K’sストーリー第三章 二人の周りで(2)
 それから数日後のとある平日。今学校は昼休みだ。俺は校舎の屋上で、仁と二人で昼メ
シを食べていた。
「おまえ、今日は購買のパンなのな。克美さんの弁当じゃないんだ」
 俺が食べている物を見ながら、仁がそう言ってきた。
「まあ、作ってもらうことも割りとあるけど、さすがに毎日はな…」
「そうか。だけどあの人、どんなカッコで料理作ってるんだろな?」
「俺のアパートでメシ作ってもらったこともあるけど、普通にエプロンしてたぜ。克美さ
んのエプロン姿、これがまたかわいいんだ」
「エプロン姿ねえ…」
 そう言ったきり、仁は何かを考え始めた。今俺が言った「エプロン着用の克美さん」を
想像してるんだろうか。…いや、何か変だ。軽くにやついている。もしかしてこいつ…!
「…おい仁、おまえ何を考えている?」
「いや、裸エプロン状態の克美さんってどんなかなあって思って…」
(ゴッ!)
 俺は、仁の腹にパンチを入れてやった。
「おぼっ…!おまえいきなり殴んなよ…。今食った物がリバースしそうになったぜ…」
「人の彼女で変な妄想するからだ!」
「克美さんじゃなければいいのか?」
「かと言って、喜久や香菜ちゃんのそーゆー姿を妄想するなよな。彼女じゃなくても、あ
の二人は大切な友達と後輩だ」
「へいへい。あっ、喜久さんで思い出したんだけどさあ、彼女のことで幼なじみのおまえ
に聞いておきたいことがあったんだ」
「何だよ?」
「彼女、処女かなあ?」
(ドゴォッ!!)
 俺は、仁の股間に前蹴りを入れてやった。
「よっどぉぼおっ…!!」
 仁は声にならない声を発して、蹴られた場所を押さえた。俺のキックがよっぽどクリー
ンヒットしたのだろうか、顔に脂汗がにじみ出てきた。
「い…いきなり何てことしやがるんだてめえ…。使い物にならなくなったらどうしてくれ
るんだよ…」
「やかましい!そんな思考回路のおまえの持ち物なら、使い物にならなくなった方が世の
ためだ!って言うか、まさかそれだけのために喜久のことを落とそうとしてるんじゃない
だろうな!?」
「バカ野郎、そんなわけあるかよ…」
 この時仁は四つん這いになって、自分の尾骨をトントンと叩いていた。そしてこいつは
続ける。
「確かに、流れとかそういったのがいろいろ絡んで、そういうことになることもあるかも
しれない。けど、それ『だけ』のためってのはかなり心外だ。これは喜久さんに限らず他
のどの女の子もそうだけど、楽しくさせたくて、同時に俺自身も楽しくなりたいから一緒
にいるんだよ」
「ふーん、そうか…。ただの性欲魔人じゃなかったんだなおまえって」
「おまえな〜!…痛ててて、まだめり込んだままみたいだ…」
 そう言うと仁は、今度は立ち上がり、その場で何度か軽いジャンプを繰り返した。そし
て、ようやく元に戻ったようで、大きく息をついた。
「ふ〜、やっと落ち着いたぜ。で、さっきの質問なんだけど…」
「知らないな、俺は」
「本当か?とか何とか言って、実はおまえが彼女の初めての相手…」
「…もう一回蹴られたいかおまえ?」
「うわ、やめてやめて」
 またあの痛みを味わうのはごめんだとばかりに、仁は二歩ほど後ずさった。そんな仁に
俺はこう言った。
「とにかく、俺は知らん。そりゃあ昔は一緒に風呂に入ったこともあるし、お互い『ほっ
ぺにチュー』なんてのは何回もした。だけど、一線は超えてないぞ」
「そうなのか…。じゃあ、予想では、彼女、経験済みだと思うか?」
「してないと、俺は思う」
「だよな。俺もそう思ってるんだよ。何て言うかさ、経験済みの女性が持つ独特の艶っぽ
さってヤツを喜久さんからは感じないんだよ。彼女、絶対に処女だ」
 そう言った仁だったが、その後にこう続けた。
「…でもまあ、さっきも言ったように別にそれが彼女を口説いてる目的なわけじゃないか
ら、どうでもいいっちゃあどうでもいいんだけどな…」
 そう言うと仁は食べかけだった昼メシに手を伸ばし食べ始めた。俺も同じようにパンを
食べる。しばらく二人とも何も言わなかったが、また仁が俺に話しかけてきた。
「なあ健吾、また喜久さんのことで聞きたいんだけどさ」
「今度は何だ?またさっきみたいな質問だったら、この屋上から投げ捨てるぞ?」
「こ、今回はさっきのよりはマイルドだから。ぶっちゃけた話、彼女、もうすでに恋人い
るのかなあ?」
「いないんじゃないの?喜久のことだ、そんなのができたら俺やおまえに報告するよ。内
緒にするとは思えないしな」
「だけど、学校違うし、実は俺たちの知らない所に男がいたりして…いや、男とは限らな
い!?」
「…何言ってんのおまえ?」
「喜久さんが通ってる高校、女子高だぞ!?『お姉様』って呼ばれてたリ、逆にそう呼ん
でる人がいたりするかもしれない!」
「…考え過ぎだ。彼女はきっとノーマルだよ」
「いや、わからねえぞ。それに、例えノーマルでもさっき言ったみたいに俺たちの知らな
い男が…!うわー、急に心配になってきた。よし、今日の放課後、“鬼賀屋”に行って確
認するぞ!」
「あー、まあがんばれ」
 俺がそう言った時、チャイムが鳴り響いた。昼休みの終わり、次の授業まであと五分を
知らせるチャイムだ。
「もうこんな時間か。それじゃ、午後の授業受けに行こうぜ仁」
「あっ、待てよ健吾」
 そうして俺たちは教室に戻って、眠いのを我慢して午後の授業を受けたのだった。

 睡魔と戦っているうちに、いつの間にか放課後になった。帰り支度をしている俺の所に
仁がやってきて言った。
「おーし健吾、喜久さんの所行くぞ喜久さんの所!」
「あー、悪い仁。今日は俺行けねえわ。これから図書室行って勉強するんだ。もうすぐ中
間試験だしな」
「おまえそんな真面目だったかあ?俺なんて、試験なんてのは、赤点取らなきゃいいって
思って、それで去年一年間過ごしてきたんだぜ」
「俺だってこれまではそう思ってたさ。でも、片瀬先生がな…」
「片瀬先生?克美さんの親父さん?…ああ、そういやおまえ、あの人のアシスタントやる
ことになったんだっけな。で、その片瀬先生がどうした?」
「アシスタントの条件として、『定期試験で全教科60点以上取ること』って言われてさ
あ。これができないと、やめさせられちゃうんだ。一応、去年は60点未満のテストは一
つもなかったけど、ギリギリってのはあったから、ちょっとは勉強をな…」
「なるほどねえ、結構厳しい人なんだ。ま、そういうことなら、今日は俺一人であの店行
くわ。で、喜久さんに聞いてみる」
「恋人がいるかをか?」
「ああ。まあ、さすがに処女かどうかは聞くつもりはないけどな。そんなこと聞いたら、
思いっきりチョップされる。じゃあな健吾、また明日」
「ああ、またな」
 そう言って仁は帰っていった。
「さて、それじゃ俺も行くか」
 そして俺も教室を出て、学校内の図書室に向かった。が、やはり試験前ということで席
はいっぱい、俺が座れる場所はなかった。
「やっぱ、みんな考えることは同じか…」
 俺はそうつぶやいたのだが、その時後ろから声をかけられた。
「東センパイ」
 振り返ると、それは香菜ちゃんだった。
「やあ、こんちは香菜ちゃん。君も勉強しにここに来たの?」
「はい。高校に入って最初の試験ですから少しは勉強しておこうと思ったんですけど…た
くさん人がいますね」
「まあ、試験前だからね。それで俺、これから別の静かに勉強できる所行くつもりなんだ
けど、一緒に来る?」
「それ、どこですか?ここから近いんですか?」
「近いも何も、校内だし」
「この学校にここ以外でそんな場所があったんですか?それじゃあ、ご一緒させていただ
きます」
「OK、それじゃ行こうか」
 それで俺は香菜ちゃんと二人で校内を歩き、目的地に向かった。
「あの、センパイ…こっちにあるのは部室棟ですよね?ということはもしかして、漫画部
の部室に行くんですか?」
 香菜ちゃんが聞いてくる。
「うん、そうだよ。あそこって結構静かだから、集中できるんだよ」
「でも、漫画部の部室なのに、漫画も描かないで勉強していいんでしょうか?」
「あの部室はさ、『漫画を描くための部屋』じゃなくって、『漫画部員が自由に使ってい
い部屋』なんだよ。それがこの部の伝統。他の部だって似たようなもんだよ、きっと」
「そ、そうなんですか。そういうことなら…」
 そしてそのうち俺たちは所属している漫画部の本拠地についた。「部室棟」と呼ばれる
建物の一角にあり、この建物の他の部屋もそれぞれの部の部室だ。
「えーっと、誰かいるかな?」
 俺は部室のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。
「誰も来てねーのか…。それじゃ、鍵、鍵、と…」
 俺は部員だけが知っている鍵の隠し場所からそいつを取り出すと、ドアを開けた。机と
