K’sストーリー第七章 二組目の始まり(2)
 それから数日後の日曜日。俺と仁は、とある学校の校門前にいた。ここは喜久が通う私
立聖蓮大学付属聖蓮女子高等学校。俺たちは、これから、この学校の文化祭に参加する。
「よーし、それじゃ行くぜ健吾!」
「はいはい、行こうかね」
「何だよそりゃ。もっと気合い入れろよ!だいたいその服装、そんなんで精一杯のおしゃ
れなのか?」
「まあ、それなりに気を使ったつもりだけど…」
「それなりじゃダメなんだよ、それなりじゃ!いいか健吾、これから俺たちが突入するの
は、都内でも…いや、関東でも指折りの美人ぞろいの女子高なんだ。そんな女の子の前で
おしゃれじゃないカッコはできないだろう」
「だから、それなりのおしゃれはしてきたって…」
「いーや、俺のライバルであるおまえの実力はそんなもんじゃない。ファッショナブルキ
ングの俺が言うんだから間違いないぜ」
 俺はいつからこの男のライバルになったんだ?そんなことを思う俺のことは無視して、
仁が続けて言う。
「まあ、それでも元がいいおかげでかなり見られる服装だけどな。この高校の娘たちに会
うのに問題はないレベルだ。てなわけで、今度こそ行くぞ健吾!」
「はいはい、と」
 さっきと同じようなあまり気合いの入っていない返事をした俺だったが、ともかく俺と
仁は門をくぐり、構内に入った。入った瞬間、空気が変わったのを俺は感じた。うう、去
年も来たけど、やっぱりあまり慣れない雰囲気だなあ…。一方仁はと言うと、その空気を
吸収してさらにパワーアップしてしまったような感じだ。
「うおおっ、これこれ、この雰囲気!まさに女の園だあっ!おっ、さっそくかわいい娘発
見!って言うか、右を向いても左を向いてもかわいい娘だらけ!うーん、天国天国!」
「やめろよ仁。そんなことばかりしてると、喜久に言いつけるぞ」
「いいじゃんこれくらい。声かけるぐらいだったら問題ないって、喜久さん言ってたじゃ
ないか」
「それにしたって限度はある。ほら、とにかくまずは喜久の所行くぞ。彼女のクラスは、
外で縁日やってるって話だったよな」
 こうして、はしゃぐ仁をどうにか落ち着かせ、俺たち二人は喜久を探した。ほどなく浴
衣を着込んだ彼女がいる一角を見つけたので、俺たちはそこに足を進める。
「あら、健くんに仁くん。来てくれたのね。どうもありがとう」
「やあ喜久。招待されたから来てみたよ」
「き・く・さ〜ん!さっそく会えてよかった〜!浴衣プリティ!ビューティフル!
もう最高!」
 さっき一度は落ち着いた仁が、喜久を見てまた興奮し始めてしまった。
「落ち着け仁!他の女の子が変な目で見てるぞ!」
 俺のこの一言で仁は一気に冷静になった。そして謎のすかしたポーズをとると、喜久の
クラスメイトであろう、同じく浴衣を着た数人の女の子たちにこんなことを言い始めた。
「お見苦しいところを見せてしまったようだね。俺は間仁、愛を求め続ける男。君たちの
愛も欲しいな〜」
「‥‥‥‥」
 周囲が沈黙に包まれた。が、すぐさま女の子たちが笑い出し、沈黙は破られた。
「あははははーっ!初対面の人の前でこんなことするなんて…この人、何か変!」
「でも、顔とかがカッコいいから許しちゃう」
「喜久の知り合い?紹介してよー」
「う…受けてる…?」
 この様子に俺は驚き、さっそく自己紹介や連絡先の教え合いをしている仁たちを信じら
れないという思いで見ていた。そんな俺の肩を軽く叩く人物がいた。喜久だった。彼女は
仁や女の子たちに聞こえないような声で俺に言う。
(健くん、仁くんが暴走しないように、ストッパー役お願いね)
(わかってる、今日は半分そのつもりでここに来たんだから)
(期待してるわ。この学校の女の子もどちらかと言えばそういうのが好きな娘が多いし、
あなただけが頼りなんだから)
「おいおーい、二人で何話してるのさ?俺には聞かせられないような話?」
 仁が俺と喜久の間に割り込んできた。
「まあ確かに、ある意味おまえには聞かせちゃいけない話かなあ」
「何だよそりゃ。いくらおまえと喜久さんが幼なじみだからって、未来の恋人に隠し事は
しないでほしいなあ」
「未来の恋人って、あなたと健くんが?」
 喜久が不意に言ったこの言葉で、仁はおろか、女の子たちまで固まった。もちろん、俺
もだ。
「…ねえ、あなたたち二人って、そういう関係なの…?」
「絶対違うから!喜久、冗談でもそういうのはやめてくれよ。最近、君の冗談って笑えな
いのが多いよ」
「あら、ごめんなさい健くん。そんなにきつい冗談だった?」
「きつ過ぎるってば。喜久さん、もしかして俺たちのことからかって遊んでる?」
「さーあ、どうかしらねえ。そんなことより、二人とも何か遊んでってよ。ヨーヨー釣り
とか、楽しいわよ」
 ごまかしたな、と俺は思ったが、その言葉は口にはしないでおいた。そして俺と仁は、
喜久のクラスでやっている縁日で一通り遊んでみた。
「結構、おもしろかったな。なあ仁?」
「俺にとっては、結構どころじゃなかったね。金魚をすくうたび、ヨーヨーをつるたびに
沸き起こる黄色い歓声とせん望のまなざし…まさに俺のための企画だった」
「仁くんって、結構いろいろなことができるのね。少し見直したわ」
「少し?少しだけかい喜久さん?まあ、ちょっとでも高感度が上げられたみたいだし、そ
れはそれでいいや。それじゃ健吾、そろそろ行ってみるか?」
「そうするか。喜久、このクラスの合唱の発表、何時からだったっけ?」
「だいたい午後二時ぐらいからね。二人とも見に来て…と言うより、聞きに来てね」
「もちろん、ぜ〜ったいに行くよ!喜久さんだけじゃなく、今ここにいる全ての娘たちの
ために」
「…またこの男の病気が始まったか…。それはともかく、俺もその時間には体育館に行く
よ。それじゃ喜久、またね」
「バイバイ。またここにも来るからね」
 というわけで、俺たちは縁日から離れていった。そして別の場所に向かう途中、俺は仁
にこんなことを言ってみた。
「しかし、喜久の友達との初対面でおまえが言ったあの言葉…外したと俺は思ったね。と
ころがそれがあんなに受けるんだから、女の子ってわからないよなあ」
「俺を誰だと思っている?約17年間、女の子を追いかけ続けてきた間仁だ。全ては女の
子の感情を知りつくした上での行動よ。健吾とは違う」
「いーよ違くて」
 なぜか得意気に話す仁に、俺は冷たく言い放ってみた。
「ひでえ言い方。それはそうと、さっさと次の場所行くぞ。喜久さんたちのクラスの合唱
の発表の時間までに、いろんな所回りたいからな」
「いろんな女の子に声かけたいからな、の間違いだろう?それにしてもこの学校って、毎
年全校をあげてクラス対抗の合唱コンクールやるんだよな」
「ああ。この学校の合唱部も、毎年全国大会に出るくらいレベル高いらしいしな」
「そうらしいな。聖蓮ならぬセイレーンってところか」
「セイレーンって、歌声で船乗りを惑わす魔物のことだっけ?確かに、この高校の女の子
もみんな、ある意味魔性の女…魔物かもな。よーし、それじゃ健吾、次行くぞ次!」
「あっ、いきなり行くな仁!」
 というわけで俺たちはまたしばらく構内を散策したのである。もちろん、すぐに女の子
に声をかけたがる仁を、俺がセーブしながら。

 学校の中を見て回っているうちに喜久たちが合唱コンクールで発表する時間になったの
で俺と仁は体育館に行って彼女たちの歌声に聞きほれた。本当に惑わされそうなきれいな
声だった。その後でまたいろいろ見てみたのだが、仁がもう一度喜久の所に行きたいと言
うので俺もそれについていくことにした。が、そこで事件は起こったのである。
「喜久、いるかな?」
「いるさ。さっき、当番のシフト聞いといたからこの時間にはいるはずだ。だからこそ今
行きたいって言ってるんだ俺は」
「おまえ、いつの間にそんな…」
 相変わらず抜け目のない男だと思いつつ、俺たちは喜久たちがやっている縁日の屋台の
所へ行った。すると、そこで彼女はとある二人組の男と話をしていた。そいつらは俺たち
と同い年か少し上ぐらいの見た目の知らない連中だったが、どうも様子がおかしい。喜久
の知り合いではないようだし、彼女や近くにいるクラスメイトがみんなはなんだか困って
いるように見えた。そこで俺と仁は互いに視線を合わせてうなずき合った後、そちらに歩
み寄っていった。すると、こんな話が耳に入ってきた。
「だからさっきから言ってるじゃないか。この学校を案内してもらいたいって」
「こちらもさっきから言っているように、学校の案内なら校舎入り口にパンフレットがあ
るのでそちらを見てください」
「そーゆー意味じゃないってのがわからないのかなあ。俺たちは君とこの学校内を歩きた
いの。わかる?」
「それに関してもさっきから言っていますように、わたしは今店番をしているんです。別
の時間に来るか、今店番をしていない女の子に頼んでください」
「そうか、ぶっちゃけ、ナンパされてるわけだな喜久は」
「そのようだな。あれだけの美人ならそんなことも多々あるだろう。だが…」
 そこで言葉を区切った仁は、その後にそれもどこかおかしいぞという言葉を言った。
「喜久さんを口説いていいのはこの俺だけだ。止めに行くぞ」
「あっ、待てよ仁」
 俺が言うよりも早く、仁は喜久たちのすぐ側にまで行き、そしてこんなことを言った。
「はーいそこまで。お兄さんたち、彼女が困ってるっての、見てわからない?それがわか
らないような男に、この娘と話す権利はないよ」
「誰だおまえ?この娘の彼氏か何かか?」
「今は違うけど、近い将来そうなる予定の男さ。さ、そーゆーわけだから帰った帰った」
「彼氏でもねえのにでかいツラするんじゃねえ。気に触る野郎だ、これでもくらいな!」
 そう言うと男の一人が近くにあった金魚すくいの水槽に、これまた金魚すくいで使うお
椀を突っ込んで水をすくうと、それを仁にぶっかけやがった。いきなりの攻撃に、仁はま
ともにその水を浴びた。それを見たもう一人の男が手を叩きながら言う。
「はーっはっはっは!水もしたたるいい男になったじゃねえか!」
「まったくだ!おいおまえ、これ以上ひどい目に会いたくなけりゃ、すっこんでな!」
 そして、こんな屈辱的な目に会わされた仁は意外にも−。
「はいはい、わかりましたよ…」
 と言ってきびすを返した。だが、次の瞬間−。
「…なんて誰が言うかよ!」
 そんな声と共にそのままもう半回転し、水をかけた男の側頭部に向かって左足でキック
を放った。
「たこすっ!?」
 こめかみに見事な上段回し蹴りをくらった男は、奇妙なやられ声と共に遠くに吹っ飛ん
だ。なお、吹っ飛んだ方向に人はいなかった。
「きゃーっ!」
 様子を見ていた女の子がそんな声をあげた。吹っ飛ばされた男が仁に向かって叫ぶ。
「ぐっ、痛てててて…てめえ、いきなり何しやがる!?」
「けっ、先にケンカ売ってきたのはてめえだろうが!悔しかったら捕まえてみな!」
 そう言うと仁はおもむろに俺の肩に手を置き、いきなりこんなことを言った。
「さっ、そういうわけで行くぞ健吾。ついてこい!」
「えっ、えっ、えっ?なんで俺まで?」
「いいから来い!そうしねえと、俺の仲間ってことであいつらにやられちまうぞ。てなわ
けで、さっさと逃げるんだよぉ〜!」
 そして走り出す仁。
「ま、待て仁!俺を置いてくな!」
 こうして、仕方ないので俺も仁が走った方に走り出した。これであいつらが追いかけて
こなけりゃ俺たちはただのバカだが、二人とも俺たちを追いかけてきている。そして走り
ながら仁が俺に言う。
「さあ、もうすぐ広い中庭だ!」
 そうして俺たちが走り続けると、仁が言った通り中庭があった。こいつ、いつの間にこ
の学校の造りを覚えてたんだ…。そしてその中ほどまで走ると足を止め、これまで走って
きた道へと振り返った。
「さーて来やがれ。この俺に水をぶっかけたお礼は、たっぷりとさせてもらうぜ」
 さっきのハイキックで十分じゃないかと俺は思ったが、仁にとってはまだまだ足りない
らしい。そして少しして、例の二人が中庭に走り込んできた。立っている俺たち…と言う
か仁を見つけると、興奮した様子で言ってきた。
「てめえ、さっきはよくもやってくれたな!ケンカ売ってきて逃げるとは、どういうつも
りだこらぁ!」
「だから、先に仕掛けてきたのはそっちだろうがよ。それに、俺は逃げたわけじゃない。
あそこで暴れたら、女の子たちに被害が及ぶだろうが。仮にも女の子目的でこの学校に来
てるんだったら、それぐらいわかれよ」
「くあーっ、むかつく!とにかくむかつくてめえ!」
 そんなことを話している仁たちに、俺は恐る恐るこう言ってみた。
「あの…ここまで来といて何だけど…やめない?」
「ああっ!?」
 俺は、三人ににらまれた。
「ああ、いや、できれば穏便に、さあ…」
「無理だ!」
 また三人がハモった。そして仁が言う。
「健吾、ここまで来たら引けねえだろ。心配するな、一緒に走らせちまったが、これ以上
おまえを巻き込みはしないから。ケンカするのは俺一人だ。そこで見てろ」
「でもおまえ、相手は二人だぞ!」
「そいつらごとき、俺一人で十分だ」
「ごときだとぉ!?てめえ、俺たちなめんなよ!」
「後悔させてやらぁ!行くぞ!」
 そうして二人が俺たちの方に突っ込んできた。
「来るぞ!下がれ健吾!」
 と言って仁が俺を後ろの方へ突き飛ばした。そして始まった仁VS男二人のケンカ。こ
うなったら仕方がないので、俺は少し離れた所で仁の応援をすることにした。そして一人
にもかかわらず、仁がかなり優勢だった。こいつ、すごくいい動きしてる。二人の攻撃を
かわしながら的確に攻撃を当てている。これならきっと勝てると思っていると、急に男の
一人が俺の方に飛んできた。仁がこっちに蹴り飛ばしたんだ。
「えっ?あっ、わっ、危ねえ!?」
 俺は、とっさに飛んできた男をうっちゃってしまった。そして男はまた別の方向に飛ん
で行き、地面に転がった。
「ご、ごめん、大丈夫か!?」
 うっちゃるつもりはなかったので、俺はその男に謝った。が、男は起き上がると−。
「よくもやってくれたな!許さねえぞごらぁ!」
 そう言って今度は俺に向かって攻撃をしてきたんだ!
「や、やめろよ!わざとじゃないんだってさっきのは!」
「うるせぇ!てめぇ、ぶっつぶす!」
 興奮した男の攻撃は止まらない。まずい、このままじゃやられる。そう俺が思った次の
瞬間、男は後方に吹っ飛んでいた。
「あ…あれ…?」
 何が起きたのか、俺には理解できなかった。だがそこで、自分が右アッパーを放った後
のフィニッシュポーズをとっていることに気づいた。どうやら無意識のうちにカウンター
パンチを放っていたようだ。どこに入ったかはわからなかったが、倒れたまま起きあがっ
てこないところ見ると、よほどクリーンヒットしてしまったようだ。
「あわわわわ、や、やっちゃったよ…」
「健吾、なかなかいいパンチ持ってるじゃねえか!よーし、それじゃあこっちもそろそろ
フィニッシュだ!シュッ!」
 仁が左足でサイドキックを打つ。相手のボディにそのきれいなキックが入りのけぞった
所に仁がパンチを連打し始めた。
「イっちまいなぁ!ウリウリウリウリウリウリウリウリウリウリウリウリウリウリィ!」
 奇妙な掛け声と共に放たれるパンチのラッシュ。男はそれを防ぎ切れない。
「ウリウリウリ…チェックメイトだ!」
 とどめの一撃とばかりに、仁がこん身の左ストレートを放った。後ろに吹っ飛ぶ男。倒
れたままピクピクと体をけいれんさせている。仁はその男の近くにしゃがみ込み、顔を覗
き込むようにして言った。
「どうだい?まだやるか、ん?」
「ま、ま、まいった!俺の負けだ!悪かった、許してくれ!」
「そこまで言われちゃ許さねえわけにはいかねえな。仲間と一緒に、とっとと消えろ!」
 俺もそんな会話をしている仁たちの方に行こうと歩き出したのだが、その時だった。
「きゃーっ!!」
 突如、絹を引き裂くような女の子の叫び声がした。そちらを見てみると、なんと、俺が
KOした(してしまった)男が、片手に長い棒切れを持ち、もう片方の腕で女の子を拘束
して立っていた。しかもこともあろうにその娘は喜久だった。俺は驚いて叫ぶ。
「き、喜久!?なんで君がここに!?」
「健くん、仁くん、助けてぇ!」
 怖がっているのだろう、喜久の声はめったに聞いたことのない悲痛な物に聞こえた。そ
んな彼女を安心させるように、仁が言った。
「大丈夫だよ喜久さん、俺が今助けるから。おいおまえ、仮にも女の子目的でここに来た
ヤツが、女の子を人質にとってどーするんだ!って言うか、それ以前に女の子を人質にす
るなんて最低だぞ!」
「うるせー!もうこうなったら女の子なんてどうでもいい!おまえら、こいつを痛い目に
あわせたくなかったら、俺の言う通りにしろ!まずはおまえ、こっちに来い!」
 そう言って男はなんと、俺のことを手に持った棒切れで指した。
「お、俺ぇ!?なんで!?」
「なんでじゃねえ!俺のあごにパンチ入れやがって!死ぬほど痛かったんだからな!さっ
さと来い!早くしねえとこいつがひどいことになるぞ!」
「この野郎…」
 仁が怒り心頭になっているのがわかる。拳を強く握り締めている。が、喜久が捕まって
いるので手が出せない。そしてそれは俺も同じで、男の言うことに従うしかなかった。言
われた通り、そいつの方に足を進めた。
「そこでストップだ!そこなら俺の棒は届くがおまえの手足は届かない。くらえオラ!」
 そう言うと男は俺の腹を棒で突いた。
「ぐっ…!」
 結構まともに入った。かなり痛い。
「けっ、いい気味だなぁおい!それじゃもう一発!」
 今度は俺の肩口でも叩こうというのか、男が大きく棒を振り上げた。が、その時−。
「いいかげんに…しなさいよー!」
 男の意識が俺の方に行ってできたすきを見逃さなかった喜久が、左手でチョップを放っ
た。その手刀は男の頬にクリーンヒットして、その顔がそれまでとは明後日の方向に向い
た。それと同時に喜久を拘束していた腕が緩み、彼女がそこから脱出した。
「こっちだ喜久!」
 喜久が、そう叫んだ俺の腕の中に飛び込んでくる。そして俺たち二人は男の射程距離外
に逃げた。
「痛つつつつ…この野郎、女だと思って油断してたら…はっ!?」
 視線を戻した男の前に、いつの間にか仁が仁王立ちをしていた。そして静かな怒りをた
たえた声で言う。
「とことん最低だなてめえ…。てめえみてーな下衆野郎には、この間仁、容赦せん!」
「た、助け…」
 怖ろしさのあまり背中を向けて逃げようとした男の襟首を、仁がむんずとつかんだ。そ
して−。
「調子こいてんじゃねーぞこらーっ!」
 その叫びの直後に起きた出来事に、俺は目を疑った。なんと、仁が片手で男を持ち上げ
て、そのまま地面に叩きつけたんだ。男は背中から落ち、苦しそうな声を上げた。
「おっご…!」
「オラ、もう一発!」
 そして再度持ち上げ→叩きつけをする仁。男は今度は胸から落ちた。
「ぐっはぁ…!」
 胸を強打して呼吸が一瞬止まったのだろうか、男が苦しそうにし、その後急激に咳き込
んだ。それを見た仁はそいつから手を放し、さっき自分で倒したもう一人に向かってこう
言った。
「おい、こいつ連れてさっさとここからいなくなれ。でねえとまたおまえもボコるぞ!」
「ひ、ひえ〜っ!」
 そんなおののいた声を出すと、二人は足をもつらせながら逃げるように走り去っていっ
た。そいつらの背中に向かって仁が叫ぶ。
「二度と俺の前に姿現すんじゃねえぞーっ!」
 あいつら、もう自分から出てきはしないだろうなと思いつつ俺は仁を見ていた。そして
仁が俺と喜久の様子に気がついてこう言った。
「おまえら、いつまで抱き合ってんだーっ!」
 大急ぎで俺たちに走り寄ってくる仁。そうだ、さっきのどさくさで、喜久が俺の胸の中
にいたんだ。それで俺たちは顔を見合わせてお互いから離れた。が、仁が言う。
「健吾、どさくさまぎれに何やってんだ!喜久さんを助けたのは俺だぞ!」
「別に意図してさっきみたいなことになったわけじゃ…それに、喜久はおまえに助けられ
たんじゃなくて、自分で脱出したんだろ?」
「うっ、そーいえば…。でも、その後あいつにとどめ刺したのは俺だぞ」
「とどめを刺す必要もなかったと思うけど…。それにしても仁くんって強いのね」
「ああ、こう見えても、バイトで結構鍛えてるからな」
 そう言って仁は力こぶを見せた。確かに、尋常じゃない強さだった。こいつと殴り合い
のケンカとかするの、やめておこう…。そう俺は思ったのだが、それはそれとしてこいつ
に一言言っておくべきことがあったのを思い出した。
「ところで仁、さっきはよくもあいつらの片割れを俺の方に蹴り飛ばしてくれたなあ。お
かげで俺まで殴り合いしちまったじゃねえかよ!」
「…さっき、これ以上おまえを巻き込まないって言ったが…すまん、ありゃ嘘だった」
「嘘だったで済むかー!」
 俺は思わず大きな声を上げた。そんな俺をなだめるように喜久が言う。
「まあまあ健くん、大きなケガもしてないみたいだし、よかったじゃない」
「よかないよ。棒で腹突っつかれたし…。って言うか、なんで君こんな所に来たわけ?喜
久が来なきゃ、俺が余計に痛い目にあうこともなかっただろうし…」
「それはそうかもしれないけど…あなたたち二人が心配になったんだから、追いかけてく
るのも当然じゃないの。それで仁くんの声が聞こえたから行ってみたらあんなことになっ
ちゃって…」
「いいって喜久さん、君は全然悪くないんだから。悪いのは全部あいつら!」
「確かにな。けど、いくらなんでもやり過ぎじゃないか?あんなにして、問題になったら
どうするんだよ?」
「先に仕掛けてきたのはあいつらなんだから、俺と健吾は完全に正当防衛だ。ノープロブ
レムだぜ」
 どう考えても過剰防衛なのだが、ひとまず嵐が去ったということで、ものすごく安心す
る俺がそこにはいた。そしてその後も引き続き文化祭に参加した俺たちは、トラブルがあ
りつつも楽しい一日に幕を降ろしたのである。

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