K’sストーリー第五章 絆、もっと強く(2)
 その二日後、俺は片瀬先生のアシスタントをするために、先生の家にやって来た。玄関
のチャイムを鳴らすと、中から克美さんが出迎えてくれた。
「健吾くん、こんにちは。あー、なんだかすっごい久しぶりって感じだなあ」
「こんちには克美さん。でも久しぶりって、昨日一日会わなかっただけじゃないですか。
しかも、電話で話しましたし」
「でも、それまで夏休み中ほとんど毎日会ってたから、ボクにはその一日が長く感じられ
たの。まあ、家でゆっくりしてたからボクの風邪もすっかり治ったけどね。だから健吾く
ん、残り十日ぐらいの夏休み中にまたどこか遊び行こうよ?」
「そうですね。克美さんは受験生だから、あと一回が限度でしょうけど。遊びじゃなくて
も、夏休み前半にやったみたいに図書館で一緒に勉強、もできますし」
「うん、そうだね。あっ、お父さんなんだけど、ちょっと予定よりもずれ込んじゃってる
んだって。だから、ちょっと待っててもらってくれって言われたの。だから健吾くん、そ
の間リビングにいて」
「はい、わかりました」
 それで俺はこの家のリビングに通された。そこで克美さんにお茶を入れてもらったのだ
が、そこで彼女がこんなことを言ってきた。
「ねえ健吾くん、ボク、お願いがあるんだけど」
「お願い?何ですか?」
「うんとね、ボクね、健吾くんの部屋の鍵が欲しいの」
「えっ、お、俺の部屋の!?なんでですか?」
「これまでも、健吾くんの部屋に行ってお掃除とかお洗濯とかしてあげてたでしょ?今は
健吾くんがいる時しかそれできないけど、部屋の鍵を持ってれば、留守の時でもできるな
あって、そう思ったの」
「でも、今でさえそういうことしてもらって悪いなあって思ってるんですよ俺。この家の
家事もあるし、何よりも克美さん受験生だし…。それが、もっとその回数を増やしてくれ
るってことでしょう?ますます悪いですよ」
「ボクがやりたいからいいの。ねぇ健吾くん、おねがぁい」
 克美さんが甘えた声を出す。ダメだ、この声にはかなわない。それで俺は言った。
「わかりました、渡しますよ。これ、スペアキーなんで、預けておきます」
 そう言って俺はアパートの部屋の鍵を克美さんに渡した。
「ありがとう。えへへ、借りちゃった」
 そう言って鍵を見る克美さんは、なんだか嬉しそうだ。その時、家の奥から人が出てき
た。もちろん、片瀬先生だ。
「ああ東くん、来てたんだね。すまなかったね、待たせることになって」
「いえ、克美さんと話してたから大丈夫です」
「そうか。こちらはようやく君に仕事を割り振れる段階まで来たよ。というわけで、これ
から頼むよ東くん」
「はい、先生」
「じゃあ二人とも、お仕事がんばってね」
「はい、克美さん」
 というわけでその日の俺のアシスタント業務が始まった。そして先生の指示で仕事をし
ていたのだが、もうすぐお昼になろうかという時、不意に俺の携帯電話が鳴った。
「ん、香菜ちゃんから?すいません先生、ちょっと出ます」
 そう先生に断ってから、俺はその電話に出た。
「もしもし、健吾ですけど。香菜ちゃん、何か俺に用?」
「あっ、センパイ!大変なことが起きたんです!今どこです!?」
「今?克美さんの家だけど…大変なことって、何?」
「アパートが、センパイの住んでるアパートが…!」
「えっ?俺のアパートがどうしたの?」
「とにかく大変なんです!急いで戻ってきてください!」
「えっ?ねえ、ちょっと香菜ちゃん!…切れた…」
 それで電話は切れてしまった。今の会話じゃ、何がどう大変なのかこれっぽっちもわか
りゃしない。とは言え、香菜ちゃんがあそこまで取り乱すなんてもしかしたらよっぽどの
ことなんだろうか。そんなことを考えていると、先生が俺に言ってきた。
「どうした東くん、そんな怪訝そうな顔をして?原因は、今の電話かい?」
「ええ、そうです。俺が住んでるアパートの大家さんの娘さんからだったんですけれど、
そのアパートに大変なことが起きたから急いで帰ってきてくれって…。でも、先生の手伝
いしてる途中で帰るわけにもいかないしなあ…」
