K’sストーリー第九章 スーパーアイドル健吾?(4)
 明けて1月3日。今俺は、昨日エントリーしたカラオケ大会の会場に向かっている。た
だし俺一人でなく、克美さんも一緒だ。昨日家に帰ってその日にあったことを話したとこ
ろ、大会の応援に行きたいと言われたんだ。歩きながら、克美さんが嬉しそうに言う。
「んふふ〜、健吾くんとお出かけ〜。今年2回目〜」
「そういえばそうですよね。元日の夜に初詣に行ったっきり、その日の午後と昨日一日は
家族と過ごしてましたもんね、俺」
「そうそう。いくら久しぶりに会う両親に甘えたいからって、放っておかれてちょっと寂
しかったなあボク」
「別に甘えに行ってたわけじゃ…昨日なんか、だまされてあんなことさせられちゃいまし
たし…。でもまあ、今日は親父も母さんもいませんから」
「でも健吾くんは出場者席の方に行っちゃうんだよね。また今日も別々か…」
「それは…すみません、せっかくの二人での外出なのに…」
「いいっていいって。夏休みにボクのこと応援してくれたから、今度はボクが健吾くんの
こと応援するよ」
「ああ、あの大食いコンテストですか。そんなこともありましたねえ」
 そんな風に二人で歩いているうちに、会場に到着した。
「じゃあ、出場者控え室はこっちなんで」
「うん。ボクは観客席から応援してるよ。健吾くん、がんばってね」
「はい」
 そうして克美さんと別れた俺は控え室へ。今の時間は12時30分。スタートは13時
なので、あと30分だ。知り合いもいないので、目をつぶって心を落ち着かせていたのだ
が、周囲からこんな声が聞こえてきた。
「今日の審査員に、ポスターや注意事項にも載ってない、特別ゲストがいるんだって」
「聞いた聞いた。なんでも、昨日突然決まったんだって」
「誰なのかはわからないけど、結構な大物芸能人らしいよ」
 大物芸能人かあ。まあ、誰がゲストでも、歌いたい歌を思いっきり歌えればそれでいい
や。その時の俺は、そう思っていた。その後、さらに人は増え、最終的に20人ほどがこ
の部屋に入った。そして開始5分前に、スタッフの人が全員に呼びかけた。
「出場者全員、そろっているようですね。みなさん、お待たせしました。まもなくスター
トとなります。出場者紹介で順にお呼びしますので、呼ばれたら来てください」
 そして間もなくして、控え室の外が騒がしくなった。大会が始まったんだ。司会者の若
手お笑いピン芸人の声がここまで聞こえる。
「それでは、本日の出場者の入場です。みなさん、拍手でお出迎えください!」
 それを合図に、スタッフが部屋の中に呼びかける。
「エントリーナンバー1番の方から、こちらよりステージに出てください」
 その言葉に従って外に出て行く出場者たち。俺は20組中17番目だ。
「続いてエントリーナンバー17番、高校生の、東健吾さん!」
 司会者の声に導かれて、俺はステージに出る。おお、意外とお客さんが多いぞ。全部で
100人超えてるんじゃないか?そして俺は観客席の中に克美さんを見つけた。結構前の
方に座っている。そして俺と目が合うと、笑って手を振ってくれた。その後、俺より後に
エントリーした人たちもステージに出て、全員集合となった。司会者が進行する。
「以上、20組の方々に、自慢の美声を披露していただきます。それではここで、今大会
の協賛スポンサーでありますブレイドプロダクション社長の剣崎静馬さんに、一言ご挨拶
をいただきたいと思います」
 そう言われて、「協賛者席」と書かれた席に座っていた剣崎さんが俺たちの前に立ち、
マイクを受け取る。へえ、この人の会社って、ブレイドプロダクションっていうんだ。そ
して二言三言話をした後、司会にマイクを返して席に戻った。あれ?剣崎さんの隣に、席
が一つ空いてるぞ?審査員席は違う所にあるし、さっき控え室で聞いた、特別ゲストの席
かな?俺がそう思っていると、司会の人がこんなことを言った。
「続きまして、本日の特別ゲストを紹介します。実は、昨日急きょ出演が決まりました。
