K’sストーリー第六章 健吾と古の都(5)
 翌日の早朝、三日間過ごした京都を発ち、俺たちは奈良へと移動した。五日目の日中は
団体行動だったのだが、京都同様、お寺や遺跡ばかりで俺的にはあまり面白くなかった。
前日の夜にルームメイトから克美さんのことを根掘り葉掘り聞かれたせいであまり寝てい
なかったというのもあり、ただただ、ひたすらに眠かった。
 奈良で泊まるのはホテルだった。場所は奈良駅から歩きで五分。広島や京都で泊まった
旅館と違い、一部屋に収容できる人数が最大でも四人と少ない。俺たちはその最大人数で
ある四人部屋に泊まることになったのだが、一クラス分の男子が丸々ぶち込まれていたの
に比べるとかなり寂しい感じがした。
「ふーう、ようやく明日で旅行も終わりかあ」
 これまで旅行中に使っていた布団とは違う、ふかふかのベッドの上で大の字になりなが
ら俺はそう言ってみた。なんだか長く感じたのは、克美さんに会えないせいもあったのだ
ろう。そんな俺に、仁が聞いてくる。
「なあ健吾、明日は、朝この旅館を出たら、後は夕方4時まで自由行動だよな?」
「そうだな。最終日に自由行動ってのもどうかと思うんだけど…新幹線の時間に遅れたら
どうするんだよ?」
「遅れたヤツは自力で帰れって言われてるよな。東京までの新幹線の自由席切符を前もっ
てもらってるから、それがあれば、とりあえずどうにかできるし」
「ずいぶん乱暴だよなそれも…」
「まあ、そうなりたくないヤツは時間に遅れるなってことだろ。で、おまえは誰と行くと
か決めてるのか?」
「んー、決めてない。やっぱり適当にこいつらとか、他のクラスメイトとブラブラするか
な。そういうおまえは…あっ、まさかおまえ、また近藤さんとかのグループと約束してる
んじゃないだろうな?」
「惜しい。確かに女の子と約束はしてるけど、彼女たちじゃない」
「また違う女の子かよ…。で、今度は誰なんだ?」
「それがさ聞いてくれよ健吾。このホテル、俺たちの学校だけじゃなくて違う高校の生徒
も泊まってるだろう?で、別の高校の女の子に話しかけてみたら、俺たちと同じく東京か
ら修学旅行に来たんだと!しかも彼女らの学校、明日は一日フリー!てなわけで、俺はそ
の娘と一緒に奈良の街を散策する」
「とうとう現地調達しやがったか…って、もしかしてまた、向こうが二人だからおまえも
来い、とか言うんじゃねえだろうな?」
「あー、言わない言わない。誘いに乗ってくれたの、一人だけだし」
「ならいいんだけど…。それより、時間にだけは気をつけろよ。さっき言った新幹線への
乗り遅れ、おまえが一番やりそうだから」
「平気平気、その辺りはしっかり線引くから。それより最後の夜なんだ、何かしようぜ」
「それじゃあちょうど四人いるし、麻雀だ!マグネット式の持ってきてるんだ」
 そう言ってルームメイトの一人が自分のバッグの中から携帯用の麻雀セットを取り出し
た。それを見て俺は言う。
「俺、麻雀なんてできねえよ。ルール知らないし…」
「そんなのやりながら覚えろ!ほら、始めるぞ!」
 そんな強引な仁、そして残りの二人に付き合わされて、俺は夜遅くまで初めての麻雀を
することになってしまったのである。ああ、また今夜も寝不足…。

 長かった修学旅行も、いよいよ最終日となった。夜遅くまでの麻雀のせいで寝ぼけなが
らの朝食の後にホテルを出た俺たちは、一度奈良駅へ。そこで解散後、必要な物以外は駅
のロッカーにぶち込んで、最後の自由行動に出かける。
「それじゃ俺、一度さっきのホテルに戻るから。そこで待ち合わせてるんだ」
 それだけ言うと、仁は一人でさっさと行ってしまった。それを見送った俺は、今日一緒
に出かけるメンバーに向かってこう言った。
「じゃあ、俺たちは俺たちで出かけるとするか」
「そうだな。男五人で華がないけど」
 そして俺たちもその場を離れようとしたのだが、その時、何人かの女の子が俺に向かっ
て走り寄ってくるのが見えた。あれは一昨日一緒に出かけた例のグループだ。当然、その
