もう一度異世界

 俺が異世界から帰ってきてからかなりたった。あれは夢だったんじゃないかと思っていた時期もあったけど、今ではあの出来事は現
実だったんだと信じて疑わない。だって、俺を追いかけてこっちの世界まで来てくれた彼女がいるからだ。その彼女とは−。
「なあなあ伊介、ラーメン食べへんの?だったらうちにくれへんか?」
 俺の隣にいる関西弁の娘。そう、俺を追いかけてきたのはアルザだったんだ。今では彼女は高校に通っている。今日も学校帰りに二
人でラーメン屋に寄った。
「なあなあ、食べへんの?」
「いや、食べるよ」
「何や、それならそうと言ってくれればええのに。あっ、それじゃうち、もう一杯ラーメン頼んでええか?」
「おまえ、少しは遠慮しろよな。誰の金だと思ってるんだよ?」
「しゃーないなあ、我慢するわ。ほなはよ食べてえな。そんで、さっさと帰ろ」
「まだ半分以上残ってるんだよ。おまえじゃないんだから一瞬でなんて食えないんだよ」
 その後、俺たちは店を出た。アルザが話しかけてくる。
「なあなあ、明日から春休みやで。どっか遠出しよ、な?」
「そうか、それじゃ考えてみるかな」
「わーい、大好きやで、伊介!…ん?」
 アルザが足を止めた。
「どうした?」
「さっきのゴミ捨て場に、何や見覚えのあるもんが…」
 そう言ってアルザは引き返していった。そして彼女はゴミをあさり始めた。
「おい、何があったんだよ?」
「いいから探してーな!」
 いったい何なのか教えないで探してくれもないと思ったが、とりあえず俺もゴミ捨て場をあさることにした。端から見たら変な二人
だ。そしてとうとう俺は見つけた。アルザが探していたのはこれに違いない。そう確信したのは、それが本来ならこんな場所にあるは
ずもない物…そして、俺とアルザ以外の人が見たらびっくりして腰を抜かすに違いない物だったからだ。
「あ〜ら〜、お久しぶりねえ〜」
「なんで…なんでこんな所にフェーゼの鏡があるんだよ!?」
 鏡がしゃべることには驚かなかったが、ここにこの鏡があることに驚いた。
「私の話〜、聞いてくれる〜?」
「聞いてやるさかいに、はよしゃべりや」
 鏡のしゃべり方に、アルザはイライラしているようだ。
「あのね〜、私がいたボー・グーンでね〜、落盤が起こったの〜。それでね〜、私の上に岩が落ちてきてね〜、危な〜いって思ったん
だけど〜、次に気がついたら〜、こんな所にいたの〜」
「何か、俺が向こうに行ったきっかけに似てるな…。でも、どうしてここに?」
「わからないわ〜。ひょっとしたら〜、一番最後に会った人があなたたちだったから〜、それであなたたちの側に来たんじゃないかし
ら〜」
 なんでよりによって俺たちの所へ…。あの時にあそこにいた人間は向こうの世界にだってたくさんいるってのに、どうして違う世界
の俺たちの所に来るんだよ…。頭を抱える俺を横目に、アルザが鏡に言った。
「しっかし、あんたみたいなのがおったって何の役にも立たんわ。あんたの体くぐり抜けたところで、行けるのはバーゼムドとかいう
変な世界なんやろ?」
「ところが違うのね〜。なんだか知らないけど〜、今の私の体をくぐると〜、これまで私がいた世界に行けるみたいなの〜」
 この鏡の言葉に俺ははっとした。苦しい、しかし充実した日々を過ごしたあの世界…。今この鏡をくぐれば、あの世界に行ける…!
長い旅の思い出が、走馬燈のように俺の中をかけめぐった。
「けどなあ、もううち、あっちの世界に帰りたいと思わんし…。なあ、伊介も行きたくないやろ?」
 しかし、知らず知らずのうちに俺の手は鏡に伸びていた。
「伊介、やめいや!あっちに行って、またこっちに帰ってこれる保障はないんやで!」
 そんなアルザの言葉も右から左へと抜けていく。俺の手が鏡に触れた。
「うわあっ!?」
「伊介ー!!」

