K’sストーリー第四章 Kたちの夏(4)
 旅行は二日目に突入した。朝食を食べた俺たちはまた今日も海で遊びまくった。そして
午後の2時を過ぎたころだろうか、遠くを見ていた克美さんがこんなことを言った。
「あれえ?あれって薫くんじゃない?」
 確かにモリとクーラーボックスを持っているあの姿は間違いなく薫だ。俺たちとは逆の
方に歩いていっているが、俺たちは相談して、みんなで彼女の方に行ってみた。
「おーい、薫ー」
 その俺の声に薫が気づく。
「ん?何だおめーら、こんな所にいたのか」
「ああ。薫はどこに行くんだ?」
「これから魚を取りに行く。おめーらの晩メシだ。おめーら、まだ泳ぐんか?」
「いや、どうしようかなーって思ってたところなんだけど…」
「だったらオレと一緒に来るか?自分の晩メシを自分で捕まえるのもおもしろいぜ」
「なるほど、確かにおもしろそうだな。俺は行ってみたいけど、みんなどうする?」
 俺のその呼び掛けに反対する人間はいなかった。
「というわけで、俺たちみんな行くぜ薫」
「そうか。それじゃ一度家に戻るぞ。オレにはこいつがあるからいいが、おめーら用の釣
り竿とか餌を取ってこなきゃな。それと必要なら水着から普通の服に着替えろ」
 こうして、俺たちは更衣室から薫の家というルートを通り、釣りをする準備をして魚を
取るポイントへと向かった。
「さて、この辺りだな」
 とある場所で、薫が足を止めた。そこは岩場で、泳げるような場所ではなかった。
「おめーらはそこから釣り糸をたらして魚釣れ。オレは下に降りる」
「ちょっと待ってくれ薫。正直言うと、俺たち、釣りなんてしたことがなくて…」
「やり方教えろってか?釣り糸の先の釣り針に餌つけて水ん中投げ込みゃ、勝手に食いつ
いてくらあ。後はそれを引っ張れ。じゃ、オレは下行くぜ」
 ものすごく大ざっぱな説明をして、薫は岩場を降りて水の中に入った。深さは彼女の膝
ぐらいまでだった。
「それじゃ行くか。はーあ、ふう。はーあ、ふう…」
 薫がモリを構えた。しかしなんだか奇妙な構えだ。呼吸法も普通と違う。俺たち五人は
これから何が起きるのかが気になって自分の釣りどころではなく、みんな薫に注目してい
た。そして−。
「オラァッ!」
(ビッ!)
 薫が気合一発モリを水面に立てると、見事に水中の魚にヒットしたのがここからでもわ
かった。
「オラッ!オラッ!ドララアア!」
(ビッ!ビッ!ビッ!)
 声と共に次々と捕まえられる魚たち。しかし、すごい掛け声だ…。
「逃げても…無駄ぁッ!」
(ビシュウ!)
 その鬼気迫る迫力に、俺はなんだか怖くなった。どうやら他のみんなも同じみたいだ。
「ま、あっちは大丈夫みたいだな…」
「じゃあ、こっちも釣りを始めるとするか…」
 そうして俺たちは釣りを始めたが、その間も薫の声が下から聞こえていた。
「だりゃだりゃだりゃだりゃだりゃだりゃだりゃだりゃだりゃだりゃだりゃだりゃー!」
 それはもうすでに魚捕りの声ではなかった。それからしばらく俺たちはそこにいたが、
結局、その声のせいか、俺たちが釣りの素人だったせいかはわからないが、こっちはほと
んど魚が釣れなかった。一人大量の薫がほくほく顔で言う。
「よーし、今日はたくさん取れたぜ。いつもより多いくらいだ」
「そ、そりゃよかったな薫。でも、すげえモリさばきだな…」
「まあな。仲間内じゃ、あの技は『流星の一針』って呼ばれてるんだ。それに、オレ自身
『ぷっ刺しの薫』って通り名があるしな」
「ぷ…ぷっ刺し…」
 きっとそう呼んでいるのは、昨日喜久をナンパした男たちが入っている“マッドシャー
ク”とかいう連中だろうと、俺は思ったのだった。

 釣りが終わるころにはもう夕方になりかけていたので、俺たちはそのまま宿に帰った。
そして自分たちで捕まえた(と言ってもほとんどは薫がぷっ刺した)魚をおかずに夕食を
食べると、昨夜と同じように六人で温泉に行った。また今日も俺たち以外に男湯に人はい
なく、急いで体を洗い終えた仁は仕切り板の側に行った。
「さて今日は…おおっ、おおっ、わおっ!」
 仁はかなり興奮しているようだ。その後板から離れたので、俺はこいつに聞いてみた。
「仁、いったい向こう側で何があったんだ?」