理想の上司、理想の父親、理想の夫としてランクインすることも多いこの方です」
 ここまで聞いて、俺は嫌な予感を感じた。そしてその嫌な予感は的中していた。
「時代劇、『天空』シリーズでおなじみ、東山健二郎さんです!」
 なんでだよー!俺は心の中で叫んだ。そういえば昨日、剣崎さんとの別れ際に、俺だけ
でなく親父にも「また明日」と言っていた。こーゆーことだったのか!きっと、俺が申し
込みや予選をしている間に決定したんだろう。俺が頭を抱えたい衝動に駆られていると、
親父がステージ袖から現れ、中央に進んだ。その際、俺を見てニヤリと笑った。きっと俺
以外は気づいていないだろうし、気づいたとしてもなんでニヤリとしたかなんて、一般人
にはわからないことだ。そしてマイクを受け取った親父は話を始めた。
「えー、こんにちは。若い人は知らないかもしれませんが、私、ご紹介に預かりました東
山健二郎です。今日は友人である剣崎の頼みで、急ではありますがゲストとして参加させ
ていただくことになりました」
 本当かよ。実はあんたが無理矢理頼み込んだじゃねーのか?親父は続ける。
「本当は審査員をやりたかったんですが、身内が出るのに審査はさせられないと言われて
しまって…この中にいる出場者のうちの、誰が身内とは言いませんけどね」
 だー!だから余計なこというんじゃねーこのバカ親父!この一言で「身内って誰だ?」
のざわつきが会場を包んだ。
「まあそんなこんなで、審査とは関係なく楽しませてもらいますので、よろしくお願いし
ます。もちろん楽しむだけじゃあれなんで、後で特別ゲストとしての役割も果たします」
 それで親父の挨拶は終わった。そしてこれで開会式も終わりとなったので、俺を含めた
ステージ上の出場者は全員、「出場者席」に座らせられることになった。ああもう、いろ
んな意味で頭が痛くなってきた。こうなったら思いっきり歌ってやるよ。とは言っても、
俺の出番は17番目なので、結構先だ。ステージで歌う他の人の曲を聞きながら待ってい
ると、ついに俺の番になった。ゆっくりとステージ中央まで進むと、マイクスタンドから
マイクを外し手に持った。
「17番、東健吾。SLASH、『OneFlower』」
 俺の言葉を合図に音楽がかかった。それと同時に、スローペースの曲に合った、優しい
手拍子が会場に広がった。その中で俺は歌う。
「なんか、すごくうまくね?」
「身長があって顔もいいし、すごくカッコいい…」
 俺の耳に、そんな声が聞こえた気がした。しかしその言葉よりも、好きな歌を歌ってい
るということに俺は酔っていた。そして−。
「♪たった一つの命だから、優しく咲いてよOneFlower。誰のためでもなく、君
自身のために…」
 最後をサビで締めた。やった、歌い切った。完璧だ。昨日の予選も含め、これまでに何
度もこの曲を歌った中で、最高の出来だった。そしてそれが自画自賛でないことは、会場
中の割れんばかりの拍手が証明している。なんだか、すごくいい気分だ。仲間内のカラオ
ケでなく、知らない人たちの前でこんなに堂々と歌い切れるなんて、自分自身でびっくり
だ。鳴り止まない拍手の中席に戻ると、俺の一つ前の出場者にこんなことを言われた。
「なんか…すげーなあんた…」
「ま、まぐれですよ。今回はたまたま…」
 俺はそう言っておいたが、心の奥底では、そりゃあ、俺の十八番ですからねと、にやつ
きながら言っていたのだった。

 その後、残り3組の曲も終わり、審査員による別室での審査となった。その間にアトラ
クションがあるというが、司会の芸人さんのネタかな?事実それは正解でかなり笑わせて
もらったのだが、それだけでは終わらなかった。
「続いてのアトラクションは、特別ゲストの東山健二郎さんに一曲歌っていただきます」
 そ、そうだった。親父が特別ゲストだったんだっけ。自分の歌が最高の出来だったんで
すっかり忘れてたよ。でも、歌うっつーと…やっぱあれなのか?
