁かー!」
 そう叫ぶと俺は玄関に行き、ドアを開けた。そこにいたのはやっぱり仁だった。
「よう健吾」
「よう、じゃない!何しに来たおまえ!?」
「あーっ、人がせっかく片瀬さんとどうなったか心配して様子見に来てやったのにひっで
えなあ。喜久さんだって心配して一緒に来てくれたんだぜ」
「えっ、喜久?」
「こんにちは健くん」
 仁の後ろから、喜久が現れた。
「なんで、喜久まで?…って、そうか、二人は今日もデート…」
「そうなのよ。デート中に、健くんと克美さんが大変なことになってるって仁くんから聞
いて、だったら行ってみましょうよってわたしが言ったの」
「俺はそれについてきたってわけ。で、どうなったんだ?」
「どうって…」
「健吾くん、いったい誰が来たの?」
 俺が言葉を続けようとした時、部屋の中から克美さんが出てきた。そして、その克美さ
ん(エプロン着用)を見た仁たちはこんなことを言った。
「…どうやら、心配することもなかったみたいだな」
「そうね。なんだか若奥様…って言うか幼な妻してるし…」
「喜久さんと間くんだったんだ。もしかしてボクたちのこと心配して来てくれたの?」
「そうです。その様子じゃ、健くんと仲直りできたみたいですね。安心しました」
「それにしてもさっきからいい匂いがするなあ…。片瀬さんの手料理の匂いか…」
「そう。ねーねー、二人はお昼ご飯はどうするの?よかったら、みんなで食べない?」
「一応、わたしが作ったお弁当があるんですけど…克美さんには絶対かないません…」
「そうかな?それじゃあ、ボクが評価してあげるから、それもみんなで食べようよ。いい
よね、健吾くん?」
 本当は、克美さんと二人きりのシチュエーションを邪魔されたくはないと思った俺だっ
たが、その克美さんがこう言っているのに仁たちに「帰れ」とは言えない。それで俺は半
分しぶしぶと口を開いた。
「ええ、いいです…」
 ところがその時、さらに人が増えた。
「東センパイ」
 うわあっ、香菜ちゃんまで来たあっ!?
「な、何、香菜ちゃん、どうしたの!?」
「お母さんに、お昼ご飯のおすそ分けを持っていきなさいって言われたので来たんですけ
れど…どうしてこんなに人口密度が高いんですか?」
「俺が聞きたいよ…」
 その時俺は、自分が半分泣き出しそうになっているのを自分で感じていた−。

 そんなわけで俺は、突如部屋に乱入してきた仁たちと一緒に昼メシを食った。
「ごちそうさまでした!いやー、片瀬さんの料理、すっごいうまかったです。健吾、おま
えって幸せもんだなこんちくしょう!」
「二人きりだったら、もっと幸せだったんだけどな」
「ご、ごめんね健くん。でも本当においしかったわ。わたしの作ったのなんか比べ物にな
らないくらい…」
「ボクはそうでもないと思うよ。そんなに料理したことないって言う割りには喜久さんの
もおいしかったし」
「そうそう、もともとは俺のために作ってくれたっていう喜久さんの気持ちが伝わってき
たよ。健吾もそう感じたよな?」
「ああ、まあ、そうだな」
「ありがとうみんな」
 そんな中、一人ちょっと浮かない顔をしている香菜ちゃんに俺は気づいた。
「どうしたの香菜ちゃん、何か気に障ることでもあった?」
「いえ、喜久さんも克美さんも自分の手料理なのに、わたしだけお母さんの作った物だか
ら…。それで、できない自分に、少し嫌悪して…」
「そんなの気にすることないわよ。わたしだって、普段はあまりしないんだから。それで
たまに作る料理がこうやってみんなにほめられるんだから、香菜ちゃんだってやってみれ
ばわたし程度のは作れるわよ」
「そうだよ。何だったらボクが教えてあげるから」
「あ、ありがとうございます、お二人とも」
 克美さんと喜久に言われ、香菜ちゃんは元気を取り戻したようだった。
「さーって、それじゃ喜久さん、そろそろ行こうか。健吾、邪魔したな」
 仁の言葉に、本当に邪魔だったよと俺は言い返そうとしたが、やめた。
「ごちそうさまでした。健くん、克美さん、またね」
「さようなら、東センパイ」
 そうしてみんな帰っていき、俺と克美さんだけが残った。
「何か予想外の展開になっちゃったけど…これはこれで楽しかったよね」
 克美さんが言った。
「まあ、楽しくなかったって言ったら嘘ですよね」
「じゃあボク、後片付けするね」
 そう言って食器類を洗ったりする克美さん。その間に俺は干していた洗濯物がもう乾い
ていたので取り込んだ。それでそのままにして置いたら、ちゃんとたたまないとダメと克
美さんに怒られた。で、たたむのは克美さんにやってもらった。
「これで完了だね。それじゃ、ボクもそろそろ帰るよ」
 克美さんが帰ってしまう。楽しい時間ももう終わりか…。
「お昼ご飯作る時に、別に夜用のも作っておいたから、それ温め直して食べてね」
「はい、どうもすみません克美さん」
「お礼なんていいってば。それじゃまたね、健吾くん」
「はい、さようなら」
 克美さんも帰り、部屋には俺だけが残った。俺は、今日の幸せを反すうしてみた。
「仁にも言われたけど、俺って、すごい幸せ者なんだなあ…」
 そう考えると、自然と頬が緩む。とその時、玄関のチャイムが鳴った。
「ごめん健吾くん、忘れてたー」
 ドアの向こうから克美さんの声がしたので、俺は玄関を開けた。
「克美さん、どうしたんです?何を忘れたんですか?」
「今日ね、家出る時お父さんに言われたの。健吾くんの家に行くんだったら、帰りに健吾
くんが描いてる漫画の原稿借りてきてくれないかって」
「お、俺の原稿を!?な、なんで!?」
「んー、よくわかんないけど、今、お父さんアシスタント募集してるから、それの関係か
もしれない」
「か、片瀬先生のアシスタント!?わ、わかりました、ちょっと待っててください」
 それで俺は大急ぎでつい最近描き終えたばかりの原稿を封筒に入れた。これで認められ
れば、少年漫画界の鬼才、片瀬先生のアシスタントができるかもしれない…!ドキドキし
ながら克美さんに封筒を手渡す。
「そ、それじゃ、これ、お願いします」
「うん、わかった。確かに渡しておくから。それじゃ、バイバイ」
 こうして今度こそ帰っていく克美さん。一人になった俺はつぶやく。
「今年、克美さんと出会って俺の人生は大幅に変わったけど、もしかして、別の意味でも
人生変わる…?」
 若葉が芽吹く、さわやかな5月の晴れの日の出来事だった。

<第ニ章了 第三章に続く>
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