K’sストーリー第八章 いろんな事情(2)
 “鬼賀屋”を出て数時間後、俺は仁の部屋にいた。この仁の部屋というのは、町医者で
もある大きな母屋ではなく、これまた大きな庭の片隅にある八畳程度の広さのプレハブ小
屋。中学校に入学した時からこいつの部屋はここだ。
「ふぃ〜、ちょっと休憩」
 低いテーブルで俺と二人で勉強していた仁が両腕を伸ばし、そのままの体勢でフローリ
ングの床に仰向けになった。そして倒れたまま言う。
「やっぱ監視する人間がいると集中できるなあ。俺一人だけだったらいろんな誘惑に負け
て全然はかどってねーよ」
「ま、それについては俺も同じかもな。それ考えるとおまえに誘われてよかったかも」
「だろ?それはそうと腹減ってきたなあ。克美さんはまだか?」
「そういえば、何時に来るとかは言ってなかったよな…。それに、すぐにこの場所がわか
るとは限らないし…」
「間医院って言えばこの界隈でも有名だし問題ないだろ。その後この部屋までたどり着け
るかは微妙だけど」
 仁がそう言った時、何やら音楽が鳴り出した。これは仁の携帯の着信だ。
「女の子からの誘いだったら、断れよ」
「わかってるって。…あっ、女の子って言うかもうおばさんだな。姉貴からだ」
 仁の姉さんというのはすでに結婚して家を出ているが、今では家族そろってこの間医院
の隣に住んでいる。仁が電話に出て、話を始めた。
「もしもし仁だけど。この時間に電話ってことは、今日の晩メシのこと?実は今日、健吾
が来ててさあ、そいつと俺に、差し入れが入ることになってるんだ。えっ?まあ、女の子
は女の子だけど…。…えっ?けーちゃんが?わかった、こっち来たら説得するよ」
 そして仁は電話を切った。
「今晩はメシどうするかっていう、いつもの電話だったよ」
「おまえの姉さん、毎日おまえの晩メシ用意してくれてるんだよな?そういうのは普通、
母親がやるもんなのに…」
「俺は母親に愛されてないからな。父親にも。その代わりに歳の離れた姉貴が俺に愛情を
注いでくれてるんだ。小さいころからな」
「19歳差だもんな…。だけど、両親に愛されてないってのはおまえの思い過ごしじゃな
いのか?」
 俺がこう言うと、仁はめったに見せない、苦虫を噛んだような顔をした。
「…おまえは俺の親友だが、そのおまえにだってこの俺の気持ちはわからないと思う。兄
貴と姉貴が年子で産まれて約20年、できちまったことは不慮の事故で、医者という立場
上中絶もできず仕方なく産んだんだって親から言われたことのある俺の…中学入学時にこ
の部屋に追いやられ、毎月銀行の口座に20万ずつ振り込むから後はその金で勝手に生き
ろ、足りない分は自分で稼げって言われてるこの俺の気持ちはな!」
 そう言って仁は拳を握り締めた。怒りでだろうか、その拳はかすかに震えている。そん
な仁の様子を見て、俺は細い声で謝った。
「…悪かった仁。こんな話してすまなかった。もうやめる」
「いや、いいんだ。人には触れられてもらいたくない話題があるってことだけわかってく
れればな。それに、女の子にこの話すると優しくしてもらえるんだ。特に、俺より年上の
おねーさまなんかはな」
「自分の身の上をナンパのネタにするなよ…。ところで、さっきの電話でけーちゃんがど
うとかって言ってたみたいだけど…」
 俺は、仁の姪である毛塚恵ちゃんの名前を口にした。
「ん?ああ、けーちゃんが姉貴とケンカして家を飛び出したんだって」
「家を飛び出したって…小学五年生の女の子が、大丈夫なのか?」
「平気平気。これまでにそんなことは何度もあったし、そのたびにけーちゃんここ来てる
んだぜ。だから今日もそのうち来るだろ。夜になっても行方がわからないようだったらさ
すがに心配になるけどな。それより、休憩時間終わりだ。勉強再開再開、っと」
「あ、ああ、そうするか」
 それで、けーちゃんのことを仁やこいつの姉さん以上に気にしつつ、俺も再び勉強を始
めた。それから30分ぐらい過ぎたころだろうか、この部屋のドアをノックする音が聞こ
えた。窓から外を見てみると、ハイキングに持っていくような大きなバスケットを持った
克美さんがそこにいた。
「仁、克美さん来たぞ」
「はいはい、了解っと」
 そう言って仁がドアを開ける。