「今日もまた、喜久さんが薫様の餌食になってた。それと、香菜ちゃんも…。で、薫様が
香菜ちゃんに『合格!』って言ってた。触られたのは胸じゃなくて、おなかだったみたい
だったけど…」
「どこ触ってるんだあいつは…。ところで克美さんは?」
「無事みたいだな。昨日、触る価値なしって言われてたし」
「そうか…」
 安心したような、自分の彼女がそんな風に扱われてちょっと悔しいような、そんな複雑
な思いだった。その後は何事もなく脱衣所に戻り、濡れた体を拭き服を着た。そう、そこ
までは何事もなかったんだ。脱衣所から外に出て女の子たちを待っていたのだが、出てき
た四人を見て俺は驚いた。薫が、真っ赤な顔をしてぐでーっとなった克美さんをおぶって
出てきたんだ。喜久と香菜ちゃんは、心配そうに克美さんを見ていた。
「か、克美さん!?どうしたんですか!?」
 俺は駆け寄り言った。すると薫がこう言った。
「のぼせやがった。それもかなりだな。このままオレがおぶってってもいいが、できれば
先に帰ってこいつを寝かせる準備をしてえ」
「そ、そうか。じゃあ、俺が克美さんをおんぶしてくよ」
「頼むぜ健吾」
 そう言って俺に克美さんを預けた薫は先に帰った。その後で俺は背中の克美さんに聞い
てみた。
「大丈夫ですか克美さん?どうしてこんなことになったんです?」
「んーとねー、ギリギリまで体熱くしたら、出た後に食べるかき氷が昨日よりもおいしく
なるんじゃないかってそう思って…」
 アホかこの人は。そんな本当なら思っちゃいけないようなことを俺は思ってしまった。
「と、とにかく、このまま俺が宿までおぶっていきますから、ね?」
「んー、ありがとう…」
 そしてそのまま俺たちは浴場を後にしたのだが、帰り道で克美さんがうめくようにこん
なことを言った。
「う〜、かき氷ぃ…」
「まだそんなこと言ってるんですか…。わかりました、明日帰る前に店に寄りましょう」
「本当?わーい、わーい…」
 その喜びの声も、かなり力なく感じられた。そして俺たちが宿に戻ると、先に帰った薫
が部屋で克美さんのために布団を敷いていてくれた。
「おっ、帰ってきたか。とりあえず布団敷いて、それとタオルと氷水を用意しておいた」
「サンキュ」
「ところで、克美の着てる服はちょっと締め付けが強くないか?ゆったりした服に着替え
た方がいい。この宿の浴衣があるから持ってくる」
「悪いな薫」
「気にすんな」
 そう言って薫はこの部屋から去った。その後で俺は克美さんを背中から下ろし、布団に
寝かせた。やっぱりまだ苦しそうだ。その時、薫が戻ってきた。
「待たせたな。こいつ着させろ」
「サンキュー薫。…子供用かこれ?」
「よくわかったな」
「け〜ん〜ご〜く〜ん!」
「わあ、聞こえてたんですか!すみませんすみません!」
「そんなことより健くん、早く着替えさせなきゃ。ほら、男の子は外に出る!」
 その喜久の言葉に従い、俺と仁は部屋の外に出て待っていた。それから少しして、部屋
の中から声がした。
「センパイ、間さん、もういいですよ」
 香菜ちゃんの声がしたので、俺たちは中に戻った。克美さんの着替えが完了していた。
そのせいか、多少は赤い顔が元に戻ったように見えた。その顔を見た後、俺は言った。
「さて、これからどうするか」
「もちろん、健吾が看病するべきだな。俺たちは隣の部屋で静かにしてるからさ」
「そうね、仁くんの言う通りにするのが一番ね」
「それじゃあ、寝る時はどうします?そのまま、センパイと克美さんが同じ部屋で、わた
したち三人は隣で…という形になるんですか?」
「恋人とは言え、健くんは湯当たりで倒れた女の子をどうこうするような人じゃないから
大丈夫だと思うんだけど、問題はわたしたちの部屋の方ね。仁くんと同じ部屋に寝るのは
なんだかすっごい不安を感じるの…」
「えーっ、大丈夫だってば。もしかして香菜ちゃんも喜久さんと同じように思ってる?」
「すみません間さん、実は…」
「ちぇっ、信用ないんだな俺って」
「当たりめーだ。おめー、これまでにどんなことしてきたか思い出してみろ。昨日、オレ
に会うなりいきなりナンパしてくるわ、夜は夜でオレに夜這…」
「わー、わー、わー!」
 薫の言葉を、仁が大きな声でさえぎった。それで俺は小さな声で薫に言う。
