花の思い出

「もちろん全部食べたよ」
「‥‥‥‥」
 その日、街についた義雅[よしまさ]とキャラットは植物園に行った。キャラットは家庭菜園について話をした。
「ま、まあいいや。そろそろ帰ろうか?」
「義雅さん、もう少しこのお花見てていい?ボクの思い出の花なんだ」
「思い出?」
「そう。ボクが街に出るきっかけにもなった花なんだよ」
「初耳だなあ。よかったら聞かせてくれないか?」
「うん、いいよ」
 そしてキャラットは次のような話をし出した。

 今から数年前、フォーウッドの村で元気に遊ぶ女の子がいた。キャラットである。ちょうど今のセロと同じぐらいであろうか。
「キャラット、お花つみに行ってくるね」
 そう言うと彼女は村外れの花畑へと走っていった。このころのキャラットは、自分のことをボクとは呼んでいなかったらしい。
「えへへ、この花、みんなにあげようっと」
 たくさんの花をつんだキャラットは村に帰ろうとした。ところが、歩いている彼女の耳にガラガラという音が飛び込んできた。
「何だろう?」
 道から少し外れたがけの方からの音である。キャラットはそちらの方へ行ってみた。すると歳のころ二重代前半ぐらいの男が一人倒
れていたのである。どうやら崖崩れが起きて上から落ちてきたようだ。
「た、大変だあ!」
 そう叫ぶとキャラットは彼の方へ走っていった。
「ねえ、大丈夫!?…あれ?」
 キャラットは奇妙だと思った。その男の頭の上にウサギの耳はなく、代わりに顔の横に小さな耳がついていたのである。手足にも毛
はなく、しっぽも持っていなかった。
「これって長老様が言ってた…」
 それが、キャラットが初めて見た“人間”という種族であった。
「と、とにかく誰か呼んでくるからちょっと待っててね!」
 そう男に言うとキャラットは自分の村へと走った。それから少しして、彼女と一緒に数人のフォーウッドの大人たちがやってきた。
そして彼らはケガをした男を村へと運んだのである。

「ねえ長老様、あの人大丈夫なの?」
 キャラットが心配そうに長老(今の長老と同じ人物)にたずねた。
「うむ、それほど大きなケガはしとらんようじゃし、まあ大丈夫じゃろう」
 この言葉にキャラットは安心した。長老は続けて言う。
「急いでいるのでなければ、しばらくこの村にとどまってもらってもよいじゃろう」
 もともとフォーウッドは他の種族に対しても友好的であった。
「さて、話を聞きたいしあの人の元へ行くとしようか。キャラットも来なさい」
「は、はい」
 そして二人は彼が運ばれた村の施療所へ行った。
「あっ、長老様。あの方ですが、ちょうど目を覚ましたところです」
 村の医者が言った。長老はうなずくと、奥で横たわっている男に話しかけた。
「さて、今回はとんだ災難でしたな。どうやら雨で地盤がゆるんでいたようで…。あの崖は我々フォーウッドが管理すべき物、申し訳
ございませぬ」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしてしまったようで…。ボクはどうやってここに?」
「このキャラットが見つけたのを村の大人たちで…ん?キャラット、どうしたのじゃ?」
 キャラットは長老の後ろに隠れるようにしていた。
「あの…その子、人見知りとかするんですか?」
「そういうわけではないのですが、この子は人間を見るのが初めてなものでして…」
「はあ…。キャラットちゃんだっけ?大丈夫だよ」
 そう言うと彼は手を差し出した。恐る恐るだが、キャラットも手を出して、二人は握手をした。フォーウッドのもこもこした手とは
違ったが、暖かさは同じであった。これでキャラットは安心したようである。
「キャラットはね、キャラット・シールズっていうの」
「ボクはギガ・ホワイトだ」
「ギガさんとやら、いったいどうしてこのような場所に?」
 長老がたずねた。
「実はボクは植物学者でして、この辺りに珍しい花があると聞いて…あれ?」
 ギガは施療所にある花を見て言葉を止めた。
「あれは…」
「あの花はね、キャラットがつんできたの。お花畑に行けばもっとたくさん咲いてるよ」
「たくさん!?連れていってくれないか!?」
 突然のギガの大声にキャラットと長老は驚いた。
「ど、どうしたのですかな?」
「すいません。あれがボクの探していた花だったので…。ねえキャラットちゃん、連れていってくれないかな?荒らしたりしないから
さ」
「うん、いいよ。でも今日はもうまっくらだし…」
「うむ、そうじゃな。軽いとは言えあなたはケガ人、夜の出歩きは危険ですじゃ」
「そうですね。では今夜はどうしましょうか…」
「そうだ、キャラットの家に来てよ!」
 思いついたようにキャラットが言った。
「それがいいの。ギガさん、今晩はキャラットの家に泊まりなされ。この子の家族にはわしの方から言っておきますから」
「はい、ではそうさせていただきます」
「わーい!」、br>  キャラットは喜んだ。さっきまではあんなに警戒していたのに今ではこの喜びよう…これはキャラットが完全にギガに心を開いたこ
とを意味していた。