「健吾くん、仁くん、お待たせー!勉強しながらでも食べられるように、サンドイッチと
おにぎりたくさん作ってきたよー!」
「ありがとうございます克美さん。ここまで迷わず来れました?」
「このお医者さんまではすぐ来れたんだけど、仁くんの部屋が離れだってこと知らなかっ
たから、母屋の方行っちゃったよ。そこの看護士さんにこの場所聞いたんだけど…『彼っ
てばこんな小さい女の子にまで手を出して…』って言ってたよ」
「克美さんに手を出してるのは俺じゃなくて健吾なんだけどな…。とにかく克美さん、サ
ンキューです」
「どういたしまして。でも、なんで仁くんの部屋ってこんな所にあるの?」
 克美さんは何気なく聞いたつもりなのだろうが、この質問に、また仁の顔がさっきのよ
うに曇った。そして、不機嫌そうな声で答える。
「…簡単に言えば、あっちの家を追い出されたんですよ。愛してない子供に住まわせる部
屋はないってことでね」
「えっ?それっていったいどういう意味…」
「ああっ、克美さん!もうその話はやめましょうよ!本人嫌がってるんですから!」
 俺がそんな声で話をさえぎろうとしたその時だった。
「仁お兄ちゃん、この娘誰よ!?」
 突然、克美さんの後ろからそんな声が聞こえた。見るとその声の主は仁の姪のけーちゃ
んだった。大きなバッグを持ったけーちゃんは、克美さんを押しのけ部屋に入ってくる。
「もう、あたしというものがありながらなんで別の娘部屋に上げてるのよー!」
「けーちゃん、けーちゃん」
 少し興奮気味のけーちゃんに、俺は声をかけた。
「あっ、健吾さんいたの?でも健吾さんには関係ないことだから黙ってて!」
「いや、関係あるから。だってこの人、俺の彼女だし。けーちゃんも前に会ったことある
でしょ?」
「えっ…?」
 ここでけーちゃんが克美さんを見る。
「あーっ、本当だー!確か克美さんだったっけ?ごめんなさーい!」
「別にいいけど。それじゃボク、そろそろ帰るね」
「はい、ありがとうございました。帰り道、一人で大丈夫ですか?」
「うん、平気平気。それじゃ二人とも、勉強がんばってね」
 そうして克美さんは帰っていった。が、けーちゃんは帰らずに残った。その彼女に仁が
言う。
「それで、けーちゃん。さっきのはいったい何だったのかなあ?あれじゃ俺とけーちゃん
がそーゆー関係だって誤解されるじゃないか」
「女の子同士が鉢合わせした修羅場を演出してみましたー」
「みましたー、じゃないよ。相手が克美さんだったからよかったけど、けーちゃんのこと
を知らない女の子だったらどーなってたか…」
「はーい、ごめんなさーい。もうしませーん」
 どう聞いても反省しているようには思えなかったが、仁も自分の血縁とは言え女の子に
強く当たることもできないらしく、とりあえず許すことにしたようだ。
「もうさっきみたいなことしないでくれよ。それより、姉貴とケンカしたんだって?」
「そーなの!聞いてよ仁お兄ちゃん!」
「…二人とも、とりあえず座ったら?」
 俺は立ったまま話をし始めようとした仁とけーちゃんに言った。その俺もまだ、克美さ
んが持ってきてくれた食べ物を持ったまま入り口付近に立っていた。
「それもそうだな。けーちゃん、そこ座りなよ。どうせ夕メシ食べてないんだろ?一緒に
食べながら話しようよ」
「いいの?実は家出てからほとんど何も食べてなくて、おなかペコペコだったの。ありが
とうお兄ちゃん。だからお兄ちゃんって大好き!」
 その大好きはどういう意味なんだろうと思いつつ、俺は手に持っていた克美さんからの
差し入れをテーブルに置き、自分もそこに座った。
「いただきまーす」
 俺たちは三人そろって食べ物に手をつける。
「あっ、このおにぎり梅干だ…。あたしいらなーい」
 そんなことを言うけーちゃんに、仁は−。
「けーちゃん、好き嫌いする娘は将来美人になれないぞ」
「えっ、そう?うーん、お兄ちゃんがそう言うなら食べる!」
 そう言って一度はよけた梅干を口にするけーちゃん。その彼女に俺は言った。
「けーちゃんって、仁の言うことならよく聞くんだね」
「うん。だってあたし、仁お兄ちゃんのこと大好きだもん」
「はは、嬉しいこと言ってくれるねえ。これも小さいころからお世話した効果だな。これ