(薫、夜這いのことをばらすのはさすがにかわいそうだから言わないでおいてやれよ)
(あ?なんでおめーがそのこと知ってんだ?まあいい、おめーの言い分ももっともだし、
喜久たちには言わねーでおくよ)
 物わかりがよくてよかった。ところで、喜久にも香菜ちゃんにも信用されてない仁はこ
んなことを言った。
「わかったわかった、君たちがそう言うなら俺は廊下ででも寝るよ。その代わり、寝るま
では一緒の部屋にいてもいいだろう?」
「まあ、それは別に構わないわ」
「そうですね」
「ありがとう二人とも。じゃあ俺たちはこっち行くから。健吾、しっかり看病しろよ」
「ああ」
 そうして三人は隣の部屋に行き、ふすまが閉められた。が、薫はこっちに残っていた。
「おまえはどうするんだ、薫?」
「オレは今晩ちょっとやることがあるから、自分の部屋に戻る」
「そうか。…もしかしたら今晩もあいつが来るかもしれないから、気をつけろよ」
「わかった。忠告サンキューな。んじゃ」
 そう言って薫も出ていった。これでこの部屋には俺と克美さんだけになった。だからと
言ってすぐ隣には他のみんながいるから変なことはできないし、初めからするつもりもな
いんだけど。とりあえず俺は、薫が用意してくれたタオルを氷水につけ、それを絞って克
美さんの額に乗せた。
「うみゅう、冷たくて気持ちいい…」
「気持ちいいですか?冷たくなくなったらまた絞りますから、言ってくださいね」
「ありがとう〜。ねえ健吾くん、もう一つお願いしていい?」
「何ですか?」
「ボクのことうちわで扇いでほしいの…」
「うちわ?あっ、はい、わかりました」
 それで俺はこの部屋に置いてあったうちわで、克美さんに風を送った。
「うにゃあ、涼しいのぉ…」
 さっきからうみゅうだのうにゃあだの、まるで猫のようだ。俺はしばらくの間克美さん
を扇いでいたが、いつの間にか彼女は眠ってしまった。すーすーと安らかな寝息を立てて
いる。顔色ももうほとんど元に戻った。いや、日焼けで真っ黒になっていたので、本当に
元に戻ったのかはいまいちわかり辛かったのだが、寝顔を見る限りではひとまずこれで一
安心と言った感じだろう。だからこれで俺も隣の部屋に行ってもよかったのだが、やっぱ
り心配だったので、この部屋にいることにした。ただいても退屈なだけなので、荷物の中
からスケッチブックを出して、何か描くことにした。漫画家を目指している者としてとり
あえず持ってきていたのだが、さて何を描こう。そう思って部屋を見回してみたが、描く
物は一つしかなかった。そう、克美さんの寝顔だ。断りもなくこんなことをするのもどう
かなと思ったけど、似顔絵のモデルになってもらったことはこれまでにもあるし、大丈夫
だろうと思って描き始めた。何枚か描いているうちに、隣の喜久たちのいる部屋の戸が開
いた音がした。どうやら女の子たちが寝るので、仁が追い出されたらしい。それで俺もそ
ろそろ寝ようと思い、スケッチブックを閉じた。結構いい絵が描けた。その後俺は念のた
め、克美さんから一番離れた場所に自分の布団を敷いた。間違いの起きる危険性は極力低
くした方がいいと思ったからだ。それで俺はそのまま布団に入り、眠りについた。

 一度は寝た俺だったが、また今晩も真夜中に目が覚めてしまった。時間は2時ごろだっ
た。克美さんの布団を見ると、彼女はぐっすりと眠っていた。その寝顔を見てこっちは大
丈夫だなと思ったんだけど、もう一つ不安材料があったことを思い出した。そう、仁と薫
だ。それで俺は克美さんを起こさないようにこの部屋を出て、薫の部屋に行ってみること
にした。部屋の外の廊下には仁が寝ていたのであろう布団が敷いてあったが、仁本人はい
なかった。やはり薫の部屋だろうか。そこに行き、ノックをしようとしたところ、また今
日も中から声が聞こえてきたので、俺はその話を聞くことにした。
「健吾の言った通りだ、また今晩も来るとはなあ。しかも今のオレの一撃をかわしやがる
とは…」
「ふっ、何度薫様の動きを見たと思ってるんです?もう攻撃は見切った。俺だって、伊達
に工事現場でアルバイトしてるわけじゃない。薫様の剛拳も、当たらなければどうという
ことはない。さあ、今夜こそは身も心も俺にゆだね…」
「オラァッ!!」
(ドゴォッ!!)