中には近藤さんもいる。
「はあ、はあ、はあ…おはよう、東くん」
「お、おはよう。みんなどうしたの、そんなに息急き切って?」
「はあ、はあ…ねえ東くん、仁くんどこに行ったか知らない?」
「仁?えーっと…知ってるけど、言っちゃっていいのかな…」
「何、何かあるの?話しなさいよー」
 うっ、女の子たちが俺をにらんでいる…。これは隠すと俺にまで被害が及びそうだ。そ
う思った俺は、正直に話すことにした。
「えっと…昨夜泊まったホテルでナンパした別の学校の女の子と一緒に出かけた…」
「えーっ、何それーっ!?東くん、どうして止めなかったのよ!?」
「俺が止めたってやめるような男じゃないよあいつは。だから…」
「それでもとりあえずは止めてほしかった!で、彼、どこに行くって言ってた!?」
「そ、そこまでは…でも、その娘と落ち合うのに一度昨夜泊まったホテルに戻るって言っ
てたから、今から行けば追いつけるかも…」
 それを聞いた女の子たちはお互いの顔を見合わせたのだが、そんな彼女たちに、俺と一
緒に出かける予定の連中の一人が言った。
「ねえみんな、仁なんてほっといて、俺たちと行かない?人数もちょうど五人ずつだし」
「あんたたちなんかお呼びじゃないの!みんな、行くわよ!」
「おーっ!」
 そう言って女の子たちは走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってみんな!そりゃないよーっ!行くぞみんな!」
「おうっ!」
 そして、俺を除く四人の男も走り出す。
「おまえらこそ待てー!俺を一人にするなー!」
 俺は走り去る連中に向かってそう叫んだが、そいつらは俺の声を聞きもせず遠くに行っ
てしまった。というわけでここには俺だけが残った、と思いきや−。
「行っちゃったわね、みんな…」
 一人、女の子が残っていた。近藤さんだった。俺は彼女に聞いてみる。
「近藤さんは、他の娘と一緒に行かなかったんだ?」
「うん。やっぱりグループだし一緒に行くべきだったんだろうけど、わたしはそれほど間
くんに執着してないしって考えもあって迷ってたら…置いてかれちゃった」
「ははっ、そういう時は、とりあえずついてかなきゃ」
「そう言う東くんだって、取り残されてるじゃない」
「うっ…」
 俺は言葉に詰まってしまった。そして少しの間があり、その後で俺が口を開いた。
「…で、この後どうしようか?さっきのみんな追いかける?」
「そうね、近いし、とりあえず行ってみましょうか。合流できなかったら、その時考えま
しょう」
「よし、それじゃ行こう」
 というわけで俺と近藤さんは行ってしまったみんなを追いかけてホテルに向かった。そ
して、見つけた。仁&他校の娘も含め、ホテルの前で総勢十人が何やら言い争っているの
を。俺たちは遠くからその様子を見ていたが、そのうち、近藤さんが一言言った。
「…なんか、修羅場みたいね…」
「そうだね…。どうする、合流する?」
「…やめといた方がよさそうな気がするわ」
「同感だね。それじゃこの後、どうしようか?」
「そうね…もういっそのこと、二人で出かけない?」
「あっ、言っとくけど、俺には…」
「彼女がいることはわかってるってば。でも、今日一日一緒にいるぐらいいいでしょ?」
「うーん…そうだね。いくらなんでも、お互い、一人で行くのは寂しいし」
「決まりね。それじゃ早く行きましょう。予定外のことが起きて、時間ロスしちゃってる
んだから」
「う、うん」
 こうして俺はこの修学旅行最終日、近藤さんと二人で奈良市内に出かけることになった
のである。とりあえず、近藤さんのグループで行く予定になっていた場所に行って、そこ
を見学した。例によってそれほど俺の興味を引く物はなかったが、近藤さんは先日と同じ
ようにどの場所も熱心に見ていた。そして歩き回って疲れたので休もうということになっ
たのだが、ちょうど奈良公園の近くだったので、そこで休むことにした。
「あー、疲れたー」
 俺はベンチに腰かけてだらーっとなった。そんな俺に近藤さんが言ってくる。