 その夜、キャラットの家に泊まったギガは、彼女の頼みで話をした。この村の外での人間の暮らし…楽しいことだけではなく、生き
ていくうえでの辛いことなども話した。もちろん子供のキャラットには難しい話も多くあったが、わからないながらも彼女は興味深く
ギガの話を聞いていた。
「街っていい所なんだね」
 それまで聞き手だったキャラットがつぶやくように言った。
「でも、この村だっていい所だよ」
「だけどキャラット、街に行きたくなっちゃった」
「そう?でも、よく聞いてね」
 ギガはキャラットに言い聞かせるように話した。
「確かに街は楽しい所だし、いろいろなことを学べる。だけど、逆にこの村でしか知ることのできないことだってあるんだ」
「この村でしか知ることのできないこと…」
「そう。だから、全部でなくてもいいからそれを学ぶんだ。街に出るのはそれからでも遅くはない」
「…わかった。キャラット、この村でいろんなことを覚えるよ。それでキャラットが街に行ったらその時は…」
「うん、その時はボクが街でしか学べないことを教えてあげるよ」
「わーい、約束だよ!」
「ああ。さあ、今日はもう遅いし寝なよ」
「うん。じゃあ、おやすみなさい」
 そしてキャラットもギガもその日は眠りについたのである。

 次の日、キャラットはギガを花畑へと案内した。その花を見たギガは驚いた。
「これは…!こんなにたくさん咲いてるなんて…」
「きれいでしょ?」
「うん、きれいだ…。ねえキャラットちゃん、この花、つんでもいいかな?」
「うん。キャラットがつんできてあげるね」
 そうしてキャラットは花をつみだした。どんどん花畑の奥に入っていく。
 ギガは座りこみ、足下にある花を見てつぶやいた。
「この花は図鑑にも載っていない…やっぱり新種の…」
「はい、ギガさん」
 戻ってきたキャラットがギガに花を差しだした。
「ありがとう、キャラットちゃん。さてと、村に戻ろうか」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
「うん。いろいろとこの花について調べてみたいんだ」
「うーん…まあいいや、帰ろう」
 そうして二人はフォーウッドの村へ戻った。村ではギガは空き家を借りて花の調査に没頭した。