で姉貴の子供じゃなけりゃ…」
「仁って、そんなにけーちゃんの面倒見てたのか?」
「ああ。ミルク作って飲ませたり、だっこしたり、オムツ替えたり、一緒にお風呂入った
りもしたな。俺、人生の半分以上姉貴に育てられたみたいなもんだから、恩返しって意味
も込めてけーちゃんの面倒見てきたんだ」
「だからあたし、しばらくの間、仁お兄ちゃんのことを、あたしのママから産まれた本当
のお兄ちゃんだって思ってたの。毎日夕ご飯食べてお風呂から出たらどこかに行っちゃう
から、どこ行ってるんだろうって思ったわ」
「まあ、実はこの部屋に帰ってきてたわけだが」
「それである日、実は仁お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃなくておじさんだって知った時、あ
たし、お兄ちゃんのお嫁さんになれるんだって喜んだの。でも…」
 ここでけーちゃんの声のトーンが下がった。
「おじさんと姪って、やっぱり結婚できないのよねえ…」
「そうなんだよねえ。だから俺はやっぱり、兄貴としてけーちゃんの成長を見守っていく
よ。彼氏とかできたら、紹介してくれよな」
「あっ、そういえば…」
 俺はここで、あることを思い出した。
「けーちゃん、半年ぐらい前に男の子とデートしてたよね?」
「ああそうだ。香菜ちゃんの弟の…綾介だっけか?俺と香菜ちゃんも含みでダブルデート
したんだったな。あれ以来そいつの話聞いてないけど、どうしたの?」
「綾介くん?うーん、やっぱりいまいちかなあって。比べるつもりはないんだけど、どう
しても仁お兄ちゃんには見劣りしちゃって…」
「うわあ、やばいなあ。近くにこんないい男がいるばっかりに、けーちゃんの理想が高く
なっちゃってるよ。なあ健吾、俺、どうしたらいいと思う?」
「知るか。それよりけーちゃん、なんで今日は家を飛び出したりなんかしたの?」
「そう!もう、聞いてよ二人ともー!」
 けーちゃんは、さっきも言ったセリフをもう一度言った。そして今度は誰にも止められ
なかったので、その続きを話し始めた。
「実はあたし、最近急に胸が大きくなってきちゃったの。それで新しいブラが欲しいって
ママに言ったら、こんなの買ってきたの!」
 そう言ってけーちゃんは持ってきた大きなバッグから何やら取り出した。…小学生向け
のブラジャーだった。そんな物を目の前に出され俺の顔が赤くなるのが自分でわかった。
「け、けーちゃん、いきなりそんな物を見せないでよ…」
 しかし、そんな俺の言葉も聞かずにけーちゃんは続ける。
「ちゃんと、これが欲しいから買ってきてって広告に印つけてママに頼んだのに、勝手に
こんな子供っぽいの買ってきちゃうんだもん、家出したくもなるわよ」
 子供なんだから子供っぽい下着買ってきたんだろうと俺は思った。そして仁がけーちゃ
んに聞く。
「けーちゃん、姉貴に渡した広告って、今持ってる?」
「あるわよ。ママにつき返されちゃったヤツ。見てみる?」
 そして今度はバッグからチラシを取り出すけーちゃん。仁が受け取ったそのチラシを、
俺も見てみた。丸がついていたのは、かなりセクシーな大人向けの下着セットだった。そ
れを見た俺は、思わずこんな言葉を言ってしまった。
「ぜ、絶対似合わねえ…」
「何よ健吾さん!あたしこれでも、クラスの女の子の中で胸が大きい方なんだから!この
セットの一番小さいサイズならフィットするもん!なんだったら触ってみる!?」
「触るか!」
 俺は大きな声で言った。それにしても、小学生の女の子と下着談義…一歩間違えばかな
り危険な行為だ。そしてけーちゃんの矛先は、チラシを見ていた仁に向いた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんからもママに言ってよ。あたしにもっと大人っぽい下着買って
くれるように」
 こう言われた仁は、けーちゃんの期待するような答えではなく、こんな言葉を返した。
「俺も姉貴と同じで、まだけーちゃんには早いと思うな」
「えーっ、お兄ちゃんまでそんなこと言うのー?」
「まあ聞きなよけーちゃん。セクシーさとかそういうのは、女の子が大きくなって女性に