「わざわざ電話してくるぐらいだ、もしかしたら本当に一大事かもしれんぞ。こちらのこ
とはいいから、一度帰りなさい。この家から歩きで十分ぐらいなんだろう?」
「先生がそう言うんでしたら…。でも、何が起きたのか確認できたらすぐにここに戻って
きます。だから、荷物なんかはここに置いたままにしておきますね。じゃあすみません、
行ってきます」
 そう先生に言って俺はこの仕事場から出ていこうとドアを開けたのだが、ちょうどその
時ドアの向こうに克美さんがいた。
「わっ、びっくりした!あれ?どうしたの健吾くん、そんなに慌てて?」
「すいません克美さん、俺、一度アパートに戻ります」
「えっ?何かあったの?今、お昼ご飯できたところなんだけど…」
「ごめんなさい、もしかしたら食べてる場合じゃないかもしれないんです。戻ってきてか
ら、いただきますから!」
 俺にそう言われてあっけに取られている克美さんを残し、俺は自分の部屋へと急いだ。

 さて、香菜ちゃんからの謎の電話で住んでいるアパートに帰ることにした俺だったが、
部屋に近づくにつれ、道に人が多くなってきていることに気づいた。見ると、中には警察
の人間もいる。これは本当に何かあったのだろうか。そしてその「何か」が何なのかは、
アパートの様子を見て判明した。
「壁に車が…めり込んでる!?」
 俺はがく然とした。建物に、大きなトラックが突っ込んでいた。このアパートは二階建
てで、一つの階には部屋は四つ、全部で八つの部屋がある。俺の部屋はその一階の東端に
あるのだが、そことはちょうど反対側、道路に面した一階西端に、車が正面から激突して
いた。これはかなり大きな事故だ。そうか、ここに来るまでにいたたくさんの人たちは、
この事故を見に集まった野次馬だったんだ。もちろん、今のこの場所にも多くの野次馬が
いる。
「あっ、東センパイ!」
 その声の後、人ごみの中から香菜ちゃんが俺の方に走ってきた。
「ああっ、香菜ちゃん。ねえ、これっていったい何なのさ!?」
 俺は声を荒げてたずねた。
「警察の人の話だと、運転手が、居眠り運転だか何だかで運転をミスったとのことなんで
すけど…」
「なんでよりによってこのアパートに突っ込むんだよ…。だけど、あの部屋の人には悪い
けど、被害にあったのが俺の部屋じゃなくてよかったかな。俺の所は、全然大丈夫みたい
だし」
「えっと、そのことなんですけど…」
 香菜ちゃんが、申し訳なさそうに言ってきた。
「実は、センパイが来る前に建設会社の人が来て調べていったんです。そうしたら、一見
何ともないように見えるセンパイの部屋も、ゆがみが生じてたリ、それにもともとこの建
物自体かなり老朽化していたのもあって、住み続けるのは危険だという話なんです」
「えっ?」
「一番遠いセンパイの部屋がそういう状況ということは、当然、他の部屋も同じような、
あるいはそれ以上の問題があるわけで…。それを聞いたお母さん、それじゃあいっそのこ
と建て直そうって言い出して…」
 俺の顔から血の気が引いていった。
「じゃ、じゃあ、ここに住んでる人は!?」
「すみませんが、どこか別の所に…。建て直された時は、優先的に今の住人に部屋を貸す
ようにするってお母さん言ってましたけど…」
「そんな数ヶ月先の話してもしょうがないんだよ!それまでの間、どうすりゃいいんだよ
俺!?」
「ご、ごめんなさいセンパイ…!」
 興奮した俺の大きな声に、香菜ちゃんが謝った。
「あっ、いや、君は悪くないんだけど…ごめん、怒鳴って。だけど、実際問題として本当
にどうすりゃいいんだ俺…」
「すみませんセンパイ、わたしでは、力になれることはできなさそうです…」
「だから、香菜ちゃんのせいじゃないってば。あっ、大家さん」
 俺は、人ごみの中で話をしているこのアパートの大家さん…つまり香菜ちゃんのお母さ
んを見つけたので近づいていって話しかけた。それで、さっき香菜ちゃんが言ったことが
本当であることに加え、その詳細を聞いた。その中で一番重要なのは、この建物の取り壊
しが一週間後だということだった。つまりそれまでに俺−もちろん他の住人もだけど−は