「東くんって、意外と体力ないのね」
「って言うか、きっとあまり寝てないせいだと思う」
「寝てないって…昨夜は何時ぐらいまで起きてたの?」
「えーっと…3時ぐらいまでかな…」
「ダメじゃない、いくら旅行中だからって、そんな夜更かししちゃ」
「俺だって、起きてたくて起きてたわけじゃないんだけどな…仁たちのせいで…」
「人のせいにしないの。それでもちゃんと寝るの」
「はい、すいません…」
 俺は思わず近藤さんに謝ってしまった。
「まあ、わたしに謝られてもしょうがないんだけどね。それに、もう今日で旅行終わりだ
し。そうだ、何か飲み物買ってきましょうか?コーヒーとか」
「行ってきてくれるの?それだったら、スポーツドリンクがいいな、俺」
「わかったわ。じゃあ、ここで待っててね」
 こうして近藤さんは行ってしまった。それで俺は彼女が戻ってくるのを待っていたのだ
が、次第にまぶたが下がってくるのが自分でわかった。まずい、このままじゃここで寝て
しまう。俺がそう思ったその時−。
(カプッ)
 投げ出していた俺の左手に、妙な痛みが走った。
「おわっ!?い、痛えっ!?」
 その痛みにつぶりかけていた目が開く。そして見てみると、なんと、一匹の鹿が俺の左
手に噛み付いていたんだ。それほど強く噛まれているわけではないが、やっぱり痛い。
「こ、こら、痛えよ!放せ!」
 そう言って左手を軽く振ってみたが、鹿は放れてくれない。
「えっと…東くん、何してるの?」
 俺が鹿と格闘(?)していると、飲み物を買いに行っていた近藤さんが戻ってきて、変
な物を見るような目で俺を見た。確かに、変な状況であることに違いはないんだけど…。
「ああ、近藤さん。なんだか知らないけど、この鹿、俺に噛み付いて放れてくれないんだ
よ!どうにかできないかな?」
「どうにかって…放せばいいのよね?それじゃこれで…」
 そう言うと近藤さんは、ジュースのペットボトルが入っているであろう袋の中から、さ
らに小さな紙の袋を取り出した。そしてその袋を開けると、中の物を取り出して俺に噛み
付いている鹿の目の前に差し出した。
「ほらほら、こっちの方がおいしいわよ」
 それはこの公園の名物の、鹿せんべいだった。近藤さんは鹿の前でそいつをちらつかせ
る。すると鹿が俺の手から放れた。
「よし、今だわ。それっ!」
 近藤さんが、手に持っていたせんべいを遠くに投げる。それを追って、鹿は遠くに走り
去っていった。
「や、やっと行った…。ありがとう近藤さん。君が鹿せんべい持っててよかった…」
「せっかく奈良公園に来たんだから鹿にあげようと思ってさっきジュースと一緒に買った
の。まさかこんな使い方をするとは思ってなかったけどね。でも、どうしてこんなことに
なったの?」
「知らないよ。もしかしたら、俺の手が餌に見えてたのかもね」
「ふふ、そうかもね。それで、噛まれた手は大丈夫?」
「えっと…あっ、ちょっと血が出てるな」
「えっ?大変だわ、すぐに止血しなきゃ」
「大げさだなあ、ほんのちょっとだよ」
「そうも行かないわ。あっ、あそこに水道があるわ。ちょっと待ってて」
 そう言うと近藤さんは近くにあった水道に走っていき、持っていたハンカチを取り出し
て水に濡らした。そして戻ってくると、そのハンカチを俺に差し出した。
「はい、これできれいにして、その後、このバンソウコウ張るといいわ」
「いいの?ハンカチ汚れちゃうよ?」
「どうせ安物だし、いいわよ。さ、早く」
「あ、ああ」
 というわけで俺は近藤さんからハンカチとバンソウコウを受け取ると、彼女に言われた
通りにした。その後、近藤さんが俺の左手をつかんで確認する。
「うん、これなら大丈夫ね」
「あ、ありがとう近藤さん。…あの、後で違うハンカチ買って返すから」
「気にしなくていいわよそんなの。…あら?あの鹿、さっきのじゃない?」
「えっ?」
 近藤さんが言ったので、俺も彼女の視線の先を見てみた。確かに一匹の鹿がこちらに向
かって歩いてきていたのだが、そうだ、あれはさっき俺に噛み付いた鹿だ。