「曲は、大ヒット曲、『トウケンタンゴ』です。では、どうぞ!」
 やっぱこれかー!そしてステージ上に現れる親父。ちょんまげのカツラに服はタンゴダ
ンスの衣装、そして腰に差した刀という奇妙ないでたちだが、これがこの曲を歌う時の正
しい格好だ。そして曲に合わせて歌う親父。
「♪タンゴ、タンゴ、トウケンタンゴ、悪いヤツらを斬りまくれ。タンゴ、タンゴ、トウ
ケンタンゴ、江戸の平和を守りましょ」
 改めて聞くと、とんでもなく変な歌詞だ。しかし、この色物的な歌が大ヒットするのだ
から世の中わからない。歌い終わると、万雷の拍手の中、親父はステージから去っていっ
た。親父からマイクを受け取った司会者がステージに戻ってくる…と思いきや、現れたの
は剣崎さんだった。
「ここで再び、私、剣崎静馬、ステージに登場させていただきます。ただいま別室にて審
査をしておりますが、思った以上に難航しております。出場されたみなさんのレベルが高
く、簡単に優勝者を決められないとのことです。そこで、決まるまでの間に、追加でもう
一つ、アトラクションをさせていただきます。若い人はご存じないかと思いますが、私も
かつては俳優をしておりまして、先ほど歌っていただいた東山健二郎とは、時代劇スター
として人気を二分していたこともありました。そして、先ほどの健二郎の歌を聞いて、私
の血も燃え始めました。彼に負けず、一曲歌わせていただきたいと思います。曲は、私が
主演しました時代劇、『新三捕物控』の主題歌、『浪花の赤いライオン』です!」
 剣崎さんが言うと曲が流れ始めた。演歌調の曲のようだが、何だこのタイトルは。浪花
だったらライオンじゃなくて虎じゃないのかとか、なんで赤いんだとか、そもそも江戸時
代には、獅子ならともかくライオンなんて単語すらねーだろとか、曲名だけでもツッコミ
所がてんこもりだ。俺のそんな考えを知る由もなく、剣崎さんは熱唱する。
「♪浪花のぉ〜、浪花のぉ〜、赤いライ〜オ〜ン〜」
 最後まで聞いたが、『ライオン』という語さえなければ普通の演歌だった。剣崎さんが
客席に一礼すると、剣崎さんや親父と同じぐらいの歳の人たちが特に大きな拍手をした。
やっぱり、年代的にストライクだったのだろう。そして剣崎さんがステージからいなくな
ると、今度こそ司会の芸人さんが戻ってきた。
「みなさま、大変お待たせいたしました。いよいよ審査結果の発表です。出場されたみな
さん、ステージへどうぞ」
 そう言われて俺たちは全員ステージへ出た。
「それでは発表します。優勝者は…」
 会場が暗くなり、ドラムロールが響く。
「エントリーナンバー17番、東健吾さん!」
 …えっ?よく聞き取れなかったけど、何て言ったの?俺がそう思う間もなく、スポット
ライトが俺を照らした。えっ、えっ、えっ、マジ?マジで俺、優勝しちゃったの!?その
後ステージが元の明るさに戻り、司会がマイクを向けてくる。
「東さん、おめでとうございます!優勝ですよ!」
「あ、あ、あ、ありがとうございます…えっと、本当ですか?」
「本当です。僅差であなたが優勝です。それでは、一言どうぞ!」
「あ、あの…信じられませんが、どうやら優勝しちゃったみたいなので、審査員のみなさ
ん、観客のみなさん、ありがとうございました」
 そう言って俺は客席に頭を下げた。頭を上げると、克美さんと目が合った。信じられな
いという顔をしながら拍手をしてくれている。そしてステージ上では、俺の隣に剣崎さん
が立ち、手に持ったトロフィーを差し出してきた。
「おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
