K’sストーリー第九章 スーパーアイドル健吾?(5)
 そんな正月から数日が過ぎた。新学期が始まるまでの間、俺はずっと家に閉じこもって
いた。そしていよいよ三学期に入り、今年最初の登校となった。その途中、仁に会った。
「おーっす健吾、初詣以来だな。あの後、正月何してた?」
「まあ、いろいろあったな。京都から親父と母さんがきて…」
「ああ、それは喜久さんに聞いた。店に行ったら、親父さんのサイン見ながら嬉しそうに
してたなあ」
「そうか。それはともかく、今年もよろしく頼むぜ」
「もちろんだぜ」
 そんな話をしながら俺たちが教室に入ると、まずは仁がクラス全員に向かって言った。
「みんなー、明けましておめでとう!このメンバーで過ごすのももう少しだけど、最後ま
で楽しくやろうぜー!」
「おおっと、ヒーローのご登場だな」
 クラスメイトの一人がそう言った。すると、それを聞いた仁が言う。
「ふっ、確かに俺はヒーローだな。特に女の子のな」
「おまえじゃないよ。ヒーローってのは、おまえの隣にいる健吾だ」
「えっ、俺?なんで?」
「とぼけんなよ。見たぜ、3日のカラオケ大会」
 げっ、こいつ、来てたのか?そしてこいつはさらに続ける。
「いやー、すごかったなあおまえ。あそこまで歌がうまいとは思わなかったぜ。あっ、そ
うそう。クラスのみんなにも教えてやろうと思って、こんな物持ってきたんだ」
 そう言ってその男が出したのは一枚の紙だった。
「嫌な予感がバリバリするんだけど…見せろ」
 そして俺はそいつの側に行き、持っている紙を覗き込んだ。それは、大会のあったCD
ショップのホームページからプリントアウトされた、その大会についての記事だった。そ
こに、「優勝者はSLASHの『OneFlower』を歌った、都内在住の高校生、東
健吾さん」とはっきりと書かれていた。優勝者顔写真とかが載ってなかったのは幸いと言
うかなんと言うか…。記事を見ながら俺がそんなことを思っていると、いきなり背後から
首根っこをつかまれた。つかんだのは仁だった。
「おまえ、俺の知らない所でこんなことやってるとはなあ…。これ見ると、歌手デビュー
のチャンスもあるみてーじゃねーか。このまま一気に、スーパースターになってやろうっ
て腹づもりか?」
「そんなこと思ってねーよ!ここに出てる社長さんとかが勧めてきてるけど、今はそのつ
もりねーし…。あー、もういいじゃねーか!この話やめにしようぜ!」
「でもわたし、東くんの歌聞いてみたいわ」
 クラスの女子が言ってきた。
「わたしもわたしも!ねえ東くん、今日の放課後、一緒にカラオケ行かない?」
「今日?ごめん、今日は放課後部長ミーティングがあるから、漫画部の部長として出席し
ないと…」
「えぇ〜、そうなの?それじゃあ、別の日ならいい?」
「みんなで行くんだったらね。それより、もう始業式の時間じゃねえ?行くよみんな」
 というわけで時間を理由にここでのこの話を打ち切ることはできたのだが、まさかクラ
スメイトに見られてたとはなあ。おまけにクラス全員に知られちゃったし…。今後、いろ
いろとややこしいことになりそうだなあと、俺は思ったのだった。

 始業式からさらに十日ほど過ぎた土曜日。実は今日は、克美さんの大学受験の一次試験
の一日目だ。どの大学を受ける人もまずはこの試験を受け、その結果次第でそのまま志望
大学の二次試験を受けたり志望校を変えたりする。そして俺は克美さんに、一人で行くの
は不安だと言われたので、試験会場である大学まで一緒に行くことにしてあげた。その大
学のシンボルである真っ赤な門を克美さんと見ながら、俺はつぶやく。
「克美さんの実力だったら、ここの二次試験だって受かると思うんだけどなあ…」
「でも、ボクが行きたいのはこの大学じゃないし。今日はたまたま、一次試験の会場がこ
こになったっていうだけでさ」
「だけど、日本一難しい大学の出身って、すごいステータスじゃないですか?」
「ボク、そんなステータスが欲しいわけじゃないもん。それより健吾くん、今日はついて
きてくれてありがとう。それで、一つお願いがあるんだけど…」
 そう言う克美さんは、なんだかもじもじしているように見えた。
「何ですか?俺にできることなら何でもしますよ?」
「ありがとう。それじゃあ、ここでボクのことぎゅーってしてくれる?それでぎゅーって
しながら、肩でも背中でも、ポンポンって叩いてくれる?」
「ここでですか?…わかりました、それじゃあ…」
 そう言って俺は、正面から克美さんのことを抱きしめた。あまり強くやり過ぎると、克
美さんの小さな体が壊れてしまうんじゃないかと思ったので、ほどほどにしておいた。そ
して抱きしめながら、克美さんの要望通り、背中をポンポンと叩いてあげた。
「…ありがとう健吾くん。おかげですっごく落ち着いたよ」
「それはよかったです。って言うか、緊張してたんですか?」
「大学受験だもん、緊張しないわけないよ。でも、もう大丈夫だよ。どうもありがとう。
それじゃ健吾くん、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!」
 そして、俺に手を振りながら、克美さんは大学の構内に消えていった。
「さーてと、夕方になったら克美さんのこと迎えに来るけど、それまで何してようかな。
一度帰って、寝直そうかなあ。昨晩は片瀬先生のアシスタントやったから、いつもより寝
てないし…」
 そんなことをつぶやきながら街中をぶらぶら歩く俺。歩いていると腹が減ったのでファ
ストフードの店に入って軽く食べたのだが、店内で俺は妙な視線を感じた…気がした。気
のせいかもしれないと思って放っておいたが、俺が店を出ると、その俺についてくるよう
に、二人組みの女の子が店を出てきた。両方とも歳は俺と同じぐらいだろうか。それで俺
は立ち止まり、その娘たちに聞いてみた。
「あの、俺に何か用ですか?」
 すると逆に、まさかのこんな質問をされた。
「あの…東山健五郎さんですよね?」
「は?誰それ?もしかして東山健二郎の間違い?どちらにしても別人だけど」
「でも、この雑誌に…」
 そう言って女の子が俺に見せたのは、ファッション雑誌『TGB』だった。号数からす
ると、最新号のようだ。そして俺は思い出した。この雑誌の副編集長さんを巻き込んで、
写真撮影をしたことを。そうか、実際に本に載るかどうかはわからないっていう話だった
けど、結局載っちゃったんだ…。
「それで、本人なんですよね?今日着ている服、これに載ってるのと同じだし…」
 そして女の子はとあるページを見せてくれた。確かにそのページに載っている写真と今
日の服装は同じだ。適当に選んだら、こんなことになるとは…。それで俺は観念してこの
娘たちに言った。
「そうだよ、確かに俺は、この写真の男だよ。でも、東山健五郎って…?」
「えっ、そういう名前じゃないんですか?だってここに…」
 女の子が違うページを開き、指を指す。そこにはモデル紹介と証した短い文が載ってい
たのだが、その文章は−。
「東山健五郎、186センチの長身と爽やかな笑顔が武器のニューカマー。所属、ブレイ
ドプロダクション!?」
 俺の知らない事実が二つも判明した。俺には東山健五郎という芸名がつけられていたこ
と、そして、いつの間にか剣崎さんのブレイドプロダクション所属にされてしまっていた
ことだ。
「な、なんでこんなことに…」
