K’sストーリー第七章 二組目の始まり(4)
 香菜ちゃんが倒れた翌日の夕方、“鬼賀屋”にて−。
「いらっしゃいま…げっ、仁かよ…」
「ぶわはははは、本当だ!本当に健吾がエプロンつけて店手伝ってる!」
「うるせーよ仁!指差して笑うんじゃねえ!」
 そう、俺はこの店で働いていた。昨日喜久が俺に言った『お願い』とは、バイトに出ら
れない香菜ちゃんの代わりに店を手伝うことだったんだ。
「いいカッコじゃねえか健吾。文化祭で喫茶店やる前に、いい接客の練習だな」
「いい練習だあ?そう思うならおまえもやりやがれ。おまえだって、接客役するんだから
な。つーか、笑いに来たなら帰れ」
「おまえを笑うためだけにこの店に来るほど、俺は暇じゃねーよ。ちゃんとラーメン食い
にきたんだ」
「あーそうかよ。だったらそんな所に突っ立ってないで、とっとと座れ」
「おーおー、今の俺は客だってのに、態度悪くねえか?喜久さんを見習えよ」
「例え客だろうが、おまえにはこんな態度で十分だ」
 俺と仁がこんな話をしていると、さらに−。
「こんにちはー!健吾くん、様子見にきたよー!」
「か、克美さんまで…。」
 こうして、またいつものメンバーがこの店に集まった。…いや、正確には『いつもの』
じゃない。香菜ちゃんがいないからだ。
「ともかく二人とも、立ってるのもなんだから空いてるテーブルについて。ご注文は?」
「ボク、いつものKスペね」
「じゃあ俺もたまには同じのにしてみるか。健吾、うまいの頼むぜ」
「作るの俺じゃねーんだけどな…。とにかく二人とも、ちょっと待っててな」
 というわけで俺は喜久の親父さんに克美さんたちの注文を告げた。二人は入り口に近い
テーブルに座った。俺が他のお客の相手をしていると、そのうちに二つのKスペができ、
それは喜久が運ぶ。そして克美さんと仁がラーメンを食べ始めたのだが、少しして店の戸
が開いた。
「いらっしゃいませ。あっ、香菜ちゃん!」
 彼女の姿を見た俺は、思わず少し大きな声で言った。その俺に続き今度は喜久が言う。
「香菜ちゃん、体の方は大丈夫?」
「はい、大丈夫です。昨日は本当にご心配をお掛けしました。念のために柳沼くんにも一
緒に来てもらってますし…」
 確かに香菜ちゃんの後ろには柳沼がいた。そして俺と目が会うと、軽く頭を下げた。
「よう柳沼。昨日はサンキュな。今日も香菜ちゃんの付き添いしてもらって、サンキュ」
「昨日は僕の方こそ、ありがとうございました。本来ならば学校から直接桂さんの家に向
かうはずだったのでございますが、桂さんがこのお店に寄って体に問題がないということ
を報告したいと希望されましたので…」
「そうだったのか。わざわざありがとうね、香菜ちゃん」
「ご心配をかけた分、できるだけ早く安心させないとって思ったものですから…。ところ
で、センパイがこのお店で働いているのは…」
「あなたの代わりよ、香菜ちゃん」
「やっぱり…。すみません、センパイ」
「いいっていいって。それより、今日は食べてくの?…って、本当ならまっすぐ家に帰る
ところをわざわざ寄ってくれたんだもんね、すぐ帰るか」
「僕もそれがよろしいかと思います。下手に長居をして、また調子を悪くされても誰も得
をする人間はいっらしゃいませんし」
「なんだいなんだい、つれないこと言うねえ」
 急に、仁が話に割って入ってきた。
「ちょっとぐらいいいじゃないかよ。何もここで香菜ちゃんに大騒ぎしろって言ってるん
じゃないんだし。損得勘定だけで動くと、人生つまらねえぜ、ヤギヌマ」
 あっ、仁のヤツ、柳沼の名字間違えた。間違えられた柳沼のこめかみがピクッと動いた
のを俺は見逃さなかった。そしてこいつは逆襲とばかりに−。
「お言葉ですが、桂さんや僕にはそれぞれの計画というものがあるのでございます。それ
も知らずに無責任な発言はしないでいただきたいものですね、アイダヒトシさん」
 今度は柳沼が仁の名前を間違えた。
「てめー、人の名前間違えるんじゃねーよ!それも名字と名前の両方!」
「あなたが先に僕の名前を間違えたのではないのですか」
「えっ、おまえってヤギヌマじゃなかったっけ?」
「ヤナヌマでございます」
「あー、そうだったのか。そりゃ悪かったな。…って、おまえまさか、わざと俺の名前間
違えたか?」
「名前を間違えられるのが、どれだけ嫌なことかを体験していただくために」
「俺は勘違いして覚えてたんだよ!昨日一回会っただけなんだから間違えるのも仕方ねー
だろう!」
「どのような理由があろうとも、間違いは間違いでございます」
「くあーっ、てめー、なんかむかつく!昨日の初対面の時もそうだったけど、無性に腹が
立つ!」
「腹が立つのでしたら、いかがなされますか?もしも暴力に訴えたりしようというのでし
たら、それは野蛮で低俗なことでございますよ」
「そうしてもらいたいならやってやるかぁ!?」
 そう言って仁が立ち上がった。まずい、このままだと本当に殴り合いになってしまうか
もしれない。どうにかしないとと俺が思っていると、克美さんの声が店に響いた。
「二人とも、やめろー!」
 小さな体からは想像できないとても大きな声に、仁と柳沼の動きが止まった。そして、
俺たちとは関係のない人までこちらに視線を向けた。そんな視線はお構いなしに、克美さ
んは続ける。
「ここは楽しくラーメンを食べるお店だよ!他の人が楽しくなくなっちゃうから、ケンカ
するんだったら出てってよ!そうだよね、喜久さん?」
「え、ええ。克美さんの言う通りね。もしこのままエスカレートしてやめないようだった
ら、二人とも出入り禁止にするわ」
「僕は元よりケンカなどするつもりはございませんよ。ただ、こちらのハザマジンさんが
一人で騒いでいるだけでございます」
「もともとの原因はてめーだろう!…とは言っても、この店に入れなくなるのは嫌だし、
何より喜久さんの言葉には、従わなきゃな」
 立ち上がっていた仁が、しぶしぶながらも再び席に着いた。どうやらこれで治まったよ
うだ。さすがこの店の影の主の喜久と言うべきか…。だが、その前の克美さんのおかげも
あるかもしれない。
「あ…あの…」
 おろおろしながら仁たちを見ていた香菜ちゃんが口を開いた。
「わたし、そろそろおいとましようかと思うんですけれど…」
「えーっ、結局帰っちゃうの?」
 仁が残念そうに言ったので、そんな仁に俺はこういった。
「だから、本人が帰るって言ってるのを無理矢理引き止めるんじゃないよ。さっきのだっ
て、元をただせばおまえが香菜ちゃんを引き止めようとしたのが原因だろ?」
「わかったよ。もう止めない。おいヤナヌマ、ちゃんと家まで送れよ」
「あなたに言われるまでもございません」
 またもやの少しとげのある言い方に仁が切れるんじゃないかと俺は心配したのだが、軽
くチッと舌打ちをしただけだったのでほっとした。
「それではみなさん、失礼します。柳沼くん、お願いします」
「はい。それでは、また」
 こうして香菜ちゃんと柳沼は店を出ていった。
「あーっ、なんだか無性にむかつくー!」
 急に仁が大声を上げた。一度はそっぽを向いた店内のお客さんが、またこちらを向く。
「だから仁くん、お店の中で大きな声出さないでって言ってるでしょ!」
「ご、ごめん喜久さん…。すごいイライラしちゃったから、つい…。おい健吾、何なんだ
よあいつは!?」
 仁の言葉が俺に降りかかってきた。それを見た喜久は、後はお願いねとでも言わんばか
りに俺に目配せをして仕事に戻った。
「何なんだって言われても…ああいう性格なんだ、しょうがないだろう」
「そうか、性格か。それじゃ仕方がないな…って言えねーよ!だいたいなんであいつが香
菜ちゃんに付き添ってるんだよ!俺は認めねえぞ、あんな男が香菜ちゃんの側にいるなん
て!」
「おまえにそんなこと言う権利ないだろう」