次の住家を探してそこに引っ越さなければならない。どこかあてはないかと大家さんに聞
いてみたが、他に経営しているアパートもない大家さんには伝はないとのことだった。そ
してここでそれ以上の進展はなく、今日の事故の事後処理などがあると言って、そのまま
大家さんは行ってしまった。
「はあ、まいったなあ…。けど、ここでうじうじ言っててもしょうがないか。俺、これか
ら不動産屋回ってみるよ。香菜ちゃん、今日は連絡ありがとう」
「いえ、わたしにはそれぐらいしかできませんから…。センパイ、部屋探しがんばってく
ださいね」
「ありがとう。それじゃ、さよなら」
 そう言って俺はここから離れ歩き出した。と、ここで俺はある人物に今日あった出来事
の報告と今後のことについての相談をするべきだなと思った。その人物とは、今は京都に
いる俺の親父。恥ずかしい話だが、アパートの家賃(およびその他生活費の大半)は親父
に払ってもらっているのが現状だ。だから俺は電話をかけた。すると、出てくれた。
「珍しいな健吾、おまえの方から俺に電話してくるなんて。何かあったのか?」
「ああ、実は…」
 それで俺は、ことのあらましを話した。
「はーあ、そいつはとんだ災難だな」
「そうなんだよ…。条件に合う部屋が見つからなかったらどうしよう…」
「どうしようって言われてもな…。そうだ、その時は、いっそのことこっちに来たらどう
だ?転校も、今からでも遅くはないだろ」
「もう高校生活半分終わってんだよ!どう考えても遅えだろ!」
「…やっぱりそうか?じゃあ、鬼賀さん家に住まわせてもらうとか。将来の義理の息子の
頼みだ、きっと聞いてくれるさ」
「ちょっと待て親父。やっぱりあんたも勘違いしてる口みたいだから言うけどな、俺と喜
久は恋人同士なんかじゃない。俺は他に付き合ってる女の子がいるんだよ」
「えっ、そうだったのか?じゃあ、その娘の所に居候させてもらうとか…」
「できるか!」
「だよな。それは冗談だとしてもだ、とにかく必死こいて部屋探せ。今の部屋だって、探
し始めて三日で見つけたんだろう?今回もどうにかなるさ。部屋決まったら連絡よこせ。
これまで通り金は出してやるから。遠く離れてるし、俺にできるのはそれぐらいだ」
「…わかった、がんばる。それじゃまた電話するよ」
 こうして親父との電話は終わった。が、ここで俺はもう一人連絡するべき人がいたこと
を思い出した。
「片瀬先生にも、話しておかないと…」
 というわけで、俺は先生を電話をかける。
「はい、片瀬ですが。東くんかい?いったい、どういう状況になっていたんだい?」
「あの…それが実はですね…」
 俺は親父に話したと同じように、先生にも今日の出来事を話した。
「なるほど、話はわかった。思った以上に重大なことになっていたというわけだね」
「そうなんですよ。それで、すみませんが俺、これから部屋探しに行こうと思うんです。
先生の手伝いを放棄することになって、本当に申し訳ないんですけど…」
「まあ、場合が場合だから仕方がないさ。こっちの方は心配しなくていい」
「ほんとうにすいません。あと、克美さんって今家にいますか?いたら、先生からこのこ
とを話しておいてもらいたいんですけど…」
「ああわかった。いるから、話しておくよ」
「すいません、お願いします。それじゃあ」
 これで片瀬先生への連絡も終わった。
「…さて、それじゃしょうがない、行くかあ…」
 そして俺は、とぼとぼと不動産屋巡りを始めたのだった。

 そんなわけで俺は近辺の不動産屋を回ってみた。しかし、なかなか今住んでいるアパー
トに匹敵する条件の物件は見つからなかった。一応、何ヶ所か候補は挙げてみたが、いず
れも今の部屋に比べると学校から離れ過ぎてたり、家賃が高かったりという物だった。
「うーん、あれぐらいで妥協するしかないのかなあ…。あるいは親父が言ったように、喜
久の所で世話になるか…その時はやっぱり、店の手伝いもしなきゃな。…あれ?そういえ
ば、今の部屋ってどうやって見つけたんだっけ?」
 それで俺は、高校入学直前の出来事を思い出してみた。