 俺が困惑していると、女の子の一人がまた言ってきた。
「あの、サインもらっていいですか?」
「サ、サイン?」
「はい。わたし、雑誌の写真見て、この人絶対将来すっごい売れっ子になるって確信した
んです。その人とこうやって会えるなんて、これは運命です!だから、サイン下さい!」
「いや、そんな風に過大評価されても困るんだけど…。でも、そこまで言うんだったら、
してあげるよ、サイン」
「ありがとう!それじゃあ、これに!お願いします!」
 そう言ってこの娘が手帳とペンを差し出してきたので俺はそれを受け取った。実は俺、
将来漫画家デビューした時のためにサインを考えてあるんだ。時々練習もしている。気が
早いかなと思っていたが、まさかこんな形で役に立つとは…って、待てよ。俺が練習した
のは、本名の「東健吾」のサイン。でもこの娘が欲しがってるのは、ファッションモデル
「東山健五郎」のサインだ。使えねーじゃん!それで動きが止まってしまった俺を不思議
に思った女の子が聞いてきた。
「あの、どうかしたんですか?やっぱりもらえないんですか?」
「い、いや、もらえるもらえない以前に、俺まだ自分のサインなんて持ってないってこと
思い出して…ただ名前書くだけでもいいかな?」
「うん、それでもいいわ」
「OK、それじゃ…」
 それで俺は間違えて本名を書かないように気をつけながら「東山健五郎」と書いた。
「はい、どうぞ」
「わあっ、ありがとう」
「ねえ、あたしにも書いてもらっていい?これにお願い」
 もう一人の娘もメモ帳を出してきた。一人に書いたらもう一人に書いても同じだと思っ
たので、こっちの女の子にもサインをしてあげた。
「これでいい?」
「どうもありがとう。それじゃあこれからもモデルのお仕事がんばってくださいね」
「あ、ああ、応援ありがとう」
 こうして二人の女の子は去っていった。やれやれ、いったいどうして俺は東山健五郎な
んて男にされたのやら。俺は親父が一枚かんでると思ったので、電話をしてみることにし
た。しかし、留守電になってしまったので、俺はメッセージを残すことにした。
「健吾だけど、俺に変な名前をつけたのはあんたか?だとしたら勝手なことしてるんじゃ
ねーよこのクソ親父!」
 それだけぶちまけて俺は電話を切った。
「さて、これからどうしよう…。とりあえず、さっきの女の子が持ってた『TBG』でも
買ってみるかな」
 というわけで俺は、その場から近い本屋に向かった。

「はあ、ばっちり載ってやがんなあ…」
 自分の写真が載った本を買った俺は、適当な公園のベンチに腰かけてそれを見ていた。
俺が載っているのはページにして見開き2ページで、あの日に着た服の半分以下だった。
まあ、もしかしたら一つも載らないかもって話だったのがこれだけ載ってるんだから、い
い方なのかな?…って、待てよ。そもそも載っちゃっていいのか?俺はこーゆー道に進み
たいわけじゃないぞ。だけど、こんなことになってしまった以上もう引き返せないかもし
れないし…。そんな風にいろいろ考えていると、急に俺の携帯電話が鳴った。
「わあっ、びっくりした!…あっ、親父からだ!もしもし!」
 俺は怒りに任せて電話に出た。
「おう、俺だ。雑誌見たぞ。全国デビューおめでとう!」
「おめでとうじゃねえよ!誰なんだよ、東山健五郎って!」
「おまえのことじゃねーか。俺が本名健治で健二郎だから、おまえは健吾から健五郎。う
まく考えたろ?」
「うまかねーよ!それから、なんで俺が剣崎さんとこのブレイドプロダクションの所属に
なってるんだよ!?」
「あー、それか。その写真見て、ファンレター送りたいって読者がいた時、どこに送れば