 何か、すごい音が聞こえた。
「よっどぉぼおっ…!!」
 それは仁の声だったが、何とも形容しがたい声だった。そういえば以前にもこんな声に
ならない声を聞いたことがある。あれは確か俺が仁の股間に蹴りを入れた時…。というこ
とは、薫にやられたか?
「何見切ったって、ああ?工事現場だか何だか知らねえが、こっちゃ毎日大自然を相手に
してるんだ。都会育ちに負けやしねえ」
「む、無念…」
 あーあ、やっぱり薫は強かったか。そして彼女は、仁にこんなことを言う。
「さて、これから二晩続けてオレに夜這いをかけた大バカ野郎にお仕置きをかますわけだ
が、オレがどんなお仕置きをしようとしてるか、当ててみ?」
「えっと…一思いに、パンチでお願いします…」
「甘いな。その程度じゃ許さねえ」
「それじゃあ、キックですか…?」
「違うなそれも」
「まさか、布団とロープ…」
「おお、よくわかったな」
「もしかして、簀巻きですかーっ!?」
「そのとーり!くらえ、ナンパバカ!」
「うわーっ、ごめんなさい薫様ー!助けてー!」
 今晩もまた、声を殺したくくくという笑いがしばらく止まらなかった。まあ、端から薫
の心配をしてはいなかったが、逆に仁の方が心配になった。さすがに死にはしないだろう
ということで自分の布団のある部屋に戻ったのだが、俺がその部屋の戸を開ける前にそい
つが開き、中から何かが飛び出してきて俺にぶつかった。
「きゃん!」
「おわっ!?…あっ、克美さん」
「あっ、健吾くん。部屋の外行って、何してたの?」
「いや、ちょっと…。それより克美さん、起きて大丈夫ですか?」
「うん。健吾くんのおかげでいい気持ちになって寝てたんだけど、何か、上の方から大き
な音が聞こえてきて目が覚めちゃったんだ。健吾くんは聞こえた?」
「さ、さあ、よくわかりませんでしたけど…」
 俺はそう嘘をついておいた。克美さんの聞いた音というのは、薫が仁をふん縛る音だろ
う。ちなみに、隣の部屋の喜久たちは起きていないようだ。
「ところで克美さん、どこかに行くつもりだったんですか?」
「うん、喉が渇いたから台所に行って水飲んでこようって思ったの」
「そうですか、それじゃどうぞ行ってきてください」
「うん」
 そうして克美さんは台所の方に行き、少しして戻ってきた。そしてこのまま寝るのかと
思いきや−。
「ねえねえ健吾くん、ボク、外に行ってみたいんだけど、ダメかな?」
「外?こんな時間じゃかき氷屋さんは開いてませんよ?」
「違うよ!今、台所の窓の外見たらお月様がすっごくきれいだったから、夜の浜辺にお散
歩に行きたいと思ったんだけど…ダメ?」
「うーん、浜辺ですか…」
 こう言われた俺は少し考えた。もし仮にここで俺がダメと言っても、今の克美さんなら
一人ででも行ってしまうような気がする。真夜中に女の子が一人で砂浜に行くなんて危険
極まりない。だったら俺も一緒に行けばいい…と言うか、行くしかない。それで俺は克美
さんにこう言った。
「わかりました、俺も一緒に行きましょう。でも、あまり長くはダメですよ」
「いいの?わーい。それじゃ、着替えるからちょっと外で待っててね」
「着替える?」
「さすがにこの浴衣で外に行くわけにはいかないでしょ」
 確かに今克美さんが着ているのは室内用の浴衣で、外に行くには適していない。それに
薫は締め付けの少ない服ということでこいつを用意してくれたんだ。つまりちょっと動い
ただけで大きくはだける可能性がある。事実、さっき克美さんが寝返りを打った時、太も
もの辺りがかなり奥の方まで見えそうになった(その時は、変な気を起こさずただそれを