「…そっか、住宅情報誌でたまたま見つけたんだっけ…。で、かなりの好条件だったから
さっそく電話かけてみたら、香菜ちゃんが出てお互いびっくりしたよなあ…。香菜ちゃん
のお母さんが大家さんやってるアパートだったの、本当の偶然だったし…」
 そんな風に昔のことを回想してみた後で俺はつぶやく。
「…もう五時だし、とりあえず、今日のところは部屋に帰るか…」
 そうして俺はあと一週間しか住めない例のアパートに帰った。もう事故の野次馬なんか
はいなくなっており、アパートに突っ込んだトラックも撤去されていた。残されたのは壁
の大穴だけで、ひとまずビニールシートが掛けられていた。その部屋の横を通り過ぎ、自
分の部屋の前まで来たのだが、玄関の鍵を開けようとしたところ、すでに開いていた。
「えっ?なんで?…まさか空き巣か!?」
 それで俺はゆっくりドアを開けた。もしも本当に空き巣で、しかもそいつがまだ中にい
るとしたら…そう考えて、静かに中に入っていった。だが、そこにいたのは空き巣なんか
じゃなかった。
「あっ、健吾くんお帰り〜。ボク、待ちくたびれちゃったよ」
「克美さん…?ああそうか、克美さんにこの部屋の鍵渡しておいたんだっけ…」
 俺はそのことをすっかり忘れていた。事故と部屋探しのせいだ。そんな俺に、克美さん
が言ってくる。
「お父さんから聞いたんだけど、なんだか大変なことになっちゃったんだね…。新しい部
屋、見つかった?」
「一応、候補はいくつか…。でも、どれもここに比べて今一つで決められないんですよ。
ところで克美さん、ここで何してるんです?」
「健吾くん、ボクの家に荷物置きっぱなしで出ていっちゃったでしょ?お父さんに持って
いってあげなさいって言われたから、持ってきたの。あと、ついでに部屋のお掃除」
「ああ、そうでしたか。すみません克美さん」
「いいっていいって。でも、この部屋、あと一週間で住めなくなっちゃうんだよね?せっ
かく鍵もらったのに…」
 そう残念そうな声で克美さんが言ったその時−。
(グウウウウウウウウッ…)
 妙な音がした。
「えっと…今のはボクのじゃないよ。健吾くんのおなかの音だよね?」
「そ、そうですね…。そういや、昼メシ食わないで克美さんの家出てきちゃったし、部屋
探しの最中もパン一個食っただけだし…」
「それじゃあおなかも減るよね。そうだ、今からボクん家来なよ。健吾くんのお昼ご飯が
残ってるし、それで足りなければ、晩ご飯もボクの家で食べてっていいから」
「いいんですか?それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「よーし、そんじゃ、行こ行こ」
 というわけで、俺は克美さんと一緒に再度彼女の家へ。家には片瀬先生がいた。
「おや東くん。どうだい、部屋は見つかったかい?」
「いえ、実はまだ…。それより、仕事手伝えなくて、すみませんでした」
「そのことはいいさ。これまでにも、アシスタントなしでやってた時期はあったし、今日
も簡単な作業は克美にやってもらったしね。ところで、君の住む場所についてちょっと考
えがあるんだが…」
「ああお父さん、何か知らないけどその話は後!健吾くんおなか空いてるんだから、ごは
ん食べさせてあげるの!」
「そうか。まあ、食べながらでも話はできるからな。それじゃ克美、食事の用意をしてあ
げなさい」
「うん」
 こうして食卓に、俺が昼に食べるはずだった料理が温め直されて用意された。ずいぶん
と久しぶりに食べるまともな食事のようが気がして、俺はそれらをむさぼり食った。
「健吾くん、おいしい?」
 俺と同じくテーブルについた克美さんが聞いてくる。
「もちろんですよ。あー、いつでも克美さんの料理はうまいけど、腹減ってるからいつに
も増してうまい!」
「それで東くん、君の住居だがね…」
 食卓の向かいに座っている先生が言ってきた。
「ふぁい、何でひょう?」
 俺は料理を食べるのを止めもせず、口に物が入ったままで先生に聞く。
「君から電話を受けてから、考えたんだ。東くん、この家に住んでみないか?」
「ぶほっ、ぶほっ!」
 先生の言葉に、俺はむせた。
「な、何ですって〜?」