いいかわからなかったら困るだろう?だから剣崎に頼んで、事務所の名前だけ貸してもら
うことにしたんだ」
「…本当に名前だけなんだろうな?」
「ああ、そのはずだぜ。心配なら、直接聞いてみたらどうだ?前に、剣崎に名刺もらって
るんだろう?」
「そりゃもらってるけど…わかった、もうあんたの言うことは何も信じられないから、自
分で確認する」
「何だそりゃ。ま、自分で聞くんならそうしな。次の雑誌登場を楽しみに待ってるぜ」
「もう出ねーよ!じゃあな!」
 俺はそんな捨てゼリフと共に電話を切った。そしてそのまま次は、剣崎さんからもらっ
た名刺に書いてある番号に電話をかけてみた。女性が電話に出る。
「はい、ブレイドプロダクションでございます」
「あの…東健吾っていいますけど…いや、東山健五郎っていった方がいいのかな?」
 どうやって名乗ればいいのか迷いながら俺がそんな風に言うと、電話口の女性から、全
く予想していなかった答えが返ってきた。
「あら、もしかして、ごっち?」
「…は?誰ですかそれ?」
 今日二つ目の、聞いたことのない名前だった。電話の向こうで俺が困惑していることに
気づいた女性が言う。
「ああ、ごめんなさい。それは15年ぐらい前にわたしが勝手につけた呼び方だったわ」
 その言葉を聞いて、俺はさらにパニックになった。
「15年前?そのころから俺を知ってるなんて、あなたいったい…」
「実はわたし、剣崎静馬の娘の、剣崎けやきっていうの。昔、お父さんに連れられてあな
たの家に行った時、まだ赤ちゃんだったあなたを見て、勝手にあだ名つけちゃったのよ」
「はあ、それじゃ俺の方は覚えてないよな…。でも、ごっちって…?」
「健吾の後ろに親しみやすいように『っち』をつけて健吾っち、さらに、その後ろだけを
取ってごっち。当時はわたしも若かったから、そんな変なあだ名つけちゃったのよ」
「若いって、そのころいくつだったんですか?」
「えーっと、その時は中学一年ね」
「15年前に中一ってことは、今の年齢は…」
「ストーップ!女性の年齢の話はタブーよ。それで、ご用は何かしら?」
「ああそうだ、本題を忘れるところだった。あの、雑誌の『TGB』に俺の写真が載った
んですけど…」
「ああ、わたしも見たわ。あのちっちゃかったごっちがこんなにカッコよくなるなんてね
えって思ったわ」
「それで、そこに俺はブレイドプロダクション所属だって書いてあるんですけど…連絡先
として名前が載ってるだけですよね?」
「ええ、そうね。とりあえずの連絡先としてね。でも、本気で芸能活動するつもりなら、
本当に所属させてもいいってお父さん言ってたわ。それで、どうなの?本気でスーパース
ター目指す気あるの?」
「な、ないですよそんなの…。とりあえず知りたいことはわかったんで、これで失礼しま
す。ありがとうございました」
「あらそう?それじゃまたね。わたし、ここで事務員みたいなことやってるから、電話し
てきてくれれば出ると思うわ」
「もう電話することはないと思うけど、とにかくありがとうございました。さようなら」
 それで俺は電話を切った。それにしても、剣崎けやきさんか…。俺自身が覚えていない
大昔の俺のことを知ってる人はまだまだたくさんいそうだなと俺は思ったのだった。

 それからの俺は、公園で昼寝をしたりその辺りをぶらついたりして時間をつぶした。そ
して克美さんの試験が終わる時間になったので、朝彼女と別れた門に行ってそこで克美さ
んを待った。少し待っていると克美さんが出てきて、俺を見つけると全速力で走り寄って
きてくれた。
「健吾くん、ただいま!」
「おかえりなさい克美さん。試験はどうでした?」
「うん、結構できたよ。思ったより調子よかった。これなら、明日も大丈夫だと思う」
「それはよかった。じゃあ、帰りますか?」
「ねーねー健吾くん、直接家に帰らないで、“鬼賀屋”に寄ってこうよ。あそこのラーメ
ン食べたら、明日もがんばれると思うんだ」
「わかりました、それじゃ行きま…」
 と、俺がそう言いかけた時、俺の携帯電話が鳴った。また親父かと思ったが、そうでは
なく、仁からだった。
「すみません克美さん、出ます。…もしもし」
「…健吾か。わかってると思うが、仁だ」
 その仁の声は、静かながらもなんだか怒っているようにも聞こえた。
「そりゃわかるけど、どうしたんだ?何かあったのか?」
「ほう、とぼける気か。まあいい、ちょっと出て来い」
「出て来いって言われてももう外だし…それに、俺これから克美さんと“鬼賀屋”に行く
ところだし…」
「“鬼賀屋”だあ?わかった、俺も行くから、首を洗って待ってやがれ!」
「いや、きっとおまえの方が先につく…もしもし?もしもーし?」
 電話は、一方的に切られていた。あっけにとられている俺に、克美さんが言ってくる。
「今の、仁くん?何かあったの?」
「さあ、それが俺にもさっぱり…とにかく、俺たちが“鬼賀屋”に行くって言ったらそこ
で待つって言ったんで、行きましょうか」
「そーだね、行こ行こ。ボク、おなかすいちゃったあ」
 というわけで俺たちは“鬼賀屋”へ向かった。試験会場からは電車を乗り継がなければ
ならなかったので、それなりに時間がかかった。そして店につき、いつものように戸を開
けると、これまたいつものように喜久が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませー。…あら、健くんに克美さん。仁くん来てるわよ」
「知ってる。どこ?」
「あっちの、奥の席」
「そうか。ありがとう喜久。あっ、俺たち二人ともKスペね」
「わかったわ、あっ、お会計ですか?ありがとうございまーす」
 そう言うと喜久は別のお客さんのレジに入った。そして俺たちは、テーブルで腕を組み
待っている仁の所へ行った。
「仁くん、こんにちはー」
「おっす仁。悪いな、待たせて」
 こう言われた仁は、ぎろりと俺をにらむと、一言だけ言った。
「…とにかく座れ」
「そりゃ座るけどよ、どうしたんだよいったい?電話の時から、何か変だぜおまえ?」
「理由、教えてほしいか?これだこれ」
 そう言うと仁は、一冊の雑誌を取り出し、テーブルの上に置いた。
「あっ、『TGB』…俺も買ったよ。」
「ほーう、やっぱり自分の載ってる本はチェック済みかよ」
「えっ、載ってるって…?」
 克美さんが聞いてきた。
「俺、今年に入ってすぐ、親父にだまされてモデルの仕事みたいなことやらされましたよ
ね?その時の写真が、こいつに掲載されてるんですよ」
「そうだ、載ってるんだ!」
「きゃあ!?」
 急に仁が大きな声を出したので、店内にいた喜久が驚いた。そして彼女は仁に言う。
「もう、仁くんってばびっくりするじゃないの。あなたたち以外にお客さんがいないから
いいけど、気をつけてよね。それで、何が何に載ってるの?」
「この本に、健吾の写真が載ってるんだよ。ほら」
 そう言って仁が俺の出ているページを開くと、女の子二人がそれを覗き込んだ。
「本当に出てる…。健吾くんカッコいい!」
「そうねえ、カッコいいわねえ」
「俺、かなり前からこの雑誌読んでて、読者モデルにも応募したけど採用されないっつー
のに、ファッションなんか興味ねーよなんて顔しながら裏でこんなことしやがって…」
「おまえ、もしかしてそれで怒ってたのか?あのなあ、これは親父にはめられてやらされ
たことなんだよ。だから、できれば他の人には知られたくないなあって…。それに、撮っ
たはいいけど雑誌に載らないかもって言われてたし…散々言いふらしといて載りませんで
したじゃカッコ悪いだろう?だから、言わなかった」
「…じゃあ、俺に対して悪意があるとか、そういうのはないんだな?」
「絶対ない」
 俺のこの言葉で、仁はようやく落ち着いたようだ。
「わかった、信じよう。しかし、まさか健吾に先を芸能界デビューをされるとはな。この
間のカラオケ大会と言い今回の件と言い、本気でスター目指してるのかおまえ?」
「その気はねーよ。今回のデビューだって、自分にそのつもりはなかったんだし」
「あら、健くん、芸能界デビューならとっくの昔にしてるじゃないの」
 喜久が言ってきたので、俺はえっと思った。それで彼女に聞いてみる。
「あの、それってどういうこと?」
「健くん、15年ぐらい前の『天空侍』に、赤ちゃん役で出てるのよ。天空侍の子供じゃ
なかったけどね。やっぱり、覚えてないのね」
「いくら自分のことでも、2歳とかそのくらいのことなんて覚えてないよ。って言うか、
なんで君は知ってるんだよ?」
「お年玉で『天空侍』全集DVD買ったんだけど、その中の昔のヤツで見つけたの。出演
者の中に健くんの名前が出てたからあれって思ったんだけど、健治おじさんが主演なんだ
から、全然ありえる話なのよねえ」
 そしてこの喜久の話を聞いた仁は、ショックを受けたように言った。
「な…なんてこった…こいつには、中学で出会った時点で負けていたのか…」
「俺自身が覚えてない昔のことに勝ち負けもないだろう。それに、芸能界デビューしたか
らって、それでおまえや他の人間を見下すなんてことは俺はしねーよ」
「さっすが健吾くんだね。それより喜久さん、ボクたちのラーメン、まだかなあ?」
「もうそろそろだと思うけど…ちょっと見てきますね」
 そう言うと喜久は店の厨房の方に行ったが、すぐに料理を持って戻ってきた。
「はーい、まずは克美さんの分、お待ちどおさま。健くんの分はもうちょっと待ってね」
「OK喜久」
「喜久さーん、俺、水おかわり」
「はいはい、ちょっと待ってね」
 仁もようやく落ち着きを取り戻し、やっとこの店に平和が訪れた…かに思えた。だが、
その平和も長くは続かなかった。克美さんに遅れること数分、ようやく来た俺の分のラー
メンを食べていると、不意に俺の携帯が鳴った。
「何だよ、また電話かよ。今日はやたらかかってくる…って、誰だこれ?」
 携帯の画面には、メモリー登録されていない番号が出ていた。しかし登録はされていな
いが、俺はこの番号に覚えがあった。
「あっ、これってブレイドプロダクションじゃねーか!」
 それは、俺が昼に電話をした、剣崎さんの芸能事務所の番号だった。そしてそれに気づ
いた俺は、なんとなく出るのをためらった。すると、仁が聞いてくる
「何だ健吾、出ねーのか?」
「いや、出ると、また面倒なことが起きそうで…でもなかなか切れねーし、出るよ」
 そうして俺は、店の隅の方に行き、やっと電話に出た。
「あの、もしもし…」
「健吾くんか?私だ、剣崎静馬だ」
「えっ、剣崎さんですか?えっと、ご無沙汰してます。今月の3日以来ですよね」
「そうだな。それで健吾くん、けやきに聞いたのだが、今日、こちらの事務所に電話をく
れたそうだね?」
「え、ええ、ちょっと確認したいことがあって…」
「ああ、それもけやきから聞いたよ。君から電話があったと聞いた時は、本格的に芸能活
動を始めると言ってくれたのかと思ったが、そうでなくて残念だ」
「だから、今の俺はその気はありませんって」
「うーん、残念だな。例の雑誌を見て、一般読者だけでなく芸能関係者からも何件か反響
があったんだ。あるモデルが、所属事務所を通じて、明日、CM撮影があるから見学に来
ないかという話をしてきてるし…」
「明日ぁ!?無理ですよそんな急に」
「まあ、普通はそうだよな。しょうがない、天間くんには悪いが、断っておくか」
「えっ、それってもしかして、テンマゼンジですか?」
「ああそうだ。知っているのかね?」
「そりゃあ超有名人ですから、そっち方面に詳しくない俺でも名前ぐらいは知ってる…う
わあっ!?」
 俺は思わず大きな声を上げた。と言うのも、目の前に、席に座っていたはずの仁の顔が
あったからだ。当然のごとく、電話の向こうの剣崎さんが聞いてくる。
「どうした健吾くん、何があった?」
「い、いえ、ちょっと…すいません、ちょっと待っててもらえますか?」
 そう剣崎さんに断ると、俺は仁に言った。
「おい仁、びっくりするじゃねえか!いきなり顔近づけんな!」
「悪い。ゼンジーの名前が出たもんだから、ついな」
「ゼンジー?」
「天間全治の愛称だよ。で、ゼンジーがどうかしたのか?」
 そうたずねられたので、俺が説明をすると−。
「バカ野郎、そいつを断るヤツがいるか!貸せぇ!」
 そう言うと仁は俺から携帯を奪い取りやがった。そして勝手に剣崎さんと話し始める。
「あの、はじめまして、健吾の親友の間仁っていいます。実は俺、ゼンジーさんのファン
で、明日、健吾を説得して連れてきますんで、俺も一緒に行っていいですか?」
 な、何を言い出しやがるんだこの男!俺がそんなことを思っているうちにも、仁は剣崎
さんと話を続ける。
「ええ、大丈夫です。健吾は、俺の言うことだったら何でも聞きますんで。…あ、ありが
とうございます!で、場所と時間は…ふん、ふん…」
 仁は、何やらメモを取っている。そしてメモを取り終えると−。
「はい、わかりました。それじゃあ関係者の方によろしくお願いしまーす!」
 そうして仁は勝手に電話を切ってしまった。そして、不敵な笑みを浮かべて俺に言う。
「つーわけで、明日頼むぜ健吾」
「頼むぜじゃねーだろー!何勝手なことしやがってるんだてめーはよー!だいたい俺、明
日も克美さんのこと試験会場に送ってくんだっつーの!」
「今日送ってってもらったから、ボクは大丈夫だけど…それはそれとして、今の仁くん、
すっごい自分勝手だったよね…」
「そうよねえ。いくら友達でもあれはないわ」
 女の子二人が、仁に白い目を向ける。その視線を受けた仁はこんなことを言った。
「た、確かにそうかもしれなかったけどさ、ゼンジーといえばファッション界のカリスマ
モデルで、俺も憧れてるんだ。そのゼンジーに会えるチャンスだって思ったら、あんなこ
としちまって…頼む健吾、連れていってくれ!土下座でも何でもする!」
「いや、土下座までさせるつもりはねえけどさ…。まあ、俺も片瀬先生に初めて会った時
のドキドキ感は、あの人のアシスタントになった今でも忘れられないし、憧れの人っての
はそれほど大きい存在だってことはわかる。克美さんも明日は一人で平気だって言ってる
し、いいぜ、一緒に行こうぜ」
 俺が言うと、仁の顔がぱあっと明るくなった。
「本当か!?ありがとう健吾、恩に着るぜ!」
「ただし!」
 嬉しそうな仁に、俺は続けて言った。
「今日のこの店での俺と克美さんのメシ代、おまえが払え。それが俺が行く条件だ」
「わ、わかった、払う。健吾も克美さんも、好きなだけ食べてくれ!」
「おーし言ったな。喜久、俺、ギョウザ一つ追加な」
「じゃあ、ボクは塩ラーメン!」
 というわけで俺たちは仁のおごりでたくさん食べたのだが、翌日のことを考えると不安
になる自分がそこにはいたー。

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