 トロフィーを受け取る俺。
「続いて特別ゲストの東山健次郎さんから、優勝賞金の授与です」
 出てくんなよ親父と思ったが、そういう進行になってるからしょうがない。そして目録
を渡される時に、こんなことを言われた。
「おめでとう。一番初めにこの喜びを伝えたいのは、やっぱり親かな?」
「…なぜそうなるんですか?」
 俺は、あんたなんか知らないよというふりをして答えた。しかしこの親父、俺たちが親
子だってばれてもいいのか?できれば俺は知られたくないのだが…。
「というわけで、この大会は、東健吾さんの優勝で幕を閉じました。それではみなさん、
さよーならー!」
 この司会者の言葉でステージが暗くなり、大会は終わった。係員に導かれ、ステージを
後にする俺。控え室に戻ると、先に戻った人たちが拍手をしてくれた。
「あ、ありがとうございます…」
 もう俺はそれしか言えなかった。そして他の人たちと同様に帰り支度をしていると、ス
タッフの人が部屋に入ってきた。
「優勝者の東さん、いますか?」
「あっ、はい」
「そのトロフィー、自分で持ち帰りますか?よろしければ、宅配便で送りますけど…」
「いいんですか?じゃあ、お願いします」
「わかりました。それじゃあ住所を教えてもらっていいですか?それと、後で剣崎社長が
連絡をしたいというので、連絡先を教えてもらっていいですか?」
「えっ、ええ。えーとですね…」
 そして俺は自分の住所と携帯番号メモをこの人に渡した。その後、荷物を持って控え室
を出ると、克美さんが待っていてくれた。
「あっ、克美さん、待たせちゃってすみません」
「いいよいいよ。それより、優勝しちゃったね。おめでとう健吾くん」
「ありがとうございます。でも、まだ信じられません」
「けど、本当に上手だったもん、優勝も納得ってところかな。ところでさ、特別ゲストの
人って、健吾くんのお父さんだよね?」
「しーっ!できれば、人がいる所でそのことは…」
「あっ、そうか。ごめんね。じゃあ、話変えようか。ボクもうおなかすいちゃった。今日
はお父さん、新年会で家にいないし、どこか外で食べていこうか?優勝したお祝いに、ボ
クがおごるよ」
「いやいや、仁じゃないけど、女の子におごらせるわけには…今日の賞金がありますし、
昨日、親父からたっぷりとお年玉せしめましたから、俺が出しますよ」
「そう?それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな。それで、どこに行く?」
「そうですねえ…」
 俺がそう言いかけた時、急に携帯電話が鳴った。親父からだった。出たくはなかったが
出るしかないだろう。
「すみません克美さん、親父からなんで出ます。…もしもし」
「よーう、おめでとさん」
「はいはい、ありがとさん。じゃあな」
「待て待て!せっかくお祝いの電話してやってんのにそんな態度があるか!?」
「だって俺、これ以上あんたと話したくないし。それに腹減ってるから、さっさとメシ食
いに行きたいんだよ」
「ああ、それそれ。健吾、これから一緒にメシ食わねーか?」
「メシ?でも俺、これから克美さんと食いに行くんだけど…」
「それっておまえの彼女だっけ?これからどこかで待ち合わせするのか?」
「いや、今日の応援しに来てくれたから、隣にいる。今は二人でさっきの会場側だ」
「じゃあ、その娘も一緒に連れて来いよ」
「ええっ、克美さんも?ちょっと待ってくれ。…克美さん、俺の親父が、克美さんも含め
てみんなにメシどうだって言ってるんですけど…」
「えっ、ボクもいいの?そんな悪いよ…って言いたいところだけど、せっかくそう言って
くれてるんだったら…」