「さっき近藤さんが投げたので味をしめたのかな?」
「そうかもね。いいわ、もう一枚あげる。ほら、こっち来なさい」
 そう言って近藤さんはまた紙の袋の中からせんべいを取り出し、鹿の目の前でそれをち
らつかせた。鹿はそれに気づくとひょいっと頭を下げてからせんべいをくわえた。
「こうやっておじぎしてから食べるところって、よく見るとかわいいわよね」
「そうだね。俺もあげてみようかな。近藤さん、それ一枚もらっていい?」
「いいわよ。はい」
 俺は近藤さんから鹿せんべいをもらい、鹿に向かって話しかけてみた。
「ほらほら、俺もくれてやるぞ。このぜいたく者め」
 だが次の瞬間、鹿はそんな俺の方でなく、近藤さんに迫った。それも猛スピードでだ。
「しまった、袋の方に!?」
「きゃあっ!」
 かなりの勢いで突っ込んで来た鹿に驚いた近藤さんは、尻もちをついて座り込んだ。そ
の拍子にせんべいの袋は彼女の手から放れ、地面に落ちた。鹿はその袋から直接せんべい
を食べ始めたのだが、それが落ちた場所がちょうど近藤さんの両足の間で、遠目から見る
とまるで鹿が近藤さんのスカートに顔を突っ込んでいるようにも見える。なお、ちょうど
その鹿がブロックする形になっていたため、残念な…もとい、幸いなことに俺のいる位置
からスカートの中は見えなかった。
「び、び、びっくりしたぁ…」
 近藤さんは尻もちをついた状態で少し後ずさって、それから立ち上がった。その後彼女
は、スカートをパンパンと叩く。
「あーあ、お尻汚れちゃったわ」
「ごめん、近藤さん!俺がこいつにせんべいあげようとしたばっかりに!」
「別に東くんのせいじゃないわよ。あなたの方に行くって思い込んでて袋を隠さなかった
わたしも悪かったし。それよりも、この鹿がせんべいに夢中になってるうちに、ここを離
れましょ?」
「うーん、実はまだ、歩き回った疲れが取れてないんだけどなあ…」
「だったらもうすぐお昼だし、ご飯食べられる所に行って休みましょうよ」
「そうか、そうすりゃいいのか。よし、さっきのハンカチと鹿のお詫びに、俺がおごって
あげるよ」
「あら、いいの?それじゃお言葉に甘えちゃおうかしら。それで、何食べるの?」
「そんなのはここ出てから考えればいいよ。とにかく、行こう」
「そうね、そうしましょう」
 こうして俺たちは奈良公園を後にし、食事のできる店に行った。そしてそこで休憩を兼
ねた昼食を取った後、また夕方まで奈良市内を見て回ったのである。

 近藤さんと二人で行動していた俺だったが、いよいよフリータイムの終わりが近づいて
きた。それで俺たちは集合時間の30分ほど前に奈良駅に行くと、駅の中でお土産を物色
した。とは言っても、喜久や香菜ちゃん、それに克美さんの父親の片瀬先生へのお土産は
もうすでに買っていたので、後は克美さんに言われていた奈良漬けだけだったのだが。そ
れで、奈良漬けを大量に買っているのを見た近藤さんが俺に言ってきた。
「そんなに買うの?京都での生八ツ橋もそうだったけど、ずいぶん多いのね。そんなに何
人もの人へのお土産なの?」
「いや、一人なんだけど…」
「一人?よっぽどたくさん食べる人なのね、その人」
「う、うん、まあね…」
 俺は、そのたくさん食べる人が付き合っている彼女だということをなんとなく言いそび
れてしまった。別に隠すようなことでもないんだろうけど…。それで、そんな風に買い物
をしていると、後ろからこんな声がした。
「おっと健吾、こんな所で買い物か?」
「仁?」
 そう、振り返ると、それは仁だった。だが、なぜかこの男は一人だった。
「おまえは今日、小夢ちゃんと二人でいたのか?克美さんに言いつけちゃおうかなあ」
「あのな仁、確かに俺は近藤さんと行動したけど、別にやましいことはしてないからな。
それに、この前も言ったけど、その件に関しちゃお互い様だ。女の子を現地調達したこと
を喜久にばらされたくなかったら、克美さんに余計なことは言うな!」
「はいはーい、わかってるよ」