「知っての通り、この家には私と克美の二人しか住んでいないんだが、部屋が余っている
状態なんだよ。だからその空いている部屋にどうかと思ったんだが…。家賃は、君のいい
ようで構わない。アシスタント代からいくらか引かせてもらう形でもいいしね」
「しかしですよ…」
 そう言って俺は克美さんのことを見た。
「ああ、克美のことか?別に二人きりの同棲生活というわけでもないし、一つ屋根の下に
住むということになっても大丈夫だろう。それに、私も家にいることの方が多いしね」
「それはそうかもしれませんが…」
「健吾くんは、ボクと一緒に暮らすのが嫌なの?」
 克美さんがそんなことを聞いてきた。それで俺はこう答える。
「いえ、嫌なわけじゃないですし、どちらかと言えばそうなったら嬉しいかなって…」
「じゃあ、そうしようよぉ。ボクも健吾くんと一緒にいたぁい」
 また克美さんが甘えた声を出してきた。先生も俺のことを見ている。そんな状態で、俺
はしばらく考えた。そして、結論を出した。
「わかりました、ご好意に甘えさせていただきます」
「おお、そうかね」
「やった!健吾くん、この家に住むんだね!ボク嬉しい!」
「で、これから俺の父に連絡してみます。まあ、反対はされないでしょうけど…」
「君のお父さんか…。そういえば、仕事の都合で京都に行っていると聞いたが、何の仕事
をしているんだね?」
「えっと実は…あの、先生は、東山健二郎って知ってますか?」
「ああ、テレビの時代劇によく出てる役者だな。結構見るよ。たまに現代劇にも出ている
な。確か私と同じぐらいの世代で…って、ここでその名を出すということは、まさか…」
「ええ、実は、それが俺の父親なんです」
「えーっ!!」
 克美さんが大きな声を出した。先生も声には出さなかったが驚いたようだった。
「あの人が健吾くんのお父さんだったの!?えっ、でも、名字が…」
「東山健二郎ってのは芸名で、本名は東健治っていうんです」
「まさか君のお父さんが芸能人だったとはね…。言われてみれば君の顔は、アイドル時代
のあの人に似ている…。なぜこれまで言わなかった?」
「隠してたわけじゃなかったんですけど、言う必要もないかなって…」
「まあ、それはそうだが…。では、京都に行った理由は…」
「向こうでの時代劇の撮影が多いから、ってところです。とにかく、電話しますね」
 それで俺は食卓から離れて、台所の隅で携帯から親父に電話をかけた。仕事中だったら
どうしようかと思ったが、出てくれた。
「おう、俺だ。どうだ健吾、部屋見つかったか?」
「ああ。結局、あんたが言った通りになりそうだ」
「俺が言った通りって…鬼賀さんの所に居候か?」
「それじゃなくて、その後に言った方。付き合ってる女の子の家に住まわせてもらうこと
になりそうなんだよ」
「マジかよ?二人きりか?同棲か?」
「いや、家族と同居。って言っても、彼女と、そのお父さんの二人だけど」
「ふーん、そうなのか。ま、いーんじゃねーの?それで、そのお父さんって今そこにいる
のか?いたら代わってもらいたいんだが」
「わかった、ちょっと待っててくれ。先生、父が代わってほしいって言うんですけど、出
てもらえますか?」
「ああ、いいよ」
 それで俺は先生に電話を手渡した。
「はじめまして、片瀬光太と申します…」
 先生と親父が話をしている間に、俺はテーブルに戻った。食べ掛けになっていた食事を
食べるためだ。
「ははははは、それもいいかもしれませんなあ」
 先生がそんな風に笑っている。いったい俺の親父と何を話しているんだろう。そしてそ
のうち、先生が電話を終えた。
「電話を返すよ東くん。それで、君のお父さんに了承を得た。東くんがここに住むことに
問題はないそうだ」
「そうですか。それはよかったです。しかし、まさかこんなことになるとは…」
「何が起きるのかわからないのが人生だよ東くん。さてそれでは詳しい話をしようか。こ
ればかりは食事をしながらではない方がいいな。早いところ食べてしまいなさい」
「わ、わかりました」
 というわけでその後、俺が片瀬家に住む話がどんどん進んだ。ああ、克美さんと一緒に
