K’sストーリー第八章 いろんな事情(3)
 期末試験が終わった。その週の日曜日、俺と克美さんは二人で街へ出ていた。
「ねー健吾くん、試験の結果はどうだったの?」
「まだ返ってはきてないんですけど、自己採点では全部の教科で片瀬先生の出したノルマ
はクリアできてましたね。これも前の休みに仁と一緒に勉強したおかげですかね」
「よかったね健吾くん。ボクの方もいい感じだったよ。…とか言ってる間に画材屋さんつ
いたね。それじゃ中入って買い物しようよ」
「そうですね」
 そして俺たちはその店に入った。今日の買い物の目的は俺が漫画を描くのに使う画材な
んかを買うことだ。最初から買うことを決めていた何種類かのアイテムを買った後、他に
何か買う物がないか店内を見て回っている時に、克美さんが言った。
「あれ?ねえ健吾くん、あれって柳沼くんじゃない?」
「えっ、どれですか?…あっ、本当だ。おーい、柳沼ー」
 俺が呼びかけると、それに気づいた柳沼は俺たちに歩み寄ってきた。
「東さんに片瀬さんではありませんか。本日はお二人でお買い物でございますか?」
「まあな。おまえもそうなのか?」
「ええ」
「こんな所で柳沼くんに会うとは思わなかったなあボク。まあ、柳沼くんも健吾くんと同
じ漫画部なんだし、画材屋さんにいてもおかしくはないんだけどね」
「それは確かに片瀬さんの言う通りであります。まあ本日に関して言えば、漫画ではなく
油絵に関する物を購入したのでありますが…」
「購入した?もう買い物終わったのか?それにしちゃ何も持ってないみたいだけど…」
「少々かさばる物でしたので、宅配便で自宅に送付していただくことにいたしました。そ
の後で他に目ぼしい物がないかを物色していたのですが…どうやら収穫はなさそうですの
で、本日はこの辺りで退散いたします。東さんと片瀬さんは、いかがなされますか?」
「それじゃ俺たちも出ましょうか、克美さん」
「そうだね。行こ行こ」
 そうして俺たち三人はそろって店を出た。
「さあ行くよ健吾くん!お肉がボクらを待っている!」
 張り切るように克美さんが言ってきた。そしてそれを聞いた柳沼がたずねてくる。
「あの…お肉というのは?」
「今日これから、昼メシ食べに二人でこの近くにある焼き肉レストランに行くんだ。克美
さんがどーしても焼き肉が食べたいって言ってるんでな」
「そーそー。今日は起きた時からなんだかお肉が食べたい気分だったんだ。それで朝ご飯
を焼き肉にしようとしたら健吾くんとお父さんに止められちゃって…。で、そんなに食べ
たいんだったらタダ券があるからお昼に行ってきなさいってお父さんに言われたの。それ
でもらった券見たら使えるの今日まで!ラッキーだったなあ」
「そうだったのですか。もしかすると、本日が期限のその券の存在を、片瀬さんの本能が
察知したのかもしれませんね」
 そんなことを言う柳沼の顔は、かすかに笑っているようにも見えた。以前のこいつだっ
たらこんな冗談を言ったりするなんてとても考えられなかった。これも香菜ちゃんと付き
合うようになったおかげだろうか。俺としては、それ以上に仁や克美さんみたいな感情を
はっきりと表す人間に感化された気もするが…。
「それでねそれでね、柳沼くん」
 俺が柳沼のことを考えていると、その柳沼に克美さんが話しかけた。
「お父さんにもらった券、一枚で三人まで使えるんだ。本当はボクと健吾くんとお父さん
の三人で行きたかったんだけど、お父さんがどうしても外せない用事で来れなくて…。だ
から柳沼くん、よかったら一緒にどう?」
「よろしいのですか?あなたと東さんの時間を邪魔するようなことにはなりませんか?」
「あー、大丈夫だ柳沼。二人きりの時間なら、それ以外にたくさんあるしな」
「そーそー。なんたってボクら、一つ屋根の下に住んでるんだから」
「そういえばそうでしたね。かしこまりました、ご一緒いたしましょう」
「よかった、これで一人分無駄にならずに済んだね。よーし、それじゃ二人とも、気合い
入れて行くよ!」
「…食事をするのに、そこまで気合いを入れるものでしょうか?」
「克美さんって、生きるために食べるんじゃなくて、食べるために生きてるような人だか
ら…。それに、これから行くのは時間制の食べ放題バイキングだし…」
「ほらほら二人とも、おしゃべりしてないで早く行くよ!」
 こうして俺たち三人は焼き肉屋に向かったのだが−。
「む?あれはもしや…」
 道を歩いていると柳沼が言った。何かを見つけたらしいが、その何かを見た俺は続けて
こう言った。
「ああ、あれは…仁だな。女の子連れて、デートかよ…」
 そう、道の前方には、髪の長い、長身でかわいい一人の女の子と一緒の仁がいたんだ。
「間さん?ああ、確かに男性の方は間さんですね。それには気がつきませんでした。僕が
目に留めたのはあの方ではなく、間さんが連れている…」
「あの女の子?柳沼くんの知り合いなの?」
「まあ、そのようなところです。…申し訳ありませんが、回り道をさせていただいてよろ
しいでしょうか?実を言いますと、あまり関わりを持ちたくない人物なので…」