 気がつくと俺は草原にいた。しかしどこかでみた風景…そうだ!ここは前に俺がアルザたちの世界に来た時に落ちた場所だ!
「それじゃ、この下にフィリーが…いるわけないか、やっぱり」
 そうして俺はがっかりしたんだけど−。
「うおっ!?」
 俺は思わず大きな声をあげた。俺の上に何かが落ちてきたからだ。
「およ、伊介、クッションになってくれたんか?」
「そ、その声はアルザか!?結局ついてきたのか!?」
「だって伊介が鏡の中に入ってまうんやもん。言うたやろ?うちらはずーっと一緒やって」
「そうだったな…。ところで、いいかげんにどいてくれないか?」
「おっ、そやな」
 それでようやくアルザが俺の上からどいてくれたんだけど、その彼女の姿を見てがく然とした。
「ア、ア、アルザ!おまえのそのカッコ!」
「およ?これ、旅してた時の服やんけ。セーラー服着とったのに…」
「それもあるけど、それ以上に耳だよ、耳!」
「耳?あーっ!?何や、元に戻っとるやんけー!?」
 とんがった自分の耳を触りながらアルザは驚いている。彼女にとっても予想外の出来事だったようだ。
「鏡くぐったショックでこないになってもうたんやろか…」
「かもな…。ところでその鏡は…あん!?」
 空を見ると何かが落ちてきていた。
「あれ、フェーゼの鏡とちゃうか!?」
「そうだ!まずい、あのままじゃ地面に激突して…!」
 俺は鏡の落下地点へと先回りした。そして何とか鏡をキャッチできたんだ。
「危なかったわ〜。ありがとうね〜」
「どういたしまして。それにしても、どうして俺たちを転送したあんたまでこっちの世界に来てるんだよ?」
「わからないわ〜。もしかしたら〜、私はあなたたちにひかれてるのかもね〜」
 こんな鏡とひかれたくない。ここで俺はある重大なことに気がついた。
「そうだ!思わず来ちゃったけど、ここから元の世界には戻れるのか!?」
「大丈夫よ〜。私の体をくぐればいつでも帰れるわ〜」
 それを聞いて俺はほっとした。
「何や、安心したわ。また魔宝集め直さなならんのかと思うたわ」
 いつの間にか側にアルザが来ていた。
「そうだな。それじゃあ、もう帰るか」
「ねえ〜、お願いがあるんだけど〜」
 鏡が俺たちに言ってきた。
「私を〜、ボー・グーンに連れていってくれないかしら〜?やっぱりこんな所より〜、あそこの方が落ち着くのよね〜」
「それはいいけど、ボー・グーンってどこにあるんだっけ?」
「さあ、どこやったかなあ…。そや、ここってパーリアの近くやろ?あの街に昔一緒に旅したヤツらがいるんやないか?」
「そうか、彼女たちに聞けばいいんだ!よし、そうと決まればさっそく行こう!」
 そして俺たちはフェーゼの鏡を小わきに抱えてパーリアの町に向かったのである。