イスはすでに用意されているので、俺はそこにつき、バッグから教科書とノートを取り出
した。香菜ちゃんも俺の隣にある机につき、同じように試験勉強の用意をする。その後で
俺は勉強を始めた。今この部屋には俺と香菜ちゃん−女の子の二人きりなわけだが、普通
に部活をする上でもこういったことは何度かあったので、特に気にしてはいなかった。香
菜ちゃんの方も同じみたいで、普通に勉強をしていた。これが二人とも彼女彼氏のいない
身だったら話は変わってくるのだろうが、俺には克美さんがいるし、香菜ちゃんもそれを
わかっているから何の意識もしないのだろう(今この娘に恋人はいないけど…)。そんな
わけで、こんな考えは勉強する上で邪魔なだけなので封印することにした。

 意識を試験勉強の方に集中していると、時間が過ぎるのが早い。問題を解くのが一段落
したので時計を見てみると、勉強を始めてからもう二時間以上たっていた。チラリと横を
見てみると、香菜ちゃんも集中して勉強ができているようだった。それで俺は彼女にそっ
と話しかける。
「香菜ちゃん、香菜ちゃん…」
「えっ?何ですかセンパイ?」
「俺、もうそろそろ帰ろうと思うんだけど…」
「もうですか?まだそんなに時間は…えっ、もうこんな時間…?」
「やっぱり気がついてなかったみたいだね…。それで、どうする?」
「わたしも帰ります。それで、あの…一緒に帰ってもらえませんか?」
「そりゃもちろん。どうせ同じ敷地にあるアパートと家なんだし」
「ありがとうございます。それじゃ、片付けますので少し待ってください」
 そう言って香菜ちゃんは机の上のテキスト類を片付け始めた。俺も同じように自分の物
を片付ける。その後、二人で部室を出て家路についた。
「ねえ香菜ちゃん、高校の勉強って、どう?」
 帰り道で俺は彼女に聞いてみた。
「えっと…少し難しいですけど、今のところはちゃんとついて行けています。でもやっぱ
りわかりにくいのもあるので、センパイに教えていただけるとありがたいんですけど…」
「俺に教えられるかなあ…。去年やったとは言え、もう忘れてるかもしれないし…。もち
ろん、覚えてるって言うかわかる所は教えてあげるけどね」
「ありがとうございます、センパイ」
「ところで、勉強以外の高校生活は楽しい?」
「はい、楽しいです。クラスの友達とも仲よくやってますし、漫画部も、東センパイとか
他の人たちのおかげで楽しいです。あと、学校の外でも“鬼賀屋”のアルバイトがすごく
充実してて…」
「そりゃよかった。それにしても、勉強に部活にアルバイトに、青春満喫してるなあ。と
なるとあとやってない青春は…恋ぐらいかな?」
「恋…ですか…」
 そう小さく言うと香菜ちゃんは黙ってしまった。そして少ししてからまた口を開いた。
「わたしはしばらく、恋愛はいいです」
「どうして?」
「次に人を好きなるのは、もう少し気持ちが落ち着いてからの方がいいと思って…」
 これを聞いた俺は少しぎくりとした。香菜ちゃんは「次」と言ったが、「次」があれば
当然「前」がある。この娘が前に好きだったのは−実は俺だったんだ。俺たちは付き合っ
てたわけじゃなく、言わば香菜ちゃんが俺に片思いをしていた状態だったんだけど、その
気持ちを知って数日後に俺は克美さんに告白して、俺たちは付き合うことになった。だか
ら俺はこの娘を「振った」ことになるんだけど、そんな娘とこんな風に親しくしていても
いいものかと、急に思った。
「あのさ、香菜ちゃん…」
「はい、何でしょうセンパイ?」
「俺たち、もうちょっと距離を置いた方がいい気がしてきた…」
「ど、どうしてですか?わたし、何かセンパイの気に障るようなことしましたか!?」
「そ、そうじゃない、そうじゃないよ」
 あまりに香菜ちゃんが焦ったような言い方をしたので、俺も焦って言葉を返した。
「あんまり俺の近くにいるとさ、俺と香菜ちゃんが付き合ってるって勘違いする人が出て
くるかもしれないだろ?せっかく君のことを想ってる男がいても、その勘違いのせいであ
きらめちゃったりしたら…」
「確かにそういうことはあるかもしれませんね。だけど、さっき言ったみたいにわたしは
しばらく恋愛から離れたいんで、それで男の人が近づいてこないんだったら、むしろその
方がいいです」
「あっ、そう…」
 いくら男に近づいて欲しくないからと言って、自分を振った男をそのカモフラージュに
使うなんて…。こう見えて香菜ちゃんって結構したたかなのかもしれない。と言うより、