「ならいいんだ。って言うか、なんでおまえ一人なんだよ?」
「俺の方の時間が近づいてきたから、今日付き合った娘とは別れ際にまた東京で会おうっ
て約束して別れた」
「あっ、そ。で、他のみんなは?」
「みんな?」
「俺たちのクラスメイト、男女四人ずつだよ!朝、喧喧囂囂やってたろう?」
「あーあー、あいつらね。結局、俺たち十人で出かけたんだけど、だんだんとカップルが
できてきちゃってさあ、次第にいなくなっちゃったのよ。それで最後には俺たち二人だけ
なっちゃったってわけ。つまり、それぞれで行動してるから俺は知らない」
「ふーん。要するに、彼女たちがおまえを追ってったのがきっかけになったわけ?」
「そうなるな。ふっ、自分だけでなく、周りの人間にまで恋愛をさせてしまうこの俺は、
まさに恋愛エキスパート!小夢ちゃんも、どう?」
「わ、わたしも興味がないわけじゃないけど、そう急ぐ必要もないかなあって…」
 近藤さんが困惑している。そして俺は仁を見て思った。なーにが恋愛エキスパートだ。
そんなのを名乗るのは、喜久を完全に落としてからにしろ。いつも適当にあしらわれてる
くせに、と。だが、へこませるのもかわいそうなので、口にはしないでおいた。
 そんなこんなでとうとう集合時間。他のクラスも含めて、遅れた人間はいなかった。全
員でそろって、新幹線で東京へ帰還。車内では疲れのせいか、ほとんどの人間が眠ってい
た。もちろん、俺もだった。そして眠っているうちに新幹線は東京駅についた。その後、
この駅で終礼をしたのだが、その中である先生が、お約束の「家に帰るまでが修学旅行で
す」を言ってひんしゅくを買っていたが、ともかくこれで長かった修学旅行は終わったの
である。解散後、高校の最寄駅である木本駅を経由し(ここまでは、他の生徒の多くも一
緒だった)、そこからさらに家に一番近い、いつも通学で利用している西木本駅まで行っ
た。西木本の駅を出ると、仁がこんなことを言った。
「よーし、帰ってきたぞー!西木本よ、俺は帰ってきた!」
「何を言ってるんだかおまえは…。さて、俺はもう急いで帰るぞ。早いところ克美さんに
会いたいからな」
「いいよなおまえは、家に帰れば恋人が待ってるんだから。…って、帰るまでもないみた
いだぞ、どうやら」
「えっ?」
 最初俺は仁が何を言っているのかわからなかったが、こいつがあごを使って指し示した
方を見て、意味を理解した。克美さんが、こちらに向かって走ってきているのが見えたん
だ。それも、かなりのスピードだ。そして俺の前で急停止すると、満面の笑顔でこう言っ
てくれた。
「健吾くん、お帰りーっ!」
「あっ、た、ただいま、克美さん。わざわざ迎えに来てくれたんですか?」
「うん。だって早く健吾くんに会いたかったんだもん!」
「あはっ、そうですか。俺も予定より早く克美さんに会えて、すごく嬉しいです」
「けーっ!」
 急に、鶏を絞め殺した時のような声が聞こえた。その声の主は仁だった。どうやら、俺
と克美さんの会話にあきれているようだ。自分だって女の子とこんな風な会話してるくせ
に、他人に見せつけられるのは嫌だなんて、自分勝手なヤツだ。とは言え、今の仁は一人
ぼっちの状態だし、その気持ちはわからなくもない。
「まったく、帰ってきてそうそうこんなのを見せられるとは思わなかったぜ。あーあ、俺
も今から“鬼賀屋”に行ってこようっと」
「今行ったところで、まだ喜久は帰ってきてないぞ、きっと」
「十中八九そうだろうな。でも、万が一ってこともあるし、帰ってきてなくても、喜久さ
んの親父さんたちに俺が彼女に対してどれだけ本気かをアピールできる!なんせ、家にも
帰らないで直行するんだからな!つーわけで俺はこれから行くぞ!」
「ねーねー仁くん、ボクにもお土産買ってきてくれたんでしょう?“鬼賀屋”行く前に、
ちょーだい」
 克美さんが催促をしたが、仁はこんな風に返してきた。
「ごめんなさい克美さん、俺、一番最初に喜久さんに渡したいんです。だから、明日まで
待ってもらってもいいですか?」