「おまえにもそんな人間がいたんだな。わかった、柳沼がそう言うなら…」
 俺がそう言いかけたその時−。
「新平お兄ちゃーん!」
 前方からそんな声がした。声の主は仁が連れている女の子だった。俺たちの方に駆けて
くる。そして彼女を追って仁もこちらにやってきた。
「もう、忍ちゃんってばお兄ちゃん見つけたからって急に走り出さないでよ…」
 そう彼女に言った後に、仁は改めて俺たちに言った。
「よう健吾。それに克美さんも。まさかこんなところで出くわすとはな」
「あ、ああ。おまえはデート中か?」
「そんなところだ。それにしても、柳沼が忍ちゃんの兄貴だったとは驚いたぜ」
「えっ、そうなの?本当か柳沼?」
 仁が言ったので、俺は柳沼に確認してみた。
「確かに僕はこの忍くんの兄であります。しかし間さん、名字で察することはなかったの
ですか?」
「だって俺、忍ちゃんのフルネーム知らなかったんだもん。知り合ったのも、今日が初め
てだし」
「それって、仁くんがこの娘をナンパしたってこと?」
「まあ、平たく言えばそうなるっスね。ははは…」
 この仁の乾いた笑いを聞いた後、柳沼が小さくため息をつき、そして言った。
「忍くん、このような誰にでも声をかけるような男性に軽々しくついていくものではあり
ませんよ。何よりもあなたは中学三年生、まもなく高校受験ではありませんか。そのよう
な大事な時期に外で遊びほうけている場合ではないと思いますが…」
「平気よそんなの。お兄ちゃんが受かった高校だもん、わたしだって楽勝よ」
 この娘は高校での柳沼の成績を知らずにこんなことをいってるんだろうか。それとも柳
沼並みに頭がいいんだろうか。俺がそんなことを思っていると、仁が言ってきた。
「さ、もういいだろ?忍ちゃんはこれから俺と遊びに行くんだからさ」
「ですから間さん、忍くんは受験生だと…」
「普通にやってりゃ俺たちの高校ぐらい合格できるっつーの!それに、たまには息抜きも
必要だぜ。心配すんな、今日リフレッシュしたら、明日からはちゃんと勉強するように言
うからさ」
「し、しかしですね…」
「もう、相変わらずうるさいわねお兄ちゃん!仁さん、こんなお兄ちゃんほっといてもう
行きましょ!」
「そうだね忍ちゃん。それじゃみんな、またな」
 こうして、仁と忍ちゃんは言ってしまった。残った柳沼がまたため息をつく。
「はあ、かなり心配です…」
「柳沼、そこまで心配することもないんじゃないか?仁は女の子に対しては、相手がどん
な娘でもすごく優しいし」
「女の子には…ですか」
「そんなことより、早く焼き肉屋さん行こーよー。ボクもうおなかペコペコだよー」
 克美さんが俺たちを促す。
「そう…ですね。忍くんのことは心配ですが、ひとまず歩を進めるといたしましょう」
 そして、まだ浮かない顔の柳沼を連れて、俺たちは焼き肉屋に向かったのだった。

 所変わって焼き肉屋。すでに俺たち三人が座ったテーブルの上には各々が取ってきた肉
や野菜、そしてさらに肉が並んでいる。
「時間制限があるから早く食べ始めようよ。それじゃ、いただきまーす」
 そう言うとすぐに克美さんは焼き網の上に肉を乗せてそいつを焼き始めた。俺もそれに
続いて同じように肉を焼く。しかし柳沼は何かを考えているかのようで動かなかった。
「どうした柳沼?まさかまだ忍ちゃんのこと考えてるのか?」
「ええ、そのようなところでございますです…」
「お兄ちゃんとして妹のことが心配なのはわかるけどさ、そこまで深刻に考える必要はな
いと思うよ。それより、食べないんだったらボクが柳沼くんの分まで食べちゃうよ!」
「いえ、いただきますです。…実は、ただいまの片瀬さんの発言には間違いがあります。
僕は妹の心配をしているのではございません」
「ん?それじゃ忍ちゃんのことはいいってのか?」
「いえ、忍くんのことは心配しております」
「???」
 柳沼の言葉に、俺も克美さんも理解不能になった。妹の心配はしてないけど忍ちゃんの
心配はしている?それってどういうことなんだと思っていると、柳沼が言ってきた。
「…身内の恥をさらすようであまりお話したくはないのですが、お二人にはお話いたしま
す。実は、忍くんの染色体はXYなのです」
「染色体?それって何だったっけ?克美さん、知ってます?」
「人間の性別を決める遺伝子情報のことだよね。Xが女性で、Yが男性。二人の親から一
つずつもらった染色体がX同士なら子供は女の子、XとYの組み合わせなら男の子になる
んだ」
「さすがは克美さん、物知りですね。…ん?さっき、忍ちゃんの染色体はXYだって言っ
たよな?ってことは柳沼忍ちゃんはおまえの…」
「お…弟…です…」
 いつもははっきりと物事を言う柳沼が、しぼり出すように言葉を発した。
「うっそー!忍ちゃんって男の子なのー!?」
 大きな声で克美さんが言った。それとは対照的に柳沼が言う。
「も、申し訳ありませんが、できれば小さな声で…」
「そんなこと言っても、こいつは驚かずにいられないぜ。あんなにかわいい娘が、実は男
だったなんて…。言われてみれば、中3の女の子にしちゃ背が高いと思ったよ…。あれ?