生活できるのは嬉しいけど、俺はこれからどうなってしまうんだろうか…。

 その後、話はとんとん拍子に進み、例の事件のあった日から三日後には、それまでのア
パートを引き払い克美さんの家に引っ越すことになった。今、その真っ最中だ。不要な物
は捨てたりリサイクルショップに売ったりしたため、最終的に持っていく物は思ったより
も少なくなった。その上距離も近いので引っ越し業者に頼むなどということはせず、克美
さんの家にあったリアカーに積んで、自分で運ぶことにした。その際、さすがに俺一人で
は無理なので、助っ人を頼んだ。
「仁、このタンスで大物はラストだ」
「そうか、じゃあさっさとおまえの部屋に運ぶぞ」
 そう、俺が助っ人に頼んだ人間とは仁だったんだ。家の前までリアカーで運んだタンス
を、克美さんの部屋の隣のこれまで空き部屋だった部屋に運び込む。それが完了すると、
仁はフローリングの床に座り込み、言った。
「あー疲れた。なあ健吾、この家に住まわせてもらうのに、金払うわけ?」
「そりゃもちろん。まあ、家賃と食費合わせて月三万円だけどな」
「ムチャクチャ激安じゃねえかそれ!いーなー、俺も住みてーよ」
「その代わり、必要とあらばいつでも先生の仕事の手伝いをするのが条件だ。場合によっ
ちゃ、寝てても叩き起こすって言われた」
「それは、結構ハードだな…。それにしても、一昨日“鬼賀屋”で香菜ちゃんからおまえ
に起こった災難の話を聞かされた時は驚いたぜ。さらに、その直後におまえ本人が来て、
『引っ越し先と引っ越し日が決まったから手伝え』なんて言われてさらに驚いた。おい健
吾、前のアパートとこの家を何往復もさせたんだ、それなりの代償は払ってもらうぞ」
「わかってるって。四往復だから、四回メシおごるよ」
「それだけじゃ足りねえなあ。おまえだけが知ってる、喜久さんのマル秘情報よこせ」
「喜久…喜久か…」
 その名前を聞いた俺は、少しテンションが低くなった。それに気づいた仁が言う。
「ん?どうした健吾?あ、俺に教えられるネタがなくて困ったとか?」
「そうじゃないよ。一昨日、俺がこの家に住むことになったってことを“鬼賀屋”で喜久
に話した時、彼女が何て言ったか覚えてるか?」
「えっ?えーっと…『あーら、そうなの?住むとこ決まったんだ。克美さんと仲よく暮ら
せることになってよかったじゃない』…だったっけか?」
「そう、そんな感じ。その口調がさ、まるで軽蔑するような刺々しい言い方に聞こえたん
だよ。おまけに、目はなんだかさげすんだような目に見えたし…。そう、『家族でもない
男女が一つ屋根の下に住むなんて不潔よ』って言ってるみたいでさ…」
「考え過ぎだ。喜久さんはそんなこと思うような女の子じゃない。それに、もし万が一そ
んな風に彼女に軽蔑されても、おまえには克美さんがいるんだからいいだろ」
「よかないよ!いくら恋人じゃないって言ったって、約17年間、友達として仲よくやっ
てきたんだ。その彼女に嫌われるなんて嫌だ」
「まあその気持ちはわかるぜ。俺も本命は喜久さんだけど、その他、知り合いの女の子全
員と仲よくやってきたいって思ってるしな」
「なんか、それは微妙に意味合いが違うようにも思えるけど…」
「そうか?とにかくだ、そんな風に長い付き合いなら、これぐらいでおまえのこと嫌った
りしないよ彼女は。もしも嫌われかけたら、俺がフォローしてやるから」
「仁、おまえっていいヤツなんだな」
「今さら何言ってやがる。その代わり、俺と喜久さんがくっつけるよう、おまえにもこれ
まで以上に協力してもらうからな」
「わかってるって」
 俺がそう言った時、階下から声が聞こえた。
「健吾くーん、仁くーん、お昼ご飯だよー!」
「克美さんが呼んでるな。行こうか、仁」
「ああ。あっ、言っとくけど健吾、この昼メシは四回のおごりにカウントしねーからな」
「わかったわかった」
 そうして俺たちは一階のキッチンに行って、克美さんや片瀬先生と一緒に昼メシを食べ
た。その途中に、仁がこんなこと言い出した。
「それにしても相変わらず克美さんの料理はうまいなあ。健吾、おまえこれから毎日この