直してあげた)。夜中とは言えさっきまで寝ていてパワー満タンの克美さんなら、はしゃ
いでポロリ、ということも大いにあり得る。いくら同行する俺ぐらいしか人がいないだろ
うとは言っても、着替えるのは正解だ。それで、少しして克美さんが部屋から出てきた。
Tシャツと、下はスパッツだった。
「お待たせ健吾くん。健吾くんは、そのままでいいの?」
「ええ、Tシャツとハーフパンツですからこれで平気です。それじゃ、行きましょうか」
「うん!」
 そうして俺たちは宿を出て砂浜に向かった。なお、宿の玄関は鍵が開いていたので、そ
のままにしておいた。さすがは田舎の風土、戸締りに関して無頓着だ。
「うんわー、やっぱりきれいだあ!」
 浜辺に出た克美さんが言う。確かにこの風景はきれいだった。いや、きれいを通り越し
て幻想的ですらあった。明かりとなる物は月の光だけ。その月は海の真上にあり、その下
にはどこまでも左右に広がる水平線。規則的な波の音が、さらに幻想的だった。
「ねえ健吾くん、誰もいない砂浜って、不思議な感じがするよね」
「そうですね。俺も思ってました」
「それでね、ボク、ここでやってみたいことがあったんだ。一緒にやってくれる?」
「やってみたいこと?何ですか?」
「恋人同士のお約束、浜辺で追いかけっこ!…なんだけど…」
「克美さんってそういうのに憧れてたんですか?やっぱり女の子だったら誰でも憧れる物
なんですね。で、それ聞いたら俺もちょっとやってみたくなったりして…」
「本当?じゃあ、早速やろう!よーい、どん!」
 その掛け声と共に、克美さんは走り出した。
「あっ、ちょっと、待ってくださいよ!」
 それで俺も克美さんを追いかけて走り出した…んだけど、克美さんは結構足が早い。歩
幅では俺がかなり有利なはずなのに、追いつけない。そしてそのうち−。
「あれ?うわっ、やっべ!わあっ!」
 俺は不覚にも転んでしまった。しかも顔から行ったので、モロに顔面を砂浜に突っ込ん
でしまった。で、俺が倒れているのに気づいた克美さんが走るのをやめて戻ってきてくれ
た。克美さんは、倒れた俺の顔を覗き込もうとしゃがんで、そして言った。
「健吾くん、大丈夫?ごめんね、ボクばっかりはしゃいじゃって…」
「だ、大丈夫です…あっ!」
 俺は思わず声を上げた。克美さんの顔がものすごく近い。確かに俺たちは恋人同士だか
らキスをしたことだってあるけど、ここまでまじまじとお互いの顔を見たことはなかった
ような気がする(キスする時は、二人とも目をつぶってるから)。それで俺は思わず、克
美さんの頬に手を伸ばし、彼女の顔を引き寄せた。そして思い切って自分の唇を克美さん
のそれに押し付けたんだ。
「むっ!?むぐっ!?」
 いきなりだったので、克美さんが驚いているようだ。そりゃそうだ。俺だってこんなこ
とをした自分に驚いているんだから。そして唇を離した後、克美さんが言ったことは−。
「ぺっぺっ、砂が、砂がじゃりじゃり…」
 あまりにもロマンチックとはかけ離れた言葉だった。でもそれは、顔から砂浜に突っ込
んだ直後にキスをした俺のせいなんだけど。それで俺は克美さんに謝った。
「す、すみません克美さん、突然こんなことして…」
「いや、キス自体はいいんだけどね、砂がね、口の中入ってきてね…。今度はもうちょっ
と、口の中がきれいな時にしてね」
「はい、ごめんなさい」
「わかってくれればいいよ。それじゃそろそろ帰ろう。走ったら眠くなってきちゃった」
「そうですね、そうしましょう」
 こうして俺たちは夜の浜辺を後にして宿に帰った。部屋に戻った俺たちはそのまま寝る
ことにしたが、なんでそんなに布団離してるのという克美さんの質問になかなか答えられ