じゃあ、あの髪の毛は?」
「…カツラです。本当は、かなり短いのです」
「学校はどうしてるの?」
「学校では、男子生徒として生活しています。女性として振る舞っているのは、帰宅後や
休日のみです。それはそれは見事に化けるので、クラスメイトや学校関係者にばれたこと
はないと言っておりました。また、声変わりもしておりませんので、男性ということがば
れたこともないと…」
「うーん…」
 俺は思わず唸った。話の間に肉が焦げ始めていたが、克美さんが取り皿に退避させてく
れていた。そしてその克美さんが柳沼にたずねる。
「でもさあ、どうして忍ちゃんは男の子なのに女の子のカッコしてるの?」
「そうだよなあ。柳沼、忍ちゃんがそういう道に目覚めたきっかけって何なんだ?」
「…そうですね、ここまでお話ししたのです、もっと詳しくお話しいたしましょう…」
 そうして柳沼は、話をし始めた。

 まず柳沼には二人のお姉さんがいる。上のお姉さんが4月生まれ、二番目のお姉さんが
次の年の3月生まれということで、双子ではないが同じ学年という奇妙な状況になってい
る。柳沼とは学年で言うと五つ年上なのだが、小さいころからその二人のお姉さんに柳沼
および柳沼と年子の忍ちゃんはおもちゃにされ、彼女たちが着ていた女物の服を着せられ
ていたりしてしたそうだ。それに対し柳沼は父親の所蔵していた文献からごちゃ混ぜで覚
えた奇妙な丁寧語でそれはそれは冷やかに対応したために姉二人にからかいがいがないと
飽きられ、難を逃れた。ちなみにその時に使った丁寧語が、今の柳沼の言葉遣いの原型に
なっているらしい。一方の忍ちゃんはというと、からかいのターゲットから柳沼が外れた
ために、本来そちらに向かうはずだった攻撃まで彼女…いや、彼に来てしまい、二人分の
攻撃を受けたおかげで今のような人格になってしまったというのが真相だということだ。

「そんな風になってしまった忍くんを見て、さすがに二人の姉もちょっとやり過ぎたかな
と思ってはいるらしいのですが、今となっては時すでに遅しですよね…」
 そう話した柳沼の体が、微妙に震えているようにも見えた。多少なりとも受けた姉二人
からの攻撃がトラウマになっているのかもしれない。そしてさらに柳沼はこう言った。
「あの…このことはできれば内密にしていただきたく…」
「あ、ああ。そうだよな、自分の弟に女装癖があるだなんて世間に知れたら嫌だもんな。
克美さんもいいですよね?」
「うん、わかった。でも、仁くんにばれないかな?」
「そうだよなあ、女の子に関しちゃ百戦錬磨の仁が、デートしてる相手が男か女かわから
ないなんてありえないよなあ…」
「…そうですね。間さんがこの事実を知ってしまった時は、周囲に言い触らさないように
嘆願してみます」
「けどさあ」
 克美さんが言ってきた。
「もしも仁くんが忍ちゃんの正体を知ったらすごいショックだろうね」
「でしょうね。あっ、そのショックで女遊びやめるかも。柳沼、それを期待して、わざと
ばらしてみてもいいか?」
「や、やめてくださいそんなこと…」
 そう言う柳沼の顔は、いつもの鉄面皮からは想像できないほど崩れかかっていた−。

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