もしかして女の子ってみんなこうなんだろうか。克美さんが彼女になるまで恋愛経験のな
かった俺にはよくわからない。仁だったら理解できるのかもしれないが…。と、仁のこと
を思ったついでに、俺はとあることを思い出した。
「そういや香菜ちゃん、前の休みに仁たちとダブルデートしたんだよね?どうだった?」
「えっ?ええっと…弟の綾介とけーちゃんはすごく楽しそうでした。わたしや間さんがい
たせいかもしれませんけど、歳相応に遊んでいました」
「君は?香菜ちゃんは楽しくなかったの?」
「わたしですか?正直、最初のうちは二人が気になって楽しむどころじゃなかったんです
けど、間さんがいろいろと気を使ってくれたおかげで、途中からは、わたしも楽しく過ご
せました。これまで間さんは東センパイの友達という感じで少し距離を置いて接してたん
ですけど、あんなにいい人だとは思いませんでした」
「そりゃよかった。あいつのこと気に入った?好きになった?」
「いえ、そこまでは…。それに、間さんには喜久さんがいますし…」
「まだ付き合ってるわけじゃないんだけどね、あの二人は」
「そうなんですよね。端から見ると、もう恋人同士なのに…。やっぱり難しいです恋愛っ
て。わたしは、自分がもう少し大人になってからにしようと思います」
「ははっ、そんなことじゃ、弟に先を越されちゃうぞ?…って、香菜ちゃん?」
「はい?」
「ここってもう俺のアパートなんだけど、どこまでついてくる気?」
「えっ?あっ、ごめんなさい!話に夢中になってて、つい…さようならセンパイ!」
 そう言うと香菜ちゃんは逃げるように走っていき、アパートと同じ敷地にある彼女の家
に消えた。やっぱり女の子って不思議だと思いつつ、俺も自分の部屋に入った。そして背
負っていたバッグを投げ出すと、一人つぶやいた。
「そういえば今日は、克美さんに会わなかったな…。電話してみよっ!」
 そうして俺はベッドに腰かけ、克美さんの携帯に電話をかけた。数回のコールの後、つ
ながった。
「あっ、健吾ですけど…」
「健吾くん?ごめーん、今お父さんのご飯作ってて忙しいの。後でかけ直すから!」
 その言葉だけで電話は切れてしまった。しばし呆然としていた俺は、こうつぶやいた。
「さ…寂しいよお…」
 が、寂しさにも増して空腹感が俺の体を支配してきたので、とりあえず冷蔵庫にある適
当な材料で適当な料理を作って食べた。もう一年以上も一人暮しをしてきたので俺の料理
もそこそこ食べられる味にはなった。そして、食事を終えてぼーっとしていると、携帯電
話が鳴った。克美さんからだったので、俺は急いで電話に出た。
「はいはいはい、健吾です!」
「克美だよ!健吾くん、さっきはごめんね。お父さん、ボクが学校に行ってる間、何にも
食べてなかったみたいで、ボクが帰ってくるなり何か作ってくれって…もう、子供じゃな
いんだから…」
「先生にそんな一面があったんですね。で、もう大丈夫なんですか?」
「うん。ボクのご飯も作って二人とももう食べ終わって、後片付けまで終わったから。そ
れで、さっきは何か用があったの?」
「克美さんと話がしたくなってかけたんですけど…そういう電話って迷惑ですか?」
「ううん、健吾くんだったら大歓迎だよ!こういうのって、恋人同士だなあって感じがし
て、なんだか嬉しいよね」
「そうですか?そう言ってもらえると俺も嬉しいです。それじゃあ、当事者以外にはどう
でもいい、取り止めのない話でもしましょうか」
「うん。あのね、ボク、今日学校でね…」
 そうして俺たちはまさにどうでもいい話をした。その話の最中、克美さんがこんなこと
を言ってきた。
「ねえ健吾くん、明日一緒にお昼食べない?ボク、お弁当作ってくから」
「えっ、そいつは嬉しいですねえ。それじゃお願いしちゃってもいいですか?」
「OKだよ。じゃあ、どこで食べようか?」
「屋上にしましょう、屋上に。明日も今日みたいに晴れるって話ですし」
「わかった。それじゃ、今日はそろそろ終わりにしよ。明日のお昼休みに会おうね!」
「はい。おやすみなさい、克美さん」
「おやすみー!」
 こうして電話は終わった。
「克美さんのお弁当か…。楽しみだな…」
 そんなことを考えると、自然と頬が緩んでしまう俺だった。

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