DARK BLOOD REVERSE

 サーザムを離れて七日目、偉男[イオ]たちが目指すイルム・ザーンまであと少しである。近くに宿場町がないため、今日は森の中
での野宿となった。
「偉男さん、大丈夫ですか?なんだか顔色がすぐれないようですけど…」
 そう言ったのは彼と共に旅をしてきた仲間の一人、ティナである。この二人以外はすでにテントで眠りについているようだ。
「ああ、大丈夫。寝れば治るよ」
「だけど、ここ数日体調がよくないじゃないですか」
「平気だって。それにしても、ティナが倒れなくなったってのに、今度は俺がこんな調子じゃシャレにならないよな」
「‥‥‥‥」
「あっ、ごめんごめん。君の前ではこのことは禁句だったね」
「い、いいんです。私がしょっちゅう倒れてたことは事実ですし、それに私の正体が実は…」
「しっ!」
 偉男がティナを制した。
「それは言わない約束だろ?君が何者でも俺は気にしないよ。それに、このことを知ってるのは俺と君、それとカイルだけなんだ。他
の人には知られないようにしなくちゃな」
「はい、すいません…」
「わかればいいよ。それじゃあ、今日はもう寝た方がいい。明日も早いんだし」
「はい。じゃあ、おやすみなさい」
 そしてティナはテントの方へ歩いていった。残った偉男は−。
「それにしても、何だってここに来てこんなに体調が悪くなったんだろう…うっ!?」
 突然、偉男の体から力が抜けていった。
「こ…これはいったい…とにかく、何かここにいちゃまずい気がする…!」
 理由はわからないがそんな予感が偉男の胸をよぎった。彼の足はいつの間にか森の奥へと向かっていた。
「くそう、何なんだよこれは…頭もどんどん痛くなってくるし…」
 そう言った偉男の体が急に軽くなった。意識も薄れていく。
(くそ…俺は死ぬのか…!?)
 そしてとうとう偉男の体は動かなくなった。だが、死よりも恐ろしい恐怖が彼の肉体を襲うことを偉男は知らなかった。