「じゃあ、いいんですね?親父、克美さんがいいって言ってるから、俺もいい」
「よし、それじゃあ今からこのビルの地下駐車場に来い」
「わかったよ。んじゃ、そこでな」
 そうして俺は電話を切り、続けて克美さんに言った。
「克美さん、これから地下行きます」
「ん、わかった」
 それで俺たちが地下に行くと、親父が待っていた。例の変装(?)もしている。しかも
この親父、タクシーを待たせていた。
「おー、来たか。えーっと、君が克美ちゃんだね?そーいえばさっき、客席にいたなあ」
「はい。はじめまして…ではないんですよね実は」
「一回だけ会ってるんだよな。その時は健吾の彼女と思わずに流してしまったがね」
「えーっ、そうだったんですか?」
「ところで親父、車なんか待たせてどこに行くつもりだ?」
「行きゃわかる。さあ二人とも、乗った乗った」
 というわけで俺たちはタクシーに乗せられた。いったいどこに連れて行かれるんだろう
と不安になったが、車に乗った以上、もう引き返せなかった。

 タクシーに乗った俺たちは、そのままとある店についた。和食を出す店のようだが、勇
壮な門構えだ。店の名前は“和食料亭TSURUGI”だった。
「TSURUGI…剣…ここってもしかして、剣崎さんの?」
「ああそうだ。あいつが経営してる店だ」
「ボク、雑誌で見たことがあるけど…結構高いよ?」
「ふっ、心配しなくてもいい。さあ行こうか」
 そう言って親父は中に入っていった。
「ま、親父がああ言ってるんだし、大丈夫でしょう」
「…そうだね。行こう、健吾くん」
 そして俺たちも親父の後をついていったのだが、俺たちは離れの部屋に席を用意されて
いた。しかも中に、すでに人がいた。
「あらぁ〜、健ちゃ〜ん、こんばんは〜」
 …俺の母さんだった。ああ、元日にも聞いたけど、この声と話し方は力が抜ける。そし
てその力が抜ける声でさらに母さんは続けた。
「健ちゃん〜、歌の大会で〜、優勝したんですって〜?すごいわね〜。母さんなんか〜、
どんな歌歌っても〜、ペースについていけないのに〜」
 だからそれは、そのしゃべり方のせいだろう。俺がそう思っていると、母さんが俺の後
ろにいた克美さんに気づいた。
「あらぁ〜?あなたが〜、電話でお父さんが言ってた〜、健ちゃんとお付き合いしてる片
瀬克美ちゃん〜?」
「は、はい、そうです。は、はじめまして、よろしくお願いします」
 親父と違って、こっちは本当にはじめましてだ。そしてこう言われた母さん、俺が予想
しなかったことを言った。
「いや〜ん、ちっちゃくてかわいい〜!喜久ちゃんみたいな美人もいいけど〜、こんな愛
らしい女の子もいいわ〜!あなた〜、歳はおいくつ〜?」
「こ、高校3年生です」
「え〜、見えないわ〜。でも〜、かわいいからいいわ〜。ね〜、お父さん〜?」
「ああ、そうだな。でも俺は、母さんも負けず劣らずかわいいと思うぞ」
「やだわ〜、お父さんってば〜」
 やれやれ、相変わらずだなこの二人は。俺は心の中でそうつぶやいたのだが、ふと克美
さんの方を見てみると、この人がめったに見せない、ちょっと悲しそうな顔をしていたん
だ。そして俺には、この表情の理由がわかった。
「親父、母さん、ちょっと」
 俺は二人を部屋の隅に連れて行った。
「克美さんはな、小さいころにお母さんを亡くしてるんだ。だから、両親が仲よくしてい
る姿をほとんど覚えてないんだ。そこへあんたらのいちゃつきぶりを見せられたらどう思
うか、わかるだろ?」
「そういうことか…ならしょうがない、今日は母さんといちゃつくの、抑えるよ」
「そうよねえ〜。将来〜、健ちゃんのお嫁さんになってくれるかもしれない人に〜、嫌わ