「うわあ、あの時と変わってないよ」
 俺は町中でキョロキョロしていた。そういえば、初めてこの町についた時もこんな風にキョロキョロしてて、その時はフィリーに注
意されたんだっけ。そこで俺は無性に彼女に会いたくなった。
「なあアルザ、フィリーの居場所ってわかるか?」
「うちが知るわけないやん。だいたいあないなヤツ探してどないするんや?それよりも博物館行こ」
「博物館?そうか、メイヤーか!あそこならいる可能性が高いしな」
 でも、博物館に向かう必要はなかった。
「あ、あ、あの…まさか、伊介さんとアルザさん!?」
 その声に俺たちが振り返ると、そこには話題になっていたメイヤーがいたんだ。
「メイヤー!まさに渡りに船だよ!」
「ほんま、ちょうどええところに来るもんやなあ!」
「あ、あの、どうしてお二人がここに…」
 メイヤーは驚いた表情を隠せない。その彼女に俺たちはことの次第を説明した。
「ボー・グーンですか…一度行ったことがありますよね?」
「それを忘れちゃったんだよ。ねえ、道案内してくれないかなあ?」
「ところが私、これから講演があるんですよ。題目は、“私はいかにしてトロメア碑文を発見したか”!」
「トロメア碑文?だって、アルザが俺たちの世界に来た時にはもう見つけてたんだろ?それからかなり経ってるのに、まだそんな講演
やってるのか?」
「それほどの歴史上の大発見だったということですね」
「それで一生食いつなげるんやないか?」
「そうかもしれませんね。でも私は、遺跡発掘をやめませんよ」
「メイヤーらしいな。でも、それじゃ一緒に行くことはできないな」
「そうですね、すみません。でも、場所はお教えしますよ」
 そして俺たちはメイヤーにボー・グーンまでの道のりを教えてもらった。
「ありがとう、メイヤー。それで十分だよ。悪いね、忙しいのに引き止めちゃって…」
「いえいえ。それでは私はこれで。がんばってくださいね、いろいろと」
 メイヤーは去っていった。
「あーあ、行ってもうた。伊介、道わかったか?」
「ああ。だけど、いろいろとって…」
 フェーゼの鏡をボー・グーンまで連れていく(持っていく?)こと、俺たちの世界に帰ること、それともしかすると俺とアルザの仲
のことも含んでいたかもしれない…っていうのはちょっと考え過ぎか?ともかく、俺たちはメイヤーに教えてもらった炭坑に向かうこ
とにした。歩きながら俺たちは話をする。
「なあなあ伊介、目的地までどのくらいかかるんや?」
「一日や二日じゃつかないだろうな。でも今回は魔宝集めの必要はないし、あの時よりは早くつくんじゃないか?」
「ほな、はよ行こう…っと、その前に腹ごしらえせんか?」
「さっき向こうでラーメン食ってたじゃないか。それに、こっちの世界の金なんか持ってないぞ」
「そんなの平気や。あの店があるやん。ひたすら食べまくったらただになるとこ!」
「あそこか。でも、まだやってるかな、そのサービス…」
「そんなん行ってみたらわかるわ。行こ行こ」
 そうして歩いていると、俺はある人物を見つけた。
「アルザ、隠れろ!」
 俺たちは建物の陰に隠れた。
「何や?誰がおるんや?」
「しっ!」
 そんな俺たちに気づきもせず歩いていったのはキャラットだった。
「何や、キャラットやんけ。なんで隠れるんや?」
「彼女のことだ、俺たちがこの世界にいるって知ったら、一緒についてくるなんて言いかねない」
「それのどこがまずいんや?」
「今のキャラットにはキャラットの生活があるんだ。俺はそれを壊したくない」
「それじゃあ、前の時はどうやったんや?旅に誘ったおかげで、みんな生活壊れたんやないのか?うちかて、ただでいくらでも食べれ
るこの町を出て伊介についていってあげたんやで」
「あの時は右も左もわからなかったからだよ。だけど、今回は一度行った場所にこの鏡を持っていくだけだから。それに、カイルもレ
ミットもいないから急ぐ必要もないし」
「それもそうやな。それにしても、向こうの世界は明日から春休みやし、ちょうどよかったわ」
「早く連れてって〜」
 鏡が口を挟んできた。それで俺たちは他の知り合いに見つからないように注意して食事をすると(あの店でのサービスは続いてた。
店の人、泣いてたな…)、その日のうちにパーリアを出た。