なかった。それでもどうにか納得してもらい、明かりを消して眠りについたのだった。

 翌朝、である。窓から差し込む太陽の光のまぶしさと熱さに寝ていられなくなって俺は
眠りから覚めた。その時はまだ目をつぶっていたのだが、何か変だ。俺の体に「何か」が
密着している。いったい何だ?そう思って俺は目を開けた。そして−。
「うわああああああああああああっ!?」
 そんな、幽霊でも見た時のようなものすごい大きな声で俺は叫んだ。なんと、克美さん
が俺の布団に入ってきていて、しかも、俺に抱き付くようにして寝ていたんだ。
「ここここここ、これはいったい〜!?」
 正直、かなりパニくった。そしてその時、さらにやばいことに、隣の部屋とつながって
いるふすまが開いた。
「健くん、さっきの声はいったい…えっ?」
「何かあったんですかセンパイ?…えっ?」
 俺と克美さんの位置関係を見た喜久と香菜ちゃんが固まった。そして、数秒の間が空い
た後、今度は喜久が叫んだ。
「健くんと克美さん、何やってるのーっ!?」
 これまでに聞いたこともないほど大きな喜久の声だった。
「お、俺は別に何も!朝起きたら、克美さんが俺の布団の中に入ってて…。香菜ちゃん、
君は俺が何もしてないって信じてくれるよね!?」
「た、確かにセンパイと克美さんは恋人同士ですけど、だからと言って、隣の部屋にわた
したちがいるのにそういうことをするのは…」
 ああっ、香菜ちゃんにも信じてもらえない!とその時、俺に抱きついて眠っていた克美
さんがようやく目を覚ました。よくこの騒ぎの中で寝れてたな…。
「ふにゃあ?あっ、おはよう健吾くん…」
「お、おはようじゃないですよ!なんで克美さん、俺と一緒の布団で寝てるんですか!」
 もう焦りまくっている俺が聞くと、克美さんは顔を赤くしながらこんな風に答えた。
「だぁってぇ、健吾くんってば昨夜ボクにあんなことするんだもん、とても一人じゃ寝れ
ないよぉ」
「健くん、やっぱり克美さんに何かしたのね!?何したの?言いなさい!」
 いつになく喜久が怖い。
「だああっ、したって言ってもそんなものすごいことじゃなくて…!」
「朝っぱらからうるせーぞおめーらぁ!」
 そんな声と共に部屋の戸が開いた。そして入ってきたかっぽう着姿の人間は薫…ではな
くて仁だった。
「じ、仁?どうしたんだそのカッコは?」
「いや、その、いろいろあってな…。それよりみんなして朝からうるさいよ!こっちは朝
早くから宿の仕事の手伝いをさせられてるのに…」
「どうして間さんが手伝ってるんですか?」
「え、えっと、それはね…」
「おい仁!健吾たちを注意したらとっととこっち来い!仕事はまだまだあるんだぞ!」
 台所の方から薫の声がした。そうか、仁が薫に仕事をさせられてる理由がわかったぞ。
きっと夜這いしたことをばらされたくなかったら…とか言われたんだろう。
「はいはいただいま〜!というわけで俺は行くけど、みんな、気をつけてくれよな」
 そう言って仁は行ってしまった。これでやっと落ち着いたと思いきや、また喜久が俺に
言ってきた。
「さて、健くんと克美さんが昨夜何をしたか、まだ聞いてなかったわよね?いったい何を
したのかしら?正直に吐きなさい、健くん!」
 ああ、やっぱり今日の喜久は怖い…。それで彼女や香菜ちゃんに昨晩の出来事を説明す
るのに、かなりの時間と労力を俺は費やしてしまった。肝心な部分はぼやかしながら、ご
まかしごまかしだったので、余計に疲れてしまった。

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