「恵さん、起きて。もう朝だよ」 いつもの朝と同じように俺を起こす声がする。目を開けると、そこにはエプロンをつけたキャラットがいた。こっちの世界に彼女が やってきてから、毎日のように目にする姿である。 「ふあ…おはよう、キャラット」 「おはよう、恵さん。相変わらずお寝坊だね」 「いいじゃないか、今日は日曜日なんだからさ」 「日曜日だから早く起きるんだよ。こんないい天気なのにいつまでも寝てたら損だよ」 「わかったわかった、起きるよ」 そう言って俺はベッドから這い出た。キャラットは台所で朝食を作っている。向こうの世界では「ニンジン丸かじり」といった荒業 をしていた(こともあった)彼女も、こっちの世界に来てからは俺と同じ人間の食事を食べている。最初は俺が作っていたけど、その うちキャラットも手伝うようになり、今では朝食を作るのは彼女の役目になっている(ついでに言うと夕食を作るのは俺の役目だ)。 「それじゃ、いただきまーす」 キャラットの作った料理を食べる俺たち。最初はあんまり食べられる物ではなかった彼女の料理も、今ではずいぶんと腕前が上がっ ている。 「うん、おいしいよ、キャラット」 「えへへ、ありがとう…って、あーっ!」 急にキャラットが大きな声を出した。 「恵さん、食事中のタバコは体に悪いって言ってるでしょ!」 そう言われて俺ははっとした。俺は無意識のうちにタバコに火をつけていたのだ。喫煙自体に関してはこっちの世界にきた当初より うるさく言わなくなったキャラットだが、それでもやっぱりこういう吸い方は彼女の気に障るようだ。まあ、何度言われてもやってし まう俺が悪いんだけど。 「そ、そうだな。ごめん」 そう言って俺はタバコの火を消した。その後で俺はつぶやく。 「あーあ、最後の一本だったのに…」 「また買えばいいでしょ。それよりも恵さん、今日は何か用事あるの?」 「いや、別に…。強いて言えば、切れたタバコを買ってくるぐらいかな」 「じゃあ、どこかに遊びに行こうよ、ね?」 「ああいいぜ。メシ食い終わったら出かけよう」 「やったあ!恵さん、どうもありが…」 「うわあ!け、恵さん!目覚ましが鳴ってるよ!」 「悪い悪い。セットした時間になる前におまえが俺を起こすもんだから、解除するの忘れてたよ」 そう言って俺は目覚まし時計のベルを止めた。 「これでよし、と」 俺が言ったが、キャラットを見ると彼女は少し膨れっ面をしていた。 「おいおいキャラット、何そんなに怒った顔してるんだよ?タイマーの解除を忘れてただけだぜ」 「そうじゃないよ。ねえ恵さん、前から何回も言ってるのに、どうしていつまでもその時計使ってるの?」 「へっ?」 「それって恵さんの昔の彼女がくれたヤツでしょ?今はボクと暮らしてるのに、どうしていつまでもそんな物使ってるの?普通そうい う物は別れた時に捨てるもんじゃないの?」 「それは人それぞれだよ。第一、まだ使えるのに捨てたりなんかしたらもったいないだろう?」 「もったいないとかそういう問題じゃなくて…」 「大丈夫、こいつは実用性があるから使ってるだけで、あいつには未練も何もないんだから。今の俺が好きなのはキャラットだけなん だし」 「う、うん、そうだよ…ね…」 そう言ってキャラットが落ち着きかけたその時−。 ベルはキャラットの導火線に火をつけてしまった。 「もー、いいかげんにしてよー!」 そう言うとキャラットは目覚まし時計に向かって一直線。その異様な雰囲気に俺は思わずその時計を手に取って守った。 「恵さん、それボクに渡してよ!」 「ダ、ダメだ!今おまえにこいつを渡したら、何するかわからない!」 「渡したくないって言うんだったらいいよ。力ずくで取っちゃうもんね!」 そうして俺から目覚まし時計を奪うべく、キャラットが突っ込んでくる。俺はそれをかわし続けていたが、その攻防のせいで、いつ の間にか部屋がメチャクチャに散らかってしまった。 「なあキャラット、もうやめにしないか?」 「やめない!」 またも始まる時計の奪い合い。そしてそのうち、ついに俺はキャラットに目覚まし時計を取られてしまった。 「お、おい、返せよ!」 だが、俺から時計を奪ったキャラットは、今度は玄関に向かって一直線。そのまま彼女は外に出て行ってしまった。 「おい、キャラット!…しょうがないなあいつも…。確かに俺にも悪い所があっただろうけどさ、何もせっかくの日曜日に家を飛び出 すこともないだろうに…」 そんなことをつぶやきながら、俺は散らかった部屋の片付けを始めた。しかし、その最中で俺はふと思った。 「…よく考えてみると。部屋の片付けよりも先にやることがあるよな…」 もちろんそれはキャラットを追いかけること。だけど、彼女はいったいどこに行ったのか…。 「あっ、そうか。あそこに行ったのかも」 俺は心当たりの場所を思い出した。実は、不機嫌になったキャラットがいつも行く場所があるのだ。 「よし、それじゃさっさと追いかけるか」 そう言って俺も外に出たが、そこで俺はあることに気がついた。 「あれ、キャラットのヤツ、自転車に乗ってかなかったんだ…」 部屋の外に、彼女の自転車が置かれたままだった。これは、キャラットの高校への通学用に俺が買ってあげた物だ。とは言っても、 まだ高校に合格してもいないんだけど。 