なれば嫌でも身につくもんなんだ。ま、中には年齢を重ねても子供っぽい容姿のままの人
もいるけどね」
 それは克美さんのことだろうかと俺は思った。仁は続ける。
「今のけーちゃんにあるのはかわいさだろう?かわいさってのは期限つきなんだ。だから
かわいさのあるうちはそれを楽しんだ方がいいよ。大人っぽくするのは、それが合う歳に
なってからで十分だと思うな」
 こう言われたけーちゃんは、少し考え、そしてまた仁に聞いた。
「…お兄ちゃんは、あたしぐらいの歳の女の子だったら、色っぽい娘とかわいい娘のどっ
ちが好き?」
「俺は、無理に背伸びをしない娘の方が好きだな」
 この仁の答えで、けーちゃんはようやくあきらめたようだ。
「…わかった。今日のところはママが買ってきたの使う。あたしが欲しいと思ってたのを
使うのは、もっともっと大人になってからにするわ」
「それがいいと思うよ。何にせよ、今日はもう家に帰りな。それで姉貴に謝るんだ」
「…うん。ありがとう仁お兄ちゃん。あたしが望んでたのとは違う答えだったけど、お兄
ちゃんに相談してよかったわ。それじゃあね、お兄ちゃん、健吾さん」
 そう言ってけーちゃんは部屋を出て行った。
「…って、けーちゃん、忘れ物してるよー!」
 けーちゃんがテーブルの上に例のブツを置きっ放しにして帰ってしまったので、俺は思
わずそう口にした。
「じ、仁。目の毒だからそいつどこかに片づけてくれ!」
「おまえって意外にウブなのな。克美さんと一つ屋根の下に暮らしてるくせに」
「一緒に住んでたってあの人のそーゆー物は見たことないんだよ。いいから早くどうにか
してくれ」
「わかったよ。またそのうちこの部屋に来るだろうから、それまで預かっておくか。それ
より、メシも食ったことだしそろそろ勉強再開しようぜ」
「あ、ああ、そうするか」
 こうして俺たちはまた、試験勉強を始めたのであった。

 克美さんに差し入れてもらった夕メシを食べた俺と仁はまたしばらく勉強をしていたの
だが、さすがに根を詰め過ぎると返って非効率だということで、今はもう勉強をやめてい
た。夜の十時過ぎぐらいだったろうか、急にこの部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「誰だ誰だこんな時間に。…えっ、けーちゃん?」
 ドアの覗き窓から外を見た仁が言った。そしてそのままドアを開ける。
「どうしたのけーちゃん、こんな時間に?姉貴に謝らなかったの?それとも、謝っても許
してもらえなかったの?」
「ううん、ちゃんと謝ったし、許してもらえたわよ。でもそれはそれとして、今晩はお兄
ちゃんの部屋に泊まりたいなあって…。ねえ、いいでしょお兄ちゃん?ちゃんとママには
言ってきてあるから」
「いつもなら姉貴の許可取ってきてるんだったらいいよって言うところだけど…今日は健
吾もいるしなあ…」
「えっ、まだ健吾さんいるの?…あっ、本当だ」
 けーちゃんが部屋の中を覗き込み、俺がいることに気がついた。そして俺に言う。
「健吾さんって、今日ここに泊まるの?」
「ああ、その予定なんだけど…もともと仁に強引に決められたことだし、けーちゃんが泊
まりたいって言うなら、俺帰ろうか?」
「いいよ健吾、今日のところは、けーちゃんに帰ってもらうから。そんなわけでけーちゃ
ん、悪いけど今晩は…」
「えー、やだやだー。あたし今日泊まりたーい!健吾さんも一緒でいいからあたしも泊め
てよー!」
 けーちゃんがわがままを言い始めた。そしてこう言われた仁が−。
「あのさけーちゃん、この部屋って俺がいつも使ってるベッドと、このテーブルどかして
布団敷くのとで、二人分しか寝るスペースないんだよ。もう何回も泊ってるからわかって
るだろう?」
「だったらあたしがお兄ちゃんと一緒にベッドで寝る!」
「ムチャ言うなよ」
「ムチャじゃないでしょお兄ちゃん。お兄ちゃん、よくこの部屋に女の子泊めて、その時
は一緒のベッドに寝てるんでしょ?」
 なんでそんなこと知ってるんだよと俺は思った。しかも仁はそれを否定しない。
「そりゃ確かにそうなんだけどさ、その娘たちとけーちゃんは立場が違うし…」
「…わかってるもんそんなの。だから、一緒のベッドに寝るだけで何もしないから!だか