手料理食えるわけだろう?うらやましいぜこんちくしょう!」
「確かに、俺も自分でそう思う。これまでの俺の食生活、かなりアレだったからなあ…」
「そんなにひどかったのかね、東くん?」
 先生がそう聞いてきたので答えようとしたところ、克美さんが先に口を開いた。
「確かにひどかったよ。ご飯作りに行っても食材がほとんどないことの方が多かったし、
缶詰とコンビニのお弁当が主食みたいな生活だったよね?」
「ええ、まあ、そうですね…。あとはよく食べるのは、“鬼賀屋”のラーメン…」
「おまえ、だからガリガリなんだよ。つっても、今後は逆に太りそうだけどな。健吾、太
るだけじゃダメだぞ。筋肉はいいけどぜい肉はダメだ」
「わかったよ仁。まったく、少しばかり自分がマッチョだからって…」
「まーまー健吾くんも仁くんも、とにかく楽しくおいしく食べようよ、ね?」
 克美さんがそう言ったその時、この家の玄関のチャイムが鳴った。
「あれ?お客さんかな?はーい」
 そう言って克美さんが玄関に行ったんだけど、すぐさま慌てて戻ってきた。
「健吾くん、お父さん!健吾くんのお父さん!」
「はあっ?俺の親父ですか!?」
 それで俺は玄関に出た。確かに帽子をかぶりサングラスをかけた一人の男性がいた。そ
して俺を見ると、それらを外した。帽子の下から、スキンヘッドの頭が現れる。
「よー健吾、久しぶりだなあ、こうやって直接顔合わせるのも」
「確かに久しぶりだけど…なんで何の前触れもなく来るんだよあんたは?」
「たまたまこっちで仕事があったから、寄ってみたんだよ。それにしても、かなりいい家
じゃねえか。この家の持ち主は、よっぽどの金持ちなんだな」
「私がその持ち主ですが」
 いつの間にか、奥から先生が出てきていた。先生が親父に言う。
「先日電話でお話しました、片瀬光太です。改めてはじめまして、東山健二郎さん。テレ
ビでよく拝見させてもらってますよ」
「そいつはありがたいですねえ。ですが、今日は俳優東山健二郎ではなく、東健吾の父、
東健治として参上したんで。あっ、これはつまらない物ですが、京都名物の和菓子です」
「これはこれは、わざわざすみません」
「本当につまらない物ですよ。大漫画家の片瀬光太さんのお口に合うかどうか…」
「親父、片瀬先生が漫画家だってこと知ってたのか?」
「電話で名前聞いて、もしかしたらと思ったんだよ。おまえも漫画家志望だしな。それで
調べてみたらやっぱりそうだった。片瀬さん、うちのバカ息子をよろしくお願いします」
「うるせーよ親父。俺がバカならあんただってバカだろう。役者バカ。おまけにハゲ」
「これはハゲじゃなくて剃ってるんだ。時代劇のカツラをかぶりやすいようにな。ずいぶ
ん昔からこうなんだから、それぐらいおまえも知ってんだろ?」
「はいはい、知ってますよ。だからさっさと、帰った帰った」
「おいおい東くん、とても父親に対する口の利き方ではないなそれは」
「いいんですよ片瀬さん。私たち親子は、昔からこんな風でしたから。さて、それでは今
日はこの辺で失礼します」
「もうお帰りですか?せっかく来られたのですから、お茶の一杯でも…」
「お心遣いは嬉しいのですが、これからドラマの撮影がありまして…。健吾、今度時間が
取れたら、一緒にメシでも食おうぜ」
「あ、ああ。じゃあな、親父」
「ああ。では、失礼します」
 そう言って親父はこの家を去っていった。片瀬先生が俺に言う。
「意外と軽い性格のようだな、君のお父さんは。テレビで見る渋い東山健二郎とは、一線
を画している。だが、わざわざ来てくれるなんて、いい父親じゃないか」
「本当にいい父親だったら、子供置いて自分ら夫婦だけ京都に行ったりしませんよ」
「むっ…それは、そうかもしれないが…」
「あっ、もうこんな時間か。早くメシ食って、部屋の片付けやらないと」
 そう言って俺は玄関からキッチンに戻り、食べ掛けだった昼メシを食べた。そしてその
後、仁と二人でこの家に持ち込んだ荷物の整理などをしたのである。

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