 それから一週間ぐらいで俺たちはボー・グーンについた。結局知っている人間には会わなかったが、アルザにはあんなことを言って
おいて、会ってみたいという気持ちがあったのも事実だった。
「さて、ここでいいかな?」
 俺は炭坑の入り口で鏡にそう言った。
「ダメよ〜。ちゃんと奥まで連れていって〜」
「まったく、注文の多い鏡やな」
 アルザが文句を言っているが、仕方がないので俺たちは廃鉱の奥へと進んでいった。
「そういえば、落盤が起こったからあんたは俺たちの世界に来たんじゃないのか?でも、何も起きてないじゃないか」
 鏡にたずねてみると−。
「あのね〜、奥の方だけなの〜」
「伊介、岩がぎょうさん落ちとる。ここから先には進めんで」
 アルザの言う通り、通路にたくさんの岩があって道がふさがれていた。
「あら〜、どうしましょう〜」
「しゃーない、うちが叩き壊して…」
「できるわけないだろう!」
 ところが、パンチ一発、巨大な岩は見事に崩れた。
「嘘…おまえ、前よりもパワーが上がってないか?」
「はっはっは、任しときい!」
 信じられなかったが、とにかくアルザにどんどん岩を壊してもらって先に進んだ。そしてとうとう鏡を見つけた場所についた。
「やっとついたわ〜。ありがとうね〜」
「やれやれ、ようやくか。それじゃ、帰るか、アルザ?」
「そやな…あーっ!」
 彼女が大きな声を出した。
「どうした?」
「うち、このままの耳やったら向こうに帰れへんやん!どないしよ!?」
「大丈夫よ〜。帰ったら元に戻るから〜」
「その言葉、信じていいんだな?それと、もう一つ聞きたいんだけど…」
 俺は真剣に鏡にたずねた。
「俺たちが元の世界に帰って、またあんたがついてくるなんてことはないよな?」
「ないわよ〜、たぶん〜」
「たぶんっていうのが気にかかるな…。まあいいや。アルザ、行くぞ」
「うん」
 それでまずは俺が先に鏡の中に…入るつもりだった。でも、なぜかためらってしまった。アルザが不思議そうな顔をしている。
「伊介、どないしたんや?」
「いや…ここに入っちゃうと、もうこの世界には来れないんだなあって思うと…」
「何言うとんねん。この世界に未練があるんかい?」
「そういうわけじゃないけど…」
「それ以外に解釈のしようがないやんけ。そういえばうちらがまたこっちに来た理由は、もともとは伊介が鏡に触ってもうたからやん
か。そんなにこの世界の方がええんか?」
「誰がそんなこと言ったよ!」
 俺は思わず大きな声を出してアルザを怒鳴りつけてしまった。だけど、現実に俺は鏡に入ることをためらった。やっぱりアルザが言
うように、俺には多少なりともこっちの世界に未練がある。
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
 俺もアルザも、ついでに鏡も、しばらく黙っていた。俺はいったい何がしたいんだろう。どこにいたいんだろう。だが、そんなこと
を思っているうちに俺は一番重要なことに気がついたんだ。それは、この世界だろうが俺の世界だろうが、アルザが側にいてくれれば
それでいいということだった。
「…まったく情けないな、俺も」
 そう俺は自分で自分を笑った。
「それで〜、どうするの〜?」
 鏡が言う。それに続いてアルザがこう言った。
「本当のこと言うとな、うちはどっちでもいいんや。伊介さえ側におってくれたら、うちはどっちの世界で暮らそうが何の文句も言わ
へん。どうするんや?」
 アルザも俺と同じ気持ちだと思うと俺は嬉しくなった。そして、その言葉を聞いてもう迷いはなくなった。
「向こうに…帰る」
「そっか。ほな行こ!」
 その言葉にうなずくと、俺は鏡に入った。けど、これだけやっといて俺の世界に帰れなかったらどうしよう?バーゼムドとかに行っ
たりしたら…。

 目を開けると、そこは鏡を見つけたゴミ捨て場という見慣れた風景だった。そして俺のすぐ隣にはアルザがいた。耳は元に戻ってい
たし、服も制服になっていたのでものすごくほっとした気持ちになった。
「帰ってこれたんだ…。よかったな、アルザ」
「うん。あっ、鏡はどうなったんや?」
 それで俺たちはゴミ捨て場をあさってみた。フェーゼの鏡はどこにもない。
「これで終わったんだな…」
「うん、終わったんや。ところで、今って何日の何時やろ?」
「あっちの世界では一週間だったけど…あっ、人が来る。すいませーん…」
 で、その人に聞いてみると、やっぱりこっちの世界でも一週間が過ぎていた。二つの世界の時間の流れはどうも同じらしい。
「何や変な顔しとったな、今の人」
「そりゃ、知らない人にいきなり『今日は何日ですか?』なんて聞かれたら…。まあ、とにかくこれで万事解決だ。帰ろうか?」
「そやな。でも、せっかくの春休みが半分つぶれてもうた」
「向こうで冒険したんだからいいだろ」
「それもそうやな。ほな行こか」
「ああ」
 そして俺たちは歩き始めた。その途中で俺は−。
「アルザ、今回はありがとう。大好きだよ」
 彼女に聞こえないようにそう言った。
「ん?今、何や言うたか?」
「いや、別に」
 そしてまた歩く俺たち。もう俺は迷わない。この世界でアルザと一緒に生きていくことが、きっと俺の使命なんだ。だからもう俺は
別の世界に行きたいなんて思わない。例え俺たちの前に、またあの鏡が現れたとしても−。

<了>

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