れたくはないしね〜」
 若干話が飛躍している気がしないでもないが、ともかく安心した。そして俺は、まだ部
屋の入り口付近にいる克美さんに向かって言った。
「克美さん、どうぞ中に入ってください」
「ありがとう健吾くん。…あれ?」
 克美さんが何かに気がついた。
「健吾くんと、健吾くんのお父さんとお母さん、それにボク…全部で四人のはずなのに、
どうして席が五つあるの?」
「本当だ。なんでだ?」
「ああ、もうすぐ剣崎が来る。大会優勝者のおまえと話がしたいって言ってたからな」
 親父がそう答えた。おいおい、あの人も来るのかよ。そしてこれを聞いた母さんが、思
いがけないことを言った。
「え〜、静馬ちゃんも〜、来てくれるの〜?」
「静馬ちゃんって…母さんが俺以外の男をちゃん付けで呼ぶの、初めて聞いたぞ」
「まあ仕方ないだろう、あいつは母さんの元カレだし」
「…はい?」
 俺は自分の耳を疑った。混乱している俺に代わり、克美さんが親父に聞く。
「健吾くんのお母さんとあの社長さんが、お付き合いしていたことがあるんですか?」
「ああ。俺がドラマの撮影中にケガをして入院してた時、看護婦だった母さんと知り合っ
てな、見舞いに来てくれた剣崎とも顔見知りになったんだ」
「そうなの〜。それで〜、静馬ちゃんに付き合ってくださいって言われたから〜、それを
受けて〜、お付き合いしたの〜」
「その時の親父は、母さんのこと好きじゃなかったのかよ?」
「あいつが母さんに告白した時点ではそれほどでもなかった。だから俺も、二人のことを
応援するつもりだったんだ。けどそのうち、実は俺自身も母さんが好きなんだって気づい
て…。でも、剣崎は裏切れねーなって思って、その想いは秘めておいた」
 なんか、俺と仁、それに喜久の関係に似てるなと思った(俺の方は、最終的に俺と喜久
が付き合ったわけじゃないけど)。そして、話の続きは母さんがした。
「でも〜、母さんと静馬ちゃん〜、だんだんと心が離れていっちゃってね〜、結局〜、半
年ぐらいでお別れしちゃったの〜。そこに〜、お父さんが付け込んできて〜」
「付け込むなんて人聞きの悪いこと言うなよ。俺は、傷ついた母さんをなぐさめてやろう
と思っただけだ。それに、剣崎にもそう頼まれたしな。で、なんだかんだあって、今度は
俺たち二人が付き合うようになり、結婚までして、現在に至る、ってことだ」
「ふーん、そうだったのか。でも意外だったな」
「何が〜?」
「俺はてっきり、親父と母さんは出会った時から今みたいなバカップルだと思ってたんだ
が、そうじゃなかったのは意外だったってことだよ。けど、その剣崎さんと母さんを会わ
せて、大丈夫なのか?」
「大丈夫、二人とも…いや、俺も含めてみんなもう大人だ。それにおまえは知らないだろ
うが、外では、三人で会ったりしてるんだぜ」
「そうだったのか?ならいいけどよ」
 俺がそう言ったその時、部屋の障子の向こうから声がした。
「失礼します。オーナー、いらっしゃいました」
 その言葉の後に障子が開き、剣崎さんが入ってきた。その剣崎さんに最初に声をかけた
のは母さんだった。
「静馬ちゃ〜ん、お久しぶり〜!」
「康子さん…。健二郎、本当に連れてきたのか」
「だって、俺と健吾だけこんないい所で食事して、母さんだけのけ者じゃかわいそうだろ
う。あっ、おまえの前じゃ母さんじゃなくって、おまえらが付き合ってたころの呼び方し
た方がいいのかな?」
「やめてくれ健二郎。私も彼女も、もうあのころとは違う。今の康子さんはおまえの奥さ
んなんだから、家で呼ぶように呼べばいい」
「でも〜、一度ぐらいはあのころみたいに呼んで欲しいわ〜」