らお願いお兄ちゃん、泊めて!」
 『何もしないから』ってのは仁が女の子によく言いそうなセリフのはずだが、今日は逆
に言われてしまっている。そのギャップに俺は思わずくすりと笑ってしまった。
「な、何笑ってんだよ健吾!」
「いや、別に深い意味はないさ。でもどうする仁?けーちゃんがここまで言ってるんだ、
泊めてあげたら?やっぱり俺帰るからさ」
「わかったわかった、二人ともここ泊まれ。ただし、俺と健吾が一緒に、けーちゃんは一
人で寝るってことでな」
「待て仁。俺は男のおまえと同じベッドに寝るなんて嫌だぞ」
「俺だって本当なら嫌に決まってんだろう。でもこうするしかないだろう。それでいいよ
ね、けーちゃん」
「しょうがないからそれで許してあげるわ。それで、二人ともまだ起きてるの?」
「…今のやり取りでどっと疲れた。俺は寝たいんだが、どうする健吾?」
「おまえが寝たいんなら、俺も寝る」
「それじゃあ、みんなでもう寝ましょう」
 というわけで、俺と仁がベッドに、けーちゃんは床に敷いた布団で寝ることになった。
俺たちが下になろうかとけーちゃんに言ったのだが、彼女は自分が下でいいと言った。
 明かりを消して眠りについた俺たちだったが、いつもと違う寝床で、しかも隣に仁が寝
ているということで俺はなかなか寝つけなかった。一方、仁は熟睡している。俺がベッド
の中でもぞもぞしていると、急に、仁の体がベッドから落ちた。しかしそれでも仁は起き
なかった。一方、さっきまで仁がいたスペースに誰か入ってきた。この状況でここに入れ
る人間は一人しかいない。けーちゃんだ。そしてそのけーちゃんは−。
「えへへ、お兄ちゃ〜ん」
 そんなことを言って、俺に抱きついてきたんだ。ちょっと待てーい!俺は心の中でそう
叫び、同時に、なぜ仁がベッドから落ちたのかわかった。けーちゃんに落とされたんだ。
けーちゃんは本来なら俺を落とすつもりだったのだろう。そして仁と同じベッドで…とい
うのを画策していたんだろうが、暗くて間違えてしまったようだ。それはそうと、俺に抱
きついているけーちゃん、さっき話してたように意外と胸が大きい。夏休みに行った旅行
で、克美さんに同じように布団で抱きつかれた時よりも柔らかい物が体に密着している。
…って、小学生相手にそんなことを考えるんじゃない俺!しかもこの娘は仁の血縁だぞ!
というわけで俺は、けーちゃんに人違いだということを教えるべくこう言った。
「けーちゃんけーちゃん。俺、仁じゃないよ」
「えっ!?…やだ、健吾さん!?なんで!?」
「君が間違えてるの。さっきベッドから突き落した方が仁」
「嘘ぉ、あたし、お兄ちゃんを落としちゃったの?どうしよう…」
「落とされてもぐーすか眠ってるから平気なんじゃないの?それより、いいかげんに放し
てほしいんだけど…」
「あっ、ごめんなさい…苦しくなかった?」
「いや、平気だよ。それよりけーちゃん、君は仁が男の俺と一緒に寝てまで君と同じ布団
で寝るのを拒んだ意味がわかってないみたいだね」
 俺がこう言うと、少し間を置いてからけーちゃんが言った。
「…わかってるもん。これ以上のことは、するつもりなかったもん。お兄ちゃんとは兄妹
じゃないけど、それに近い関係だから一線は越えられないってことわかってるもん」
「本当かなあ。まあ、わかってるって信じてあげるよ。それじゃあけーちゃんはこのまま
こっちのベッドで寝なよ。俺は下の布団で仁と一緒に寝るからさ」
「うん…。じゃあ健吾さん、おやすみなさい」
 そうして俺たちは寝床を入れ替え、その後は俺もすぐさま眠りに落ちた。
 翌朝、何も知らずに寝ていた仁は起きてみて自分と俺が下の布団にいることとけーちゃ
んがベッドにいることを不思議に思っていた。俺とけーちゃんが初めからそうだったろと
口裏を合わせて言うと、仁はなぜかそれに納得した。もしかしたら芝居だったのかもしれ
ないが、ともかくその後けーちゃんは自分の家に帰り(その際、例のブツはちゃんと持ち
帰った)、俺たち二人も昨晩克美さんが持ってきてくれた差し入れの残りを食べた後にま
た勉強をしたのだった。

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