「偉男さーん、どこにいるんですか?」
 ティナの声が森の中に響く。深夜に目を覚ました彼女が、偉男がいないことに気づき彼を探しに来たのだ。
「偉男さん、どこに行っちゃったのかしら…」
 そんなことを言いながらティナは森を進んでいったが、ようやく森の中で切り株に腰掛けている偉男を見つけた。
「偉男さん…。よかった、見つかって。だけど、こんな所で何をしてるんですか?」
「‥‥‥‥」
 ティナがたずねても偉男は何も答えなかった。
「偉男さん?」
「ティナ、こっちへ来い…」
 ようやく偉男が口を開いたが、なぜかいつもと感じが違った。そして彼は続ける。
「おまえに頼みたいことがある」
「頼み?何ですか?」
 それに答えるように、偉男はポケットからナイフを取り出し、刃をティナに向けた。
「こいつでおまえの体を切らせてくれ」
「えっ、いったい何を…?」
 偉男は何も言わずに立ち上がった。ナイフをティナに向けたままじりじりと歩みよってくる。
「偉男さん!?」
「血が見たいんだ。この衝動、吸血鬼のおまえにならわかるだろう?」
「わかりません!確かに私は吸血鬼の血を引いてるけど、血を欲しがったのは私じゃ…」
 ティナははっとした。
「まさか…偉男さんも吸血鬼…!?」
「俺はただの人間さ。だけど血が見たいんだ。いってみれば殺人鬼か」
「偉男さん、いったいどうしたんですか!?」
「どうもしないさ。さあ、もうおしゃべりは終わりだ」
 偉男は刃をちらつかせながらティナを追いつめる。その時だった。
「そこまでだ、二重人格ヤロー」
 その声とともに木の影から現れたのは魔族のカイルだった。
「おまえか…」
「女を助けるなんてオレのガラじゃないが、その女を殺させるわけにはいかないんだよ」
 そう言うとカイルは一瞬で移動し、ティナを助け偉男から離れた。
「あの、カイルさん、さっき言った二重人格って…」
 ティナがおそるおそるたずねた。
「ああ?そのまんまだ。それ以外に解釈のしようがあるか?」
「それじゃあ…」
「まったく貴様らは二人そろって…だが、その様子だとあいつを見るのは初めてみたいだな」
 ティナは何も言わずにうなずいた。カイルは偉男に向かって聞く。
「おまえ、今までにも何度か人格が入れ替わったことがあったのか?」
「いや、今回が初めてだ。意識の底でおまえたちのことはいつも見てたけどな」
「ならばなぜ貴様が出てきた?」
「血を見たいって俺の欲望がこの体を自分の物にしたんだろうな。そして、その欲望を強くしていったのはきっとおまえだ」
 偉男はティナを指さした。
「私が…?」
「俺と同じく血を欲しがる者の存在が、俺の意識とシンクロしたんだ」
「勘違いするな。血を欲しがってたのはこの女のもう一つの人格で、今のこいつじゃない。しかもその人格はもう消え去った」
「そんなことは関係ない。その女に吸血鬼の血が流れているという事実に変わりはないのだからな」
「‥‥‥‥!」
 ティナは大きなショックを受けたようである。その彼女を横目にカイルが偉男に言う。
「おい、こいつはそのことにコンプレックスを持ってるんだ。やはりおまえは、ライバルと認めた偉男ではない!」
「なら、俺を新しいライバルにしたらどうだ?身体は今までの偉男だし、闘争本能がむき出しになってる分俺の方が強いぞ」
「ただ強ければいいというわけではない。精神的にも熟していなければオレのライバルにはなりえんのだ。いたずらに血を欲するだけ
の貴様にその資格はない!」
「何とでも言え。いずれにせよ、今までの偉男はもう二度と出てこないのだからな」
「そんな…カイルさん、何とかできないんですか!?」
 すがるようにティナがカイルにたずねる。しかし、カイルの答えは無情だった。
「残念だが無理だ。以前貴様の人格が入れ替わった時には、貴様の中の偉男に対する感情を消すことで元に戻すという手段があった。
結局は使わなかったがな。しかし今回ヤツが出てきた原因は貴様への感情でなく純粋な血への欲望だ。それは無限大でオレに消せる物
ではない」
「そんな…!」
 力を失って地面にへたりこむティナ。あざ笑うように偉男が言う。
「はははっ、なかなか物わかりがいいな。さて、それではおまえたち二人を…うっ!?」
 偉男が膝をついた。ティナにもカイルにも何が起きたかわからない。少し苦しそうな表情で偉男が言った。
「くっ、俺の心の奥底にまだ以前の偉男の人格が残っていたようだな…。待っていろ、すぐに消し去ってやる」
 そう言うと偉男は目を閉じた。そしてまるで動かない。
「カイルさん、いったい偉男さんは…」
「自分から意識の中に飛びこんでいきやがった。まさか自らの意志でそんなことができるとはな…。しかし、いずれにせよこれで全て
の決着がつく」
「えっ?」
「心の奥底で以前の偉男と今の偉男が戦う。勝った方がこれからの偉男になる。が…」
 そう言うとカイルは剣を抜いた。
「次に出てくるのが殺人鬼の偉男だったら、オレは容赦なくヤツを斬る。いいな?それが嫌なら今までの偉男が勝てるように声をかけ
ろ。例え意識の底であろうと心からの呼びかけは届く。それはかつて心の中に閉じ込められた貴様がよくわかっているはずだ」
 そしてカイルはぴくりとも動かなくなった偉男を凝視した。いつ動き出しても反応できるように。
「くはははは、そろそろ終わりか?」
 偉男の心の中で今までの彼と殺人鬼が戦っていた。しかし偉男が圧倒的に不利である。現在肉体を支配しているのが殺人鬼の方だか
らだ。殺人鬼の偉男が勝ち誇ったように笑う。
「おまえもよくここまでやれたな。まあ、最後に勝つのは俺だが。さあ、完全に消滅させてやる!」
 だがその時、心の中に光があふれた。暖かい光である。
「な、何だこれは!?」
「こいつは…ティナの…心…?」
 外の世界で何が起きていたのか?それは、ティナが偉男を抱きしめていたのだ。もちろんカイルはそれを止めたが、彼女はその制止
を振りきったのである。
(あの時は偉男さんが私を助けてくれた。だから今度は私が…!!)
 その想いは二人の偉男に届いた。
「や、やめろ!俺にそんな気持ちは…」
 殺人鬼の偉男が苦しみ出す。逆にもう一人の偉男には力があふれてきた。
「そうだ…俺は…負けられないんだー!」
「ぐぎゃあああああ!」
 心の中の光が強くなった。そして同時に外の世界では偉男の体から光があふれた。

 その光が収まった時、偉男、ティナ、カイルは地面に倒れていたが、しばらくしてカイルが最初に目を覚ました。
「く…いったい何が…ん?」
 カイルは気を失っている偉男を見ると剣を拾い構えた。
「勝ったのはどっちだ?」
 その言葉のすぐ後に偉男が目を覚まし起き上がった。慎重にカイルが口を開く。
「貴様はどっちの偉男だ?」
「俺は…俺は今までの俺だ。おかげでヤツは消滅したよ」
「そうか。貴様の側に倒れているその女に礼を言うんだな」
 カイルは剣をおさめた。
「ああ、わかってるよ。それに、おまえにも礼を言わなきゃな」
「ふん、オレは特に何もしていない。それとなあ、今回の事件は貴様の心の弱さが原因だ。もっと精神を鍛えることだな」
「おまえに言われたくないね」
「いちいちむかつくヤローだ。俺はもう行く。閉鎖遺跡で待ってるぞ」
 そしてカイルはマントをひるがえし去っていった。
「う…ううん…」
 ティナが目を覚ましたようである。偉男に気づき、目に涙を浮かべて彼に抱きついた。
「ティナ、俺のこと警戒しないの?」
「警戒なんてしません。だって偉男さんは偉男さんだから…偉男さんの心の中で何が起きたか、私にははっきりわかったから…」
「そうか…ありがとう」
 言って偉男がティナを強く抱きしめた時、二人は光を感じた。見ると太陽が昇りかけていた。
「もうこんな時間になってたのか…。戻ろう、ティナ。みんなが心配してるかもしれない」
「はい!」
 それから数日後、偉男は元の世界に帰るのだが、ティナが彼を追うために魔宝を集め直すというのはまた別の話である。

<了>

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