「いーや、あんなのの側にいたら香菜ちゃんが不幸になる。俺は、付き合ってない娘も含
めて、世界中の全ての女の子に幸せになってもらいたいんだ」
「だから、不幸になるなんて決め付けるなよ。むしろ彼女、柳沼に近くにいてもらえて嬉
しいはずだぜ」
「なんでそんなこと言えるんだよ?まさかもうすでに付き合ってるのかあの二人!?」
「ま、まだだよ、まだまだ。そのうちそうなるかもしれないけどさ」
 俺は言ってからはっとした。しまった、思わず口を滑らせちまった…。すると、それを
聞いた克美さんが目を輝かせてたずねてきた。
「ねえ健吾くん、それって本当?」
「え、ええ、実はそうなんです。もうこうなったら話しちゃいますけど、昨日後でちゃん
と話しますって言ってたのも、そのことだったんです」
「おいおいマジかよ。いったい、どっちが先に好きになったんだ?」
 仁がさらなる質問をしてきた。ここまで話してしまったら仕方がない、全部話そう。
「…香菜ちゃんが、柳沼を好きになった」
「えーっ、あんな男のどこがいいんだよ?俺のがよっぽどいい男なのによー」
「どこがいいかなんてのは、他人がどうこう言えることじゃないだろ」
「それはそうなんだけど、俺個人が柳沼のこと気に入ってないもんでな。で、あいつはそ
の気持ちを知ってるのか?」
「ああ、俺が話したから知ってる。それであいつがどういう行動に出るか、俺は知らない
けどな」
「そうなんだあ。ボクはあの二人にうまくいってもらいたいな。さっき見た感じ、結構お
似合いっぽかったよ」
「俺も、そう思います」
「俺は嫌だ」
「何一人だけ反対してるのよ」
 喜久が戻ってきた。見ると、いつの間にか店の中にいる客は仁と克美さんだけになって
いた。やばい、俺、働けてない…。そんなことを思っていると、喜久が言った。
「自分が柳沼くんのこと好きじゃないからって、あんまり人の恋路の邪魔はしない方がい
いわよ。わたしもあの二人、いいと思うわよ。それに、香菜ちゃんが男の子を好きになる
なんてずいぶんと久しぶりなんだし」
「そうだね、健吾くんに振られて以来だよね」
「ふ、二人とも、そういう言い方はやめてよ…」
 女の子たちの攻撃に俺は少しうろたえた。そんな俺に克美さんが謝る。
「あはっ、健吾くんごめーん。冗談だってば。それはそうと、香菜ちゃんの体、たいした
ことなかったみたいでよかったね。昨日健吾くんから話聞いた時はすっごい心配したんだ
けど…」
 克美さんが話題を変えた。それに、俺にうろたえられて少し困っていた喜久が乗る。
「そうですね。もしかして何か重大な病気だったらどうしようかって、わたしも思いまし
た。そうでなければ無理なダイエットでもしてるんじゃないかとも思ったんですけど、ど
ちらでもなくてただの過労だったみたいで、安心しました」
「実は俺、病気持ちなんだよね…」
「えっ!?」
 突然の仁の言葉に、俺たち三人は一緒に声を上げた。そして喜久が仁にたずねる。
「仁くん、あなた本当に持病があるの!?何の病気なの!?」
「女の子が近くにいないと死んじゃう病」
 こう答えられた俺たちはみんながくっとなった。
「て、てめえ仁!こんな時にそんな冗談言うんじゃねえよ!」
「そうだそうだ!」
「まったくもう、心配して損したって感じだわ」
「あれ、喜久さん、心配してくれたの?」
「そりゃあするわよ。だって仁くんはわたしの『友達』だし」
 喜久が『友達』の部分をやけに強調したのを俺は聞き逃さなかった。俺が気がつくぐら
いだから、当然仁も気づく。そりゃないよという顔をした。それに克美さんが追い討ちを
かける。
「仁くん、喜久さんに心配してもらえてよかったね」
「よかないですよ!」
 この人、絶対わかって言ってるな。俺は克美さんを見ながらそう思った。
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