「あなたや健二郎の子供の前でか?…わかった、一回だけだぞ。…こーにゃん」
「あはは〜、呼んでくれたわ〜。今ので〜、一瞬だけ〜、昔に戻れたわ〜」
 母さんは喜んでいるが、剣崎さんは屈辱的な顔をしている。そうか、「康子」の「康」
を「コウ」と読んで、そこからこーにゃんか…。もしかして、母さんが母さんになる前…
つまり、俺が産まれるまでは親父も同じように呼んでいたのだろうか。俺がそう思ってい
ると、剣崎さんが言ってきた。
「ところで、そっちの女の子は誰だ?健二郎たちに、二人目の子供なんかいたか?」
「ああ、違う違う。その娘は健吾の彼女だ。今日も応援に来てたんだけど…」
「そうなのか。そういえば、客席にいたような気がするぞ」
 親父といい剣崎さんといい、よくステージの上から見かけただけの人を覚えてるなあ。
芸能人をやってると身につくスキルなんだろうか?そして剣崎さん、今度は俺に話しかけ
てくる。
「さて健吾くん、改めて、今日は優勝おめでとう」
「あ、ありがとうございます。…あの、念のための確認なんですけど、俺の優勝って、剣
崎さんとか親父の圧力、ないですよね?」
「ああ、そんなことは決してない。私は審査にはノータッチだ」
「俺も開会式で言ったろ、本当は審査員やりたかったけど、身内がいるからゲストにさせ
られたって。だから優勝は、おまえの実力だ実力。そんなことより、俺は腹が減った。そ
ろそろ食事運ぶように言ってくれねーか?」
「ああ、わかった。ところでみんな、どこに座る?」
 剣崎さんがたずねると、親父が俺に言ってきた。
「健吾、おまえそっちの短い辺に一人で座れ」
「誕生日席かよ。さらし者みたいで嫌なんだけど…」
「でも今日って〜、健ちゃんの優勝祝賀会みたいなものだから〜、健ちゃんがそこに座る
べきなんじゃないかしら〜?」
「ボクもそう思うな。健吾くん、大人の人がこう言ってるんだから、座っちゃえ!」
「わ、わかりました。克美さんがそう言うなら…」
 というわけで俺は指定された席についた。他の四人の席は、向かって右の俺の目の前が
母さんでその奥が克美さん、反対側は俺に近い方から親父、剣崎さんとなった。席決めの
間に剣崎さんが部屋の電話から連絡していたので、次々と料理が運ばれてきた。うーん、
すごい豪華だ。そして全部の用意が整うと、それぞれに飲み物が配られた。もちろん、未
成年の俺と克美さんはソフトドリンクだ。その状態で、剣崎さんが全員に言う。
「それでは一人ずつ、何に乾杯するか言っていこうか。私は、我がブレイドプロダクショ
ン協賛のカラオケ大会の大成功に…」
「俺は、健吾の大会優勝だな」
「わたしは〜、静馬ちゃんとの再会に〜」
「ボクは健吾くんのお父さん、お母さんと会えたこと…かな?」
「じゃあ俺は、無事に新しい年が始まったことに…」
「乾杯ー!」
 そして全員でグラスを合わせる。その後俺は魚料理を一つ取って口に入れた。克美さん
の料理とは違った意味でうまかったが、その俺に親父が言ってきた。
「はい健吾!そこで一言、食べた感想を!」
「感想って…うまいよ」
「ダメだダメだ!何がどんな風にうまいのか表現できなきゃ、グルメレポーターにはなれ
ないぞ」
「んなもんになるつもりはねーっての!俺は芸能界なんかには興味ねーの!」
「では、歌手になるつもりもないのかね?今日の大会で聞いた君の歌声はまさに天使の声
だった。これを埋もれさせてしまうのは実に惜しい」
「ありがとうございます。でもあれはあの歌だったからあそこまでうまく歌えただけで、
他の歌だったらどうだったか…」
「いや、別の歌でもいけると俺は思うぜ。なあ健吾、これを機に、漫画描きなんかやめて