「えっ?うーん、そっかあ。仁くんってそれほど好きなんだね、喜久さんのことが。いい
よ、そういうことなら後で」
「それじゃ仁、今からあの店行って、喜久がいなくて香菜ちゃんだけいたりした時は…」
「もちろん、彼女にもごめんって言って、待ってもらう」
「おまえって意外に変な所で漢なんだよなあ…。そんな風に漢を見せるんだったら、喜久
がいない所であんなことすんなよな」
「あれはあれ、これはこれだ」
「‥‥‥‥もう何も言うまい。じゃあ、とっとと行け。俺は明日行くから」
「おう、それじゃあな」
 そう言って仁は大荷物を持ったまま走っていった。その後ろ姿を見届けた俺はこんなこ
とをつぶやく。
「まったく、本当に調子がいい男だ」
「でも、喜久さんのことが大好きっていうのはよくわかるよ」
 克美さんがそう言った。その言葉から、自分もあんな風に愛されたいと思っているみた
いだというのが感じ取れた。それで俺は、彼女にこう言った。
「俺だって、あいつが喜久のことを思っている以上に克美さんのことが大好きです。今日
久しぶりに会えて、それを実感しました。もしかして、そのために俺は修学旅行に行った
のかもしれないって思うほどに」
「それはちょっと大げさだけど…本当にそう思ってるの?」
「もちろんです」
「他の女の子といた時も、ボクのこと忘れなかった?」
「当然ですよ。いくら周りに何人もの女の子がいたって、克美さんのことは…えっ?」
 次の瞬間、俺の顔から血の気が引いていったのが自分でわかった。どうやら俺は、誘導
尋問に引っかかってしまったようだ。
「うわあ、やっぱりそうだったんだ!仁くんから、健吾くんがそーゆーことしてるぞって
いうメールが来たから心配になってたんだけど…ひどいよ健吾くん!」
 克美さんが怒り始めた。仁の野郎、お互いそういうことはしないって協定結んでたはず
なのに…!こりゃ後で喜久にちくってやらないと…。でもそんなことより今は、目の前に
いる克美さんをどうにかしなきゃならない。それで俺はこんな弁解をした。
「た、確かに旅行中、俺は女の子と行動してたりもしてました!だけど、それはほとんど
が仁のせいで無理矢理そうなっちゃったんです!どの女の子とも、そんなに親密にはなら
なかったし、何より、さっきも言ったけど、そんな中でも克美さんのこと考えてました。
やっぱり、この娘たちよりも克美さんの方がいいなあって。それは、絶対です!」
 これが、俺の本心であり、思いの全てだ。これを聞いた克美さんはどう返すか。もしも
許してもらえなかったらどうしよう…。が、次の克美さんの言葉で、俺は救われた。
「…わかった、信じる。そこまで言ってくれてるのに、健吾くんを信じないわけにはいか
ないじゃない」
「ほ、本当ですか?よかったぁ…」
「で・も!」
 念を押すように、克美さんが言ってきた。
「もう二度とダメだからね!健吾くんが仲よくしていい女の子は、ボクと、それから友達
としての喜久さんと香菜ちゃんだけ!今後は、仁くんに振り回されないこと!」
「は、はい!」
「うん、わかればよろしい。それじゃ、そろそろ帰ろう?家でお父さんと、あったかいご
飯が待ってるから」
「ええ、行きましょう。久しぶりの克美さんの手料理、すごい楽しみだなあ…」
「ボクも、久々に健吾くんのご飯作れて楽しかったよ。一週間、ボクの分とお父さんの分
だけだったんだもん。よーし、それじゃ帰るぞー!」
「はい!」
 こうして俺たちは、克美さんの家に向かって歩き出した。俺は両手と背中に荷物を持っ
ていたが、克美さんが片方の手にあった荷物を持ってくれた。それでお互い片手が空いた
ので手をつないだ。ずいぶんと感じていなかった気がする克美さんのぬくもり…すごく優
しい気持ちが胸に宿った気がした。そして、克美さんと一緒にこの優しさを持ち続けてい
こうと改めて心に決めた、秋の夕暮れだった。

<第六章了 第七章に続く>
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