K’sストーリー第十章 バレンタインパニック(4)
 翌日、2月15日。その日の授業が終わった俺が漫画部の部室に行くと、香菜ちゃんと
柳沼がいた。俺が来たことに気がついた柳沼が口を開く。
「東さん、昨日はお疲れさまでございました」
「ああ、お疲れ。香菜ちゃんも、昨日はありがとうね。来月のホワイトデー、今度は俺た
ち3人が君たちのために何か催すから、期待しててね」
「は、はい。それで東センパイ、今日、家庭科の授業があって隣のクラスの小早川さんと
話をしたんですが…」
「小早川さん?ああ、昨日俺に告白した!…で、何か言ってた?」
「ええっとですね、わたしから話しかける前に、彼女の方に声をかけられたんです。『東
さんの彼女ってあなたなの?』って。もちろん、違うって答えましたけど…」
「そ、そんなこと聞かれたの?それで、もしも香菜ちゃんが俺の彼女だったらどうするつ
もりだったんだろう?」
「嫌がらせをするとか」
 柳沼が言ったので、俺はあせった。
「やめろよそういうの。それだとあの娘、克美さんのこと探し出して何するかわかったも
んじゃない。あの人が危ない」
「わたしも気になったので、もしもわたしが東センパイの彼女だったらどうする気なのっ
てたずねたんです。そうしたら、特に何をするつもりもないって。ただ、ある意味自分に
勝ったわけだから、そう簡単に別れないでよって言うつもりだったみたいです」
 それを聞いた俺は安心した。
「はあ、よかった。それだと、克美さんのこと知っても、その言葉を言うだけで済みそう
だ。それに、前向きな娘だから、俺に振られても大丈夫そうだな」
「表向きはそうでも、心の奥ではわかりませんよ。わたしがセンパイに振られた時も、実
は結構傷ついてたんですから」
 こう香菜ちゃんに言われた俺は、ちょっとだけドキッとした。
「そ、そういう言い方はやめてよ。もう一年近く前の話なんだからさ。しかも、今の彼氏
の前で…」
「以前から東さんと香菜さんの過去についてはうかがっておりますので、僕的には特に問
題はございません。それで東さんは、ここへは部活動をしにいらっしゃったのですか?」
「いや、今日は置きっぱなしにしてた資料を取りに来ただけだから、すぐ帰るよ。おまえ
と香菜ちゃんはどうなの?」
「わたしたちは、ここで漫画を描いていこうかと…」
「そう。じゃあ、がんばってね」
 そう言うと俺は、目的の資料を探し、そのまま家路についた。もうすぐで家につこうと
いうその時、俺の携帯電話が着信した。見ると、克美さんからだった。
「何だろう?…もしもし、健吾です」
「健吾くん?今どこ?」
「どこって、もう家につきますけど…」
「そう、じゃあよかった。あのね、健吾くんにお客さんが来てるの」
「俺にお客さん?…って、言ってるうちに家ついちゃいましたけど」
「ああ、そうなんだ。それじゃこの電話切るから、そのまま帰ってきて」
 そう言われたので、俺は電話を切って玄関を開けた。
「ただいま帰りましたー」
 すると家の奥から克美さんが出てくる。
「お帰り健吾くん。お客さんは、応接間にいるよ」
「そうですか、すみません。でもお客さんって誰だ?」
 疑問に思いながら応接間に行くと、そこには年のころ20代後半から30代前半と思わ
れる一人の女性がいた。結構美人だ。そしてその人は俺に気づくとこんなことを言った。
「こんにちはごっち。実際に会うのは、もう15年以上ぶりね」
「えっと、どなたですか?…って、俺のことをごっちって呼ぶってことは、あなた、けや
きさんなんですか?」
「そう、わたしが剣崎けやき。お久しぶり」
「久しぶりって言っても、俺にしたら初対面みたいなもんですし…。って言うか、いった
い何の用なんですか?」
「やーねー、昨日、君宛てのチョコを届けるって電話で話たじゃないの」
「ああ、そういえば…。でも、てっきり宅配便か何かで送ってくれるもんかと…まさか、
直接届けにくるなんて思いませんでしたよ」
「それでもよかったんだけど、せっかくだからごっちに会って話をしてみたいかなあって
思ったのよ」
「そんな、俺と話なんかしてもたいしておもしろくもないでしょうに」
 俺がそう言った時、応接間に克美さんが入ってきた。
「健吾くん、お茶どうぞ。剣崎さんは、おかわりいかがですか?」
「ありがとう。えーっと、克美ちゃんだったっけ?お父さんからごっちに彼女がいるって
ことは聞いてたけど、こんなに小さい女の子だったなんてねえ。それに、これはお父さん
にも聞いてなかったけど、まさかその娘と一つ屋根の下で一緒に暮らしてるなんて…」
 けやきさんがそんなことを言ったので、俺は克美さんに聞いた。
「…克美さん、けやきさんに話しちゃったんですか?」
「うーんと、えーっと、それはね…ごめんなさい、話しちゃいました」
「ごっち、克美ちゃんを責めないであげて。ごっちの連絡先の住所にある家に住んでるん
だから、話さなくてもわかることよ。でも、まいったわねえ」
「な、何がですか?」
「うちの事務所、恋愛禁止なわけじゃないけど、今から売り出そうとしてる子に彼女がい
るって世間に知られたら、価値が下がっちゃうわ」
 こんなことを言われた俺は、ガクッとなった。そして、けやきさんに言う。
「あ、あのですねえけやきさん!俺は、売り出されるつもりなんかこれっぽっちもないん
です!前に剣崎社長にも言いましたけど、俺は芸能界には興味がないんですから!」
「やっぱりそう?お父さんにそう話してから一ヶ月ぐらい過ぎてるから、もしかしたら心
変わりしてるかもって思ったんだけど…」
「変わってません。って言うか、俺としたい話がそーゆー話だっていうんなら、するだけ
無駄ですよきっと。持ってきたチョコだけ渡してさっさと帰った方が、お互い、時間の無
駄にならずに済むと思います」
「ずいぶんきつい言い方するのねえごっちってば。でも、確かに君の言う通りかも。それ
じゃあ、これね」
 そう言ってけやきさんが差し出したのは、割と大きめの紙袋が二つ。どちらも中はパン
パンだった。
「こ、これですか?結構ありますね」
「そうね。わたしも事務所から持ち出す時に改めて数えてみたらびっくりしちゃった。そ
れと、実際に見てないからわからないけど、きっと同じチョコがたくさんあるわよ」
「えっ、それはどういう…」
「わかった!健吾くんが出てるCMのだ!」
 急に克美さんが言った。それにうなずくけやきさん。
「そういうこと。それじゃあわたし帰るわ。君が言う通り、ごっちを芸能界に入れちゃお
う作戦は頓挫しそうだし。でもわたしもお父さんも待ってるから、その気になったらいつ
でも電話してね」
「その気になることはないと思うんですけどね…。とりあえず、チョコ届けてくれてあり
がとうございました。玄関まで見送ります」
 というわけで、俺たち3人はそろって玄関へ。靴を履きながらけやきさんが言う。
「克美ちゃん、お茶、どうもありがとう。それじゃあ、お邪魔しました」
 こうしてけやきさんは去ったわけだが、その途端、疲れがどっと出た。
「はあ、なんかすごく疲れた…」
 俺がそうつぶやくと、克美さんがねぎらいの言葉を言ってくれた。
「お疲れさま健吾くん。でも、今日の健吾くん、何だかいつもより恐かったよ?」
「俺を芸能界に引きずり込もうとする人に対してはああいう態度で接しないと、ずるずる
と流されちゃいそうな気がして…」
「でも、仁くんから聞いたんだけど、健吾くん、CMの撮影、最後のころにはおもしろく
なったって言ってたんだって?」
「そ、それはそうなんですけど、だからこそこれ以上深入りしたくないんです。俺が目指
してるのは漫画家だってことを自分で再確認するために、あえてけやきさんに対してああ
いう態度をとってみたんです」
「そっかあ、それじゃしょうがないよね。でも、このチョコ結構な数だよね…」
 克美さんが袋をのぞき込んでくる。
「そうですね。うーん、ちょっと多過ぎだよなあ。克美さん、食べます?」
「いくらボクが食べるのが好きでも、そんなことしたらくれた人に悪いよ」
「そりゃ確かに、『東健吾』がもらったヤツなら俺が責任持って食べますよ。何日かかっ
てもね。だけどこいつらは、『東山健五郎』がもらったヤツです」
「そんなの、どっちも健吾くんじゃない」
「いーえ、『東山健五郎』は、俺であって俺じゃないんです」
 頑固な俺に、克美さんも折れたようだ。
「もう、わかったよ。それじゃこれは、お父さんが持ち帰ってくるヤツと一緒に、ボクの
おやつにするから」
「片瀬先生?そういえば帰ってきてから姿を見てませんけど、出かけてるんですか?」
「うん、漫画雑誌の編集部に行ってる。やっぱりその編集部に、お父さんとか、お父さん
が描いてる漫画のキャラクター宛てのチョコレートが届いてるから、打ち合わせがてら引
き取ってくるって」
「そう、それですよ克美さん!」
「うわあ、びっくりした!」
 突然の俺の大声に、克美さんはものすごく驚いたようだった。
「急に大きな声出すからびっくりしちゃったよ。で、何がそれなの?」
「片瀬先生は、自分宛てのだけじゃなくて、先生の漫画のキャラクター宛てのチョコもも
らってくるって言いましたよね?それと同じで、『東山健五郎』も、俺が生み出した架空
の人物ってことなんですよ」
「でもでも、いくら否定しても、雑誌とかテレビのCMの中には、『東山健五郎』は実在
してるわけだし…。でもまあいいや。健吾くんがなりたいのは漫画家であって芸能人じゃ
ない。これでいいんでしょ?」
「え、ええ、そうです。それでいいんです」
 わかってくれたようでよかった。俺がそう思っているとさらに克美さんが言ってきた。
「もし健吾くんがこれ以上有名になったら、ボクとの距離がどんどん遠くなっちゃいそう
な気がするな。健吾くんには、ボクだけのアイドルでいてほしいのに…」
 そう言う克美さんの表情は、どこか悲しそうに見えた。だから俺はこう言った。
「わ、わかりました。俺はいつまでも、克美さんだけのアイドルですよ」
 俺のそんなセリフの後、数秒の沈黙があった。そしてー。
「ぷ…ぷぷぷ…」
「あははは…あははははは…」
「わーはっはっはっはっはっは!」
 俺と克美さんは、二人で大笑いしてしまった。克美さんが言う。
「ご、ごめん健吾くん、自分で言っといてなんだけど、『ボクだけのアイドル』だって。
なんかおかしいね。ちょっとした冗談で言ったつもりだったんだけど…」
「俺も克美さんにつられて『克美さんだけのアイドル』なんて言っちゃいましたけど、何
なんでしょうねこれ」
 そうしてまた二人で笑ったが、その後、克美さんの表情がシリアスになった。
「あのね健吾くん、もし心変わりして芸能人やりたくなったら、やってもいいよ。アイド
ルになっても、ボクのことを一番に思ってくれるなら」
「大丈夫ですよ。万が一これ以上の芸能活動をやることになっても、俺の一番はずーっと
克美さんですから。当然、克美さんの一番も俺なんですよね?」
「もっちろーん!これは冗談じゃないよ」
「よかった。安心したら、おなかすいちゃいました。今日の晩メシは何ですか?」
「ごはん?うーんと、今日はねえ…」
 こうして、普段の会話に戻った俺と克美さん。そう、これが俺たちの日常なんだ。この
日常は、誰も壊せない。壊そうとしたって、壊させやしない。きっと、きっと。きっと!
<第十章了 第十一章に続く>
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