 そしてそれから毎日、ギガはキャラットと一緒に花畑へと行った。主に研究用に花をつむためであったが、たまには研究を忘れ二人
で遊ぶ日もあった。
「はい、花の首飾り」
 ギガがキャラットのために作った物である。
「わあ、ありがとう。そうだ、キャラットもギガさんにプレゼントしてあげるよ」
 そう言うとキャラットは花畑の奥に進んでいった。
「キャラットちゃん、何をくれるんだい?」
「えへへ、ナイショ。そこで待っててね」
 キャラットがそう言ったのでギガはそこで待っていた。五分…十分…。しかしキャラットは戻ってこない。心配になったギガは大き
な声で彼女を呼んだ。
「おーい、キャラットちゃーん!」
 しかし返事はない。そこで彼は花畑の中に入っていった。進んで行くと崖で行き止まりになっていたが、その下にキャラットがいた
のである。足を踏み外してしまったのだろうか。
「キャラットちゃん!!」
 返事はないし、彼女はピクリとも動かない。完全に気を失っているようだ。
「キャラットちゃん、待ってろ!」
 そう言うとギガは持っていたリュックの中からロープを取り出し、近くの木にしっかりと結びつけるとそれを使って崖を下りていっ
た。そしてキャラットを抱えあげるとまた崖を登っていった。気絶はしていたもののキャラットは暖かい。生きていた(もっとも、こ
こで死んでしまっていたら現在の彼女は存在しないので生きているのは当然なのだが)。そして崖を登りきったギガだったが、あるこ
とに気づいた。キャラットは、その手にしっかりときれいな花を握っていたのである。
「ボクのためにこれを…。キャラットちゃん、ありがとう…」
 そしてギガはキャラットを背負ってフォーウッドの村に戻ったのである。

「ん…んんん…あれ?ここどこ?」
 キャラットが目を覚ましたのは、村の施療所であった。
「キャラット、大丈夫か?」
 彼女にそう言ったのは村の医者だった。
「ギガさんが崖から落ちたおまえを助けてくれたんだ。まったく、花のこととなると周りが見えなくなって…」
「そっか、キャラット、ギガさんのためにお花をつんでて…。そうだ、ギガさんは!?」
「ギガさんならばもう村を出ていった」
 その言葉とともに施療所に入ってきたのは長老だった。
「出ていったって…どういうこと?」
「キャラットにケガをさせたのは自分の責任だと言ってな、そんな自分はこれ以上この村にはいられないと出ていってしまったのじゃ
よ。もちろんわしらは止めたのじゃが…」
「そんな!」
 キャラットは大きな声をあげた。
「ケガはキャラットのせいだよ!ギガさんは悪くないよ!なのに…なのに…」
 そうしてキャラットは泣き出してしまった。そんな彼女に長老が言った。
「キャラット、ギガさんから手紙を預かっておる。おまえには読めぬかもしれぬからわしが読むぞ」
 その手紙の内容はだいたい次のようなものであった。自分を助けてくれてありがとう、花畑に連れていってくれてありがとう、一緒
に遊んで楽しかった…。それと、街に出るのならばそれまでにキャラットがどう生きていくべきかが書いてあった。手紙を読み終えた
長老が言った。
「キャラット、おまえは街に行きたいようじゃの。今はまだ早いが、時が来ればそれもよいじゃろう。だが、それまでに何をすればい
いのかな?この手紙にはそれが書いてあった。がんばるのじゃぞ」
「…はい!」
 涙を拭い、キャラットは返事をしたのである。

「それが、ボクのこの花の思い出なんだ」
 キャラットの話が終わった。聞いていた義雅が聞く。
「初恋…だったの?」
「そ、そんなんじゃないよ!ギガさんとはあれから一回も会ってないし」
 キャラットが顔を赤くして言った。
「なあ、キャラット…」
 義雅がまたたずねる。
「ギガさんにいろいろ教しえてもらうって話みたいだったけど、もしもこれからたずねる街にギガさんがいたら、俺たちとの旅をやめ
てそこにとどまる?」
「そんなこと考えないよ!」
 大きな声でキャラットが否定する。
「もしもギガさんのいる街に行っても、ボクは義雅さんたちと旅を続けるよ。挨拶はしに行くかもしれないけど。だって…」
 そこでなぜかキャラットの言葉は止まってしまった。
「だって…何?」
「な、何でもないよ!そろそろ帰ろう?みんな待ってるだろうし!」
「あ、ああ…」
 はぐらかされた義雅。彼はキャラットが言いかけた言葉を知らなかった。それは…。
「だって、今ではギガさんより義雅さんの方が好きなんだもん!」

<了>

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