芸能界デビューしちまったらどうだ?」
「漫画描きなんか…?」
 親父の言葉に、俺はピクンと反応した。ついでに、話に入れずにいた克美さんも眉間に
しわを寄せた。俺たちの様子の変化に気づいた親父が言う。
「いや、漫画描きなんかってのは、言い方が悪かったな。すまない」
「わかってくれればいいんだよ。ねえ、克美さん」
「うん、そだね」
「健吾くんは、漫画家志望なのか?それと、なぜこっちの女の子まで…」
「ボクのお父さんが、漫画家さんだからです」
「なるほど。いずれにせよ、すでに目指している物があるのなら、無理強いはできないな
あ。だが健吾くん、その気になったらいつでもここに連絡をくれたまえ」
 そう言って剣崎さんは名刺をくれた。
「まあ、その気になることはないんじゃないかと思いますけど…。それより、いいかげん
食っていいっスか?」
「そうね〜、早く食べましょう〜」
 というわけでそれ以降は話はほどほどに、食べる方がメインになった。どの料理も確か
にうまかったのだが、俺には「うまい」以外の感想が出てこなかった。やっぱり俺、そー
ゆーの苦手だ…。一方克美さんは、一口食べるごとにそれをじっくりと味わい、どんな食
材がどのように調理されたのかを舌で調べているようだった。さすが料理通は違うなと俺
は思った。

 そんなこんなで食事も終わり、俺たちは全員、店の出入り口にいた。
「それじゃ剣崎、俺たち行くわ。ごちそうさん」
「静馬ちゃ〜ん、またお会いしましょうね〜」
「本日はありがとうございました。またお越しください」
 剣崎さんは、親父たちの友人でなく、この店のオーナーとしての挨拶をした。そして俺
たちは、呼んでもらったタクシーに乗り込んだ。車の中で、克美さんが言ってきた。
「ねえ健吾くん、すっごくおいしかったね」
「うーん、正直言うと、緊張だのなんだのであまり味がわからなかったんですよね…。な
あ親父、参考までに聞くけど、いくらぐらいだったんだ?」
「あん?こんだけだ」
 そう一言だけ言って、親父は領収書を出した。克美さんもそれを覗き込んでくる。
「…結構な金額だな。剣崎さんの分は入ってないから、これを四人分で割ると…」
「それなりの値段になるね…。あの、本当にボクまでよかったんですか?」
「構わんよ。それより、今日はせっかく会えたのに、あまり話ができなくて悪かったね。
剣崎との話に夢中になってしまって…」
「わたしも〜、静馬ちゃんとばっかり話しちゃって〜、少ししか話ができなかったわ〜。
今度会った時は〜、もっとお話しましょうね〜」
「はい、ぜひ。小さいころの健吾くんがどんな子だったのか、教えてくださいね」
 そんな話をしているうちに、俺たちの乗ったタクシーは最寄りの駅についた。
「それじゃあ親父、俺と克美さんはここで降りて、電車で帰るから」
「おう。俺と母さんは、明日京都に帰る。機会があったら、また会おうぜ」
「健ちゃ〜ん、克美ちゃ〜ん、また会いましょうね〜」
「はい。ごちそうさまでした。さようなら」
 そうして俺たち二人は車から降りた。中の母さんが手を振り、車は走り去る。
「はあ、今日はいろんなことがあったな…。ねえ克美さん?」
「そうだね。でも全部、おもしろいことばっかりだったよ。さ、ボクの中では今日でお正
月は終わりだ。明日から受験生モードでがんばるぞー!」
「そうですね、一次試験まであと二週間ほどですもんね。俺もできることは手伝います」
「うん。二人でがんばろー!」
 そんな風に、改めて気合いを入れる俺たちだった。

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