「うーん…もしもあの場所に行ったんだったら、歩きじゃちと遠いぞ…」 そう思った俺は、キャラットの自転車でその思い当たる場所に行くことにした。自分のに乗っていけばいいだろうって?実は俺は自 分の自転車を持ってない。必要ないからだ。キャラットに買ってやったのは、彼女が行きたいという高校周辺の交通事情からだった。 「うーん、やっぱり乗りづらい…」 自転車にまたがった俺はそうつぶやいた。俺とキャラットの身長差を考えれば当然のことだった。 「まあいいか、このままで走ろう」 それで俺はキャラットにあった高さのサドルで自転車をこぎ出した。途中でとあるおばさんとすれ違ったが、そのおばさんは、俺の ことを変な目で見た。まあ。籐かごのついたメルヘンチックな自転車に、ひげも剃っていない大きな男がサイズも合ってないのに乗っ ているのだからそれはそれは奇妙だろう。しかし俺自身はそんなことは気にしない。それよりもキャラットの方が気になる。彼女がど こに行ったのかだいたいの見当はついているが、もしもそこにいなかったらと思うと不安になってきたのだ。 「大丈夫、きっといるよ」 俺はそう自分に言い聞かせた。そしてそのうち俺はその場所についた。そこはとある公園である。自転車から降りて、今度はそいつ を押しながらキャラットを探す俺。そして、ついに俺は彼女を見つけた。ベンチに座って、家から持ち出した目覚まし時計とじーっと にらめっこをしている。俺は遠くからその彼女に声をかけた。 「おーい、キャラット!」 その声に反応してキャラットが俺の方に視線をくれた。ところが次の瞬間、彼女はベンチから立ち上がり俺から逃げていった。 「えっ?おいキャラット、待てよ!」 俺は自転車を押しながらキャラットを追いかけた。さすがに彼女の足は速かったが、とある場所で立ち止まった。そして、チラリと 俺の方を見た後でキャラットがしたことは−。 「やああああああ!」 何と、かけ声と共に手に持っていた目覚まし時計を空に向かって放り投げたんだ。 「だああ!何てことするんだあいつはー!」 俺は時計が地面に落ちる前にキャッチしようと走った。その際に自転車から手を放したので、俺の後ろでガチャンという音がした。 どうにか目覚まし時計を受け止めることができた俺だけど、その時、俺は言いようもなく冷たい視線を感じた。その視線の主は言うま でもなくキャラット。そして彼女はぽつりとこんなことを言った。 「…恵さん、ボクの自転車よりもその時計の方が大切なんだ…」 キャラットの目に涙が浮かんでくる。彼女はすすり泣きを始めた。それを止めようと俺は必死になってキャラットに言葉をかける。 「あ、あのなキャラット、俺は…」 「もういいよ!どうせボクなんか…ボクなんか…!」 キャラットは本格的に泣き始めてしまった。俺の話も聞いていない。話も聞かないでただわんわん泣くんじゃただの子供だ。そこで 俺は彼女に話を聞いてもらうべく、大きな声で叫んだ。 「えーい、俺の話を聞けえええ!」 その声を聞いたキャラットがぴたりと泣きやんだ。それを確認した俺は、言い聞かせるようにゆっくりと話をし始めた。 「いいかキャラット、俺がこの時計を取りに走ったのは、時計そのものが大切だったからじゃない。この時計の思い出が大切だったか らだ」 「その時計の思い出って…恵さん、やっぱり昔の彼女のことを…」 また泣き出しそうになるキャラットだったが俺は落ち着いて話を続けた。 「違う、そうじゃない。この時計にはな、おまえとの思い出だってたくさん詰まってるんだ」 「えっ…?」 「思い出してみろ。同時に目覚ましのベルを止めようとして、俺たち二人の手が触れ合ったこと。おまえがこいつを捨てろってうるさ いぐらいに言ったこと。そして今日、おまえがこいつを壊そうと空に向けてこの時計をぶん投げたこと…。全部俺とおまえの大切な思 い出じゃないか」 「あっ…」 「まあ確かにさ、こいつを受け止めるために自転車から手を放したことは悪かったよ。どっちも同じぐらい大切なのにな」 俺はそう言いながら倒れた自転車の所に行きそれを起こした。倒れた際についた泥も落とした。そして俺はキャラットに声を言う。 「だからさ、帰ろうよキャラット。一緒にさ。俺、おまえのいない部屋になんか帰りたくないんだよ」 だが、キャラットの返事はなかった。俺は焦る。 「帰りたく…ないのか?」 「ううん、帰りたいよ。でも、本当に帰ってもいいの?」 「当たり前じゃないか。あそこは俺とキャラットの家なんだから」 「うん…そうだよね…ありがとう」 ここでやっとキャラットが笑ってくれたので俺はほっとした。彼女が自転車に手を置く。そのキャラットに俺はこう言葉をかけた。 「帰りはおまえがこれに乗ってけよ。そのために持ってきたんだから」 だが、キャラットは首を横に振って言った。 「ううん、乗ってかないで押してくよ。恵さんと一緒に歩きたいから」 「そ、そうか。とにかく帰ろう」 「うん!」 そして俺たちは家路についたが、その途中でキャラットが俺にこんなことを言ってきた。 「そういえば、部屋がムチャクチャになっちゃってるんだよね…」 「んー、そうだな。いくらかは片付けたけど、まだ…。でもいいよ、全部俺がやるから」 「いいの?」 「ああ。きっともともとの原因は俺にあるんだし…」 「恵さんがそういうなら、甘えちゃおっかなあ…」 「はは…。あっ、そうだ。なあキャラット、ちