K’sストーリー第九章 スーパーアイドル健吾?(6)
 明けて翌日。俺と仁は、とあるスタジオに向かうために電車に乗っていた。
「しっかし、朝早えよなあ。8時半にスタジオ入りしなくちゃならないなんて…なあ仁、
本当にこの時間なのか?」
「ああ。昨日の…剣崎さんだっけ?あの人に指定されたのがこの時間と場所だ」
 そう言って仁は昨日剣崎さんとの電話の中で取ったメモを俺に見せた。
「確かに9時撮影開始って書いてあるな。だから俺たちは、それよりも早く入ってなきゃ
いけないってことか」
「そうだよ。特に、主役のゼンジーより遅く入るわけにも行かないしな」
「そのゼンジーなんだけどさ、おまえがあそこまで目の色変えるなんて、そんなすごい人
なのか?俺、名前ぐらいしか知らないけど…」
「すごいに決まってんだろう!」
 急に仁が大きな声を出した。そしてこいつは続ける。
「あの人はな、14歳でモデルデビューして、それから間もなく『TGB』のレギュラー
になった。今じゃほとんど毎号、最初の方に出ている。今回だってそうだろ」
「確かに俺の載ってるページのはるか前方にいるなあ。ところで、ゼンジーって、そんな
名前の手品師いなかったっけ?上海だか、東京だか…」
「それとはぜんぜん関係ねー!とにかく、全国のファッショナブルな男たちはゼンジーに
憧れ、女の子たちはゼンジーのような彼氏を求める。そこまでの人なんだよゼンジーは。
わかったか?」
「わ、わかったよ。ふーん、とにかくすごい人なんだなあ。だけど、14歳でデビューし
て、今何歳なんだこの人?」
「確か、今年で二十歳だったな。ティーンじゃなくなるから、『TGB』から卒業するっ
て噂も出てるけど、どうなんだろう」
「気になるなら、今日聞いてみたらどうだ?せっかく会えるんだしよ」
「そ、そうだな。でも、あの人に会ってそんな質問できるかな俺…」
「‥‥‥‥」
 昨日の傍若無人ぶりがまるで見えない仁に、俺は違和感を覚えざるを得なかった。

 仁とゼンジーの話をしているうちに電車は目的の駅につき、俺たちはそこから歩いてス
タジオに行った。入り口で名前を言うと、ゼンジーさんから聞いてるということですんな
り中に入れた。そして中では、撮影の準備中だった。
「おい仁、剣崎さんには、誰に挨拶しろって言われてるんだ?」
「えーっと…あっ、特徴からして、あの人かな?」
 そう仁が言ったので、俺たち二人はその人の所へ言って声をかけた。
「あの、東健吾…って言うより東山健五郎なんですけど…」
「ああっ、君がか。剣崎社長から聞いてるよ。昨日の今日で呼び出してすまなかったね。
ゼンジーが、ぜひとも呼び出してくれって言うもんだからさ。で、君が剣崎社長の言って
た、健五郎くんを説得する役目の親友か」
「間仁っていいます。で、ゼンジー…さんは、まだ来てないんですか?」
 仁のヤツ、急にさん付けで呼ぶようになりやがった。本人がいないとは言え、さすがに
この場所で呼び捨てはできないか。
「今は控え室にいるから、もうすぐ来るよ。それで、東山くん」
「‥‥‥‥」
「東山くん?」
「健吾、おまえのことだろ」
「えっ?あっ、そうか。俺、ここじゃ東山健五郎なんだっけ。その名前で呼ばれるの、慣
れてないもんで…」
「まあ、デビューしたてだし無理もないか。それでね、ゼンジーの提案で、もしかすると
君にもCMに出てもらうことになるかもしれないんだ」
 こう言われて俺は驚いた。全然聞いてねーぞおい!
「無理無理無理、絶対無理ですってそんなのー!」
「無理かどうかは、ゼンジーが決める。とりあえず頭の片隅に置いておいてくれ」
「いーじゃねーか健吾、ゼンジーさんと共演なんて、夢みたいな出来事なんだぞ。おまえ
が出ないなら、代わりに俺が出てやる。それもありですよね?」
「いや、もう一人来るってことは、ゼンジー知らないし…。まあ、君もなかなかイケメン
だし、第一印象で彼の感性にフィットすれば可能性は0ではないかもしれないが…」
「うっし!」
 仁が小さくガッツポーズをする。はあ、俺には絶対無理だよ…。とここで俺は、ある重
要事項を知らないことに気づいたので、この人に聞いてみた。
「あの、ここで聞くのも変な話ですが、今日のって、何のCM撮影なんですか?」
「なっ、そんなことも知らなかったのか?今日は、チョコレートのCMだよ」
「そうか、あと一ヶ月ぐらいでバレンタインだしな。だけどゼンジーさん、甘い物はそれ
ほど好きじゃなかったはずだけど…」
 さすがは仁、そういった情報まで知っているとは。
「そのゼンジーでもとりこになる、少し苦めのビターテイストというのが今回のCMのコ
ンセプトだ。…おっ、ゼンジーが来たな」
 その言葉通り、控え室から一人の男の人が出てきた。まさしくそれがゼンジーさんだっ
た。テレビや雑誌で見るよりも、カッコよく見えた。そして、俺や仁も含めたこの場にい
る全員が彼の前に集められた。
「今日は早めに終わらせる。みんな、よろしく頼むぞ」
 それだけ言うと、ゼンジーさんは自分用のイスに座った。そしてその後、スタッフは自
分の持ち場に戻っていった。ゼンジーさんの大ファンの仁は、ただただ感動していた。
「くうっ、あの一言で現場をまとめるなんて、カッコいいぜ!」
「でも、あの人って今年二十歳なんだよな?なのに、ここにいる人たちにタメ口かよ。態
度でかくねえか?」
「その態度のでかさも、あの人の魅力の一つだ。それにゼンジーさんには、数年にわたっ
て『TGB』のトップモデルをやってるっていう自負がある」
「それじゃあ、あんな態度にもなるよな。…ん?」
 俺がゼンジーさんの方を見ていると、目が合ってしまった。まさか態度がでかいと言っ
たのが聞こえてはいないだろうが…。そして目を合わせたまま、ゼンジーさんは人差し指
一本で自分の方に来いというジェスチャーをした。
「これは…行くしかねえな…」
「つーか、とっとと行くぞ!」
 仁に促されて、俺たちはゼンジーさんの所に行った。そして、俺たちを見たゼンジーさ
んは−。
「おまえが東山健五郎か。なるほど、実物ともなると、写真以上のオーラを感じるな。も
ちろん、俺ほどではないがな。しかし、呼び出しておいてなんだが、昨日の今日で本当に
来るとは思わなかったぞ」
「ゼンジーさんに呼び出されて来ないバカなんて、そうそういませんよ」
「…誰だおまえは」
 仁に向かって、ゼンジーさんが言った。まあ、もっともな言葉だ。だがゼンジーさん、
続けてこんなことを言った。
「そうか、思い出したぞ。昨夜、剣崎社長から東山の他にもう一人来ると聞いていたが、
おまえがそうか」
「そ、そうです。俺、こいつの親友で間仁っていいます!昔から、ゼンジーさんの大ファ
ンなんです!」
「ファンだと?」
「そうです!ゼンジーさんの服装を参考にして、ゼンジーさんになろうと…」
「…本気で言っているのか?おまえごときが俺になれるはずがないだろう。いや、たとえ
誰であっても、この天間全治になることなど不可能だ」
「な、なるのは無理でも、できる限り近づこうと…」
「ふん。どこまで近づけるか、せいぜいがんばることだな」
「がんばります!がんばらせていただきます!ところでゼンジーさん、俺、生であのポー
ズが見たいんですけど、やってもらっていいですか?」
「あのポーズだと?ふん、まあいいだろう。目を皿のようにして、じっくりと見ろ」
 そう言うとゼンジーさんは立ち上がり、右手を天に掲げ、人差し指のみを伸ばした。そ
して、こんなセリフを放つ。
「天と地の間にある物、全てを治める。我が名は、天間全治」
 あっ、これテレビとかで見たことある。今回の『TGB』にも、このポーズでの写真が
載ってた。しかし、実際目の前で見ると仰々しい口上だなあ。俺はそう思ったのだが、俺
の隣の仁は−。
「カ…カッコよ過ぎる…」
 そう言って感動に打ち震えていた。まあ、自分がリクエストしたのをやってもらえたん
だから、無理もないか。
「ゼンジーさん、撮影準備できました!」
 遠くから、スタッフがそう言ってきた。
「準備ができたようだな。行ってくる。邪魔にならないように見ていることだな」
 そう言ってゼンジーさんがカメラの前に移動した。ゼンジーさんが立ち位置を確認して
いる間に、俺は仁に聞いてみる。
「なあ仁、あの人の言動って、素なのか?それともキャラ作ってるのか?」
「そんなのはどっちでもいい。どっちにしろカッコいいんだからな」
「あーそー…」
 ゼンジーさんに陶酔してる仁にこんなこと聞いても無意味だったか…。そしてそんなこ
とを話しているうちに、撮影が始まった。すげえ、ゼンジーさん、全然ミスがねえ…。素
人目からすると、一発OKだぞこれ。しかし、直後に撮った物を見たゼンジーさんは納得
していないようで、撮り直しとなってしまった。
「なあ仁、今の、どこが悪かったんだ?」
「俺にはわからん。だが、ゼンジーさんがダメだって言ったんだからダメだったんだろ。
あれが、プロ意識ってやつだ」
 そして数回のリテイクの後、ゼンジーさんも納得できる物が撮れたようで、やっとOK
が出た。だが、続けてゼンジーさんが言う。
「今のはパターン1の15秒バージョンだったな?続けてパターン1の30秒バージョン
の撮影もやるぞ」
「えっ、ゼンジーさん、休憩は?」
「いらん。他の連中が休憩を取りたいというなら取ってもいいがな」
 ゼンジーさんが休まないでいいと言っているのに休みたいと言える人はいないようで、
そのまま撮影続行になった。そして今回は30秒バージョンのため先ほどよりも倍近い時
間がかかったが、同じように本人以外には理由がわからない数回のNGを経てこちらの撮
影も終わったのである。

 二つのバージョンの撮影が終わった時点で、撮影開始から2時間ほどたち、11時を少
し過ぎていた。そして、ここでようやく−。
「ひとまずこのぐらいでいいだろう。少し早いが昼食だ」
 ゼンジーさんがそう言ったので、午前の撮影が終了となった。そしてここで、ゼンジー
さんから意外な指名が入った。
「東山、それとその連れの…間だったか。おまえたち二人、この俺を手伝え」
「えっ、手伝うって…?」
 俺が困惑していると、さらにゼンジーさんが言う。
「いいから早くしろ。俺はすでに命令した。この天間全治が!」
「はい、命令されました!行くぞ健吾、あの人の言うことは絶対だ」
 ゼンジーさんの後をつけて仁が行ってしまったので、俺も二人に続いた。で、ゼンジー
さんがどこに行ったかと言うと、駐車場だった。そこに止めてあるワゴン車の前で、ゼン
ジーさんが足を止めて言った。
「この中にある料理を降ろすのを手伝え」
「料理?」
「俺が作ってきた、撮影スタッフの昼食だ。気をつけて運べよ」
 確かに車の中には、巨大な鍋なんかが入っていた。
「すっげーたくさんありますね…」
「およそ20人分の白米飯、麻婆豆腐、それに野菜サラダだからな。俺のために汗水を流
してくれているスタッフへの、せめてものねぎらいだ。そんなことより、口よりも手を動
かせ。早いところ持っていくぞ」
「は、はい!」
 そうして俺たちは料理と食器類なんかを車から台車に移し替え、他の人たちの所に戻っ
た。そして戻って開口一番、ゼンジーさんが言う。
「待たせたな。おまえらの楽しみにしている、俺の手料理だ」
「おっ、待ってました!」
「いやー、ゼンジーさんとの仕事は、これが楽しみの一つなんだよなあ」
 いろんな人がそんなことを言う。それを聞いた俺は、ゼンジーさんに聞いてみた。
「あの、これって結構恒例なんですか?」
「可能な限りやっている。さあ、次は盛りつけだ。メイン料理とサラダは俺がやるから、
おまえたちは白米をよそえ。人数が多いから、配分には気をつけろ。この場にいて、俺の
料理が食べられない世界一の不幸者が出ないようにな」
 相変わらずの上から発言だが、ともかく俺と仁はメシをよそった。さすがに20人分と
もなるとかなりの量だったが、どうにか平等に分けられた。一方ゼンジーさんは、メイン
の麻婆豆腐を盛りつけていた。先に終わった仁が言う。
「ゼンジーさん、サラダの方、手伝います」
「バカを言うな。料理というのはな、盛り付けるまで面倒を見てやらなければならないん
だ。ただの白米ならまだしも、それ以外は全て俺がやる」
「そ、そうですか…」
 うーん、この人、かなり料理にこだわってるなあ。でも、同じ料理好きでも、克美さん
にこんなことを言われたことはないから、こだわりのベクトルがちょっと違うのかも。そ
んなことを思っているうちにゼンジーさんの盛り付けが全部終わった。
「さあ、準備ができたぞ。心して味わえ!」
「いただきます!」
 全員での挨拶の後、俺と仁はゼンジーさんの作った麻婆豆腐を口にした。
「う、うまい…うまいぞ健吾!」
「確かにうまい。克美さんの料理で舌が肥えてる俺たちがこう感じるんだから、これは本
物だな」
 そんなことを言う俺たちにゼンジーさんが気づき、そして言う。
「うまいか?当然だ。なにせ、この天間全治が作った物なのだからな!」
「そ、そうですね…」
 少し引きつつも、俺はゼンジーさんの料理を完食した。他の人たちも食事を終え、昼食
は終了となった。ごちそうさまのあいさつの後、ゼンジーさんが言う。
「ふん、当然と言えば当然だが、俺の料理を残すなどという愚か者はいなかったな。では
片付けるぞ。東山と間、手伝え」
「わ、わかりました」
 というわけで、俺たちは今度は食器類などを車に戻すのを手伝った。これぐらいなら俺
と仁だけでもよさそうな気がしたが、そこはゼンジーさんのこだわりで、他人だけに任せ
たくはなかったらしい。この人、モデルなんかより料理人になった方がいいんじゃないか
と俺は思った。

 昼食後、CM撮影が再開されることになったのだが、ゼンジーさんはカメラの前に立と
うともせず、あちこちを指で指しながら、何かをシミュレーションしているようだった。
「よし、これだ!監督!」
 急にゼンジーさんが撮影監督の人を呼んだ。そして何やら説明をしている。そしてその
説明を聞いた監督は、手を打って大きくうなずいた。そして次に−。
「東山!」
 いきなり名前を呼ばれた俺はびっくりしたが、返事をしないわけにはいかない。
「は、はい。何でしょう?」
「パターン2はおまえも出ろ!」
「ええっ、俺ですかあ?無理、無理ですよそんなの!」
「無理ではない。いいから早く準備をしろ。俺はすでに命令した。この天間全治が!」
 さっきも言ったセリフで俺を促すゼンジーさん。そんなゼンジーさんに、仁が聞く。
「あのー、こいつじゃ役不足だと思いますんで、俺なんかどうでしょう?」
「それを言うなら役者不足だ。いずれにせよ、おまえは構想外だ。黙って見ていろ。さ
あ東山、早く!」
「わ、わかりました。でも準備って…」
「こっちへどうぞ」
 スタッフにそう言われたので、俺はその人についていった。そして俺は着替えとメイク
をさせられてしまった。その状態でゼンジーさんの所へ戻ると−。
「やはり俺の目に狂いはなかった。いいか東山、俺がこうしてこうするから、おまえがこ
こでこう、そして俺がこうなって、おまえがこう。最後に二人でこうだ。わかるな?」
「え、ええ、なんとなく…」
「ならばさっそくテイク1だ。始めるぞ」
 こうしていきなり撮影に加わることになってしまった俺だが、案の定、一回目は失敗し
てしまった。
「何やってんだ健吾ー!ゼンジーさんの足引っ張んじゃねーぞ!」
 ゼンジーさんに「構想外」と言われた仁が俺にヤジを飛ばす。その仁に、ゼンジーさん
が言った。
「黙れ間。失敗したとは言え、今の東山の動きはなかなかよかった。おまえが、突然同じ
ことをやれと言われてできるのか?」
「できますよ」
 そう仁は言い返した。もしかしてこれは、自分ならもっとうまくできるから出してくれ
と言っているのか?だがゼンジーさん、そんな手には乗らなかった。
「ほう、たいした自信だな。だが、だからと言っておまえが構想外であることに変わりは
ない。行くぞ東山、テイク2だ」
「は、はい」
 だが俺は、次もまた失敗してしまった。それで弱気になった俺は言う。
「ゼンジーさん、やっぱり俺、無理ですよぉ…」
「無理ではない。この俺ができると思ったからキャスティングしたんだ。それなのにでき
ないと言うのならば、それはこの天間全治の見る目がなかったということ…人を見る目の
衰えた俺は、もはやこの世界にはいられん。さあいいのか?おまえ一人があきらめたせい
で、モデル界の至宝が永遠に失われるのだぞ?」
「そ、そんな話を大きくしないでくださいよ!わ、わかりました。がんばりますから、や
めるなんて言わないでください。ゼンジーさんが引退なんかしたら、そこにいる男に何を
されるかたまったもんじゃない」
 そう言って俺は仁のことを見てみた。
「それじゃあ、テイク3やります!」
 スタッフの声で、俺とゼンジーさんは再び位置につく。
「用意…アクション!」
 そしてプロセス通りに動く俺たち。よし、今度は失敗せずに最後までできたぞ。カット
の声がかかり、ゼンジーさんが言ってきた。
「やればできるじゃないか。さあ、さっそくモニターチェックだ」
 そうして今撮ったばかりの物を見てみる俺たち。うーん、自分で自分の動きを見るのは
恥ずかしいが、うまくできたんじゃないか?しかしそこは妥協のないゼンジーさん、容赦
なくこんなことを言ってきた。
「全体的な出来は、80点と言ったところか。東山だけのせいではない。この俺も、若干
至らない所があった。残念だが撮り直しだ」
「そんな…」
「落ち込むな東山。おまえは今の演技をすればいい。さあ次だ」
 ゼンジーさんに励まされて挑んだ次のテイク。俺はさっきと同じ演技ができた。問題は
そのレベルでいいのかと、ゼンジーさんがどうだったかだ。またモニターでのチェックを
する俺たち。そして、ゼンジーさんが一言。
「よし、いいだろう。俺も東山もカンペキだ」
「や、やったぁ…」
 安堵感から、俺は思わずそんな言葉を口にした。だがゼンジーさんは容赦なかった。
「東山、安心するのはまだ早いぞ。次は30秒バージョンだ。30秒バージョンは、今の
15秒バージョンをもとに、これがこうなってこうなってこうなってこうだ」
「やっぱり、続けてやるんですか…?」
「今のいい動きを覚えているうちにやった方がいいに決まっている。さあ、休んでいる暇
はないぞ」
「ひ、ひえ〜…」
 そうして、撮影は続いたのだったが、俺のせいでまたもリテイク地獄となってしまった
のであった。

 俺が撮影に加わって数時間後、ついにゼンジーさんから完全OKが出た。
「よし、これで全てカンペキだ。みんな、お疲れ!」
「お疲れさまでした!」
「お疲れさまでしたぁ…」
 スタッフが大きな声で挨拶をしたが、ヘロヘロの俺はその言葉を口にするだけでもう精
いっぱいだった。その俺に、仁が言ってきた。
「よー健吾、お疲れ。いいなあおまえ、ゼンジーさんと共演なんかできてよ」
「本当疲れたよ。できるなら、おまえに代わってもらいたかった」
「でも、俺は構想外だってよ。これは、俺のカッコよさがまだまだあの人に認められてな
いってことだよな。よーし、もっともっと男を磨いてやるぞ!」
「その意気やよし」
 急に割って入ってきたのはゼンジーさんその人だった。仁が直立不動になって言う。
「ゼンジーさん、お疲れさまでした!」
「この天間全治、あの程度では疲れん。それより間、男を磨くと言ったな。せいぜい、や
れるところまでやってみるがいい。そして東山、今日はご苦労だったな。しかし、無理を
言って来てもらったかいがあった。今日のこの一日は、おまえにとっても俺にとっても、
人生において有意義な日の一つとなるに違いない。こいつは少ないが、今日のギャラだ。
受け取れ」
「えっ、そんな、いいですよ…」
「心配するな、俺のポケットマネーだ。その代わり、また何かの折には呼び出すかもしれ
ないが、その時は来てくれるか?」
「で、できる限りは…」
「バカ野郎健吾、できる限りじゃなくて何を差し置いても来るんだよ!ゼンジーさん、健
吾を呼ぶ時は、俺も一緒に呼んでもらっていいですか?」
「ふん、いいだろう。それではな」
 そう言ってゼンジーさんは去っていった。その後ろ姿に、仁が感動する。
「くぅ〜、やっぱりカッコよ過ぎるぜあの人」
「ああ、カッコいいのは確かだよな。それより仁、俺たちももう帰ろうぜ」
「そうだな、帰るか。その前に、今日のスタッフとコネの一つでも作ってかねえか?」
「俺は、いらねえ。一人でやってろ。すぐ帰らないってんなら、先行くぜ」
「ああ、待てよ健吾!やっぱり俺も帰る!」
 こんな風にして、長かった一日がようやく終わった。そして帰りの電車の中で、仁がこ
んなことを聞いてきた。
「でさあ健吾、おまえ、この後どうするんだ?」
「そうだなあ、克美さんの試験も終わってるころだろうし、電話で状況聞いて、まだ家に
帰ってないようだったら迎えに…」
「そーゆー意味じゃねーよ。芸能活動するのかってんだ。国民的大スターのゼンジーさん
に目をかけられながら、それを無視するバカは普通はいない。もしも俺がその立場だった
ら、高校中退してでもあの人にくっついてく」
「それは、おまえがあの人の大ファンだからだろ。俺はもともとあの人のことそれほど知
らなかったし、それ以前に漫画家になる夢がある。しかもその夢は、もう少しで叶いそう
なんだぜ。この間応募したのも、あと一歩で佳作ってとこまで来たし…」
「ふーん、そうだったのか。それじゃあ、俺の価値観だけを押し付けるわけにはいかない
な。仮に俺が、たまたま描いた漫画が賞もらって漫画家になる道が開けたとしても、だか
らと言ってそう簡単におしゃれや女の子を切り捨てられないしな」
「まあそういうことだな。かと言って、今日やったみたいな仕事なんて、金輪際絶対にや
らねえよ!…とも言い切れないんだよな。そりゃ、最初の雑誌掲載の写真撮影は嫌々だっ
たけど、今日のは、結構おもしろいとか思っちまったし…」
「おまえの中で、揺らいでるんだな。最終的に決めるのはおまえ自身だけど、アドバイス
ぐらいはできるから、相談してくれよな、この間仁に」
「おまえそれ、ゼンジーさんのまねか?ともかくサンキューな。…ん?メール?」
 俺は自分の携帯電話の振動で、メールが届いたことに気がついた。電車内だったが見て
みると、克美さんからだった。
「『試験終わって、西野本駅まで帰ってきたよ。そっちの方はどう?』か…。よし、返信
だけしちゃうかな」
 それで俺は、『俺ももうすぐ西野本に着きます。待っててくれますか』?というメール
を送った。するとすぐに『了解だよ』という返信が来た。
「健吾、今のも克美さんか?何だって?」
「駅で待っててくれるってさ」
「いーよなおまえは。あーあ、俺も駅に着いたら喜久さんが待ってるとかねーかな」
「絶対ないな」
「てめ、この野郎」
 そんな冗談を言っているうちに電車は西野本に着いた。そして改札を出ると、目に飛び
込んできたのは克美さんの姿だった。俺を見つけた彼女が手を振りながらこちらに来る。
そして、元気な声でこう言ってくれた。
「健吾くん、お帰りー!って言うか、ただいまー!」
「お帰りなさい、克美さん。そして俺も、ただいまです。試験の方はどうでした?」
「もう、ばっちりばっちり。この勢いで二次試験も突破しちゃいたいなあ」
「それはよかったですね。俺の方は…何と言うか、またまたやっかいなことに巻き込まれ
ちゃいまして…」
「ほえ?やっかいなことって?」
「この男、CM出演しやがったんですよ。それも、天下のゼンジーと共演ですよ!」
 仁が悔しそうに言った。それを聞いた克美さんは当然のように驚く。
「えっ、それじゃ健吾くん、テレビに出るの?すごいすごい!」
「そりゃあすごいかもしれませんけど、俺はもともとそんなのに出る気はなかったし…ま
た、周りに流された感じです」
「健吾くんって、そーゆーの多いよね。ダメだぞ、自分を持たなきゃ」
「いや、持ってるつもりではいるんですけどね…」
「あー、どーでもいーけど、俺、腹減っちまったよ。“鬼賀屋”行くけど、二人はどうす
る?」
 仁が話の腰を折ったが、俺にとっては都合がよかったかもしれない。
「ボクも行く!試験の緊張が解けたら、おなかすいた!」
「克美さんが行くなら、もちろん俺も行きますよ。もう、今日はやけ食いでもしてやろう
かな」
「言っとくけどな健吾、やけ食いしたいのは、もう少しでゼンジーさんと競演できるとこ
ろだったのにできなかった俺の方なんだからな!よーし、今日はおまえにおごってもらう
ぞ!」
「なんでだよー!」
 そんな話をしながら、駅を後にする俺たち三人。まだ今年が始まって半月ほどしかたっ
てないが、かなりいろんなことがあった。しかしそれは、この波乱だらけの一年の幕開け
に過ぎないのだった。この後俺の身に何が起きるかは、また別の機会に。

<第九章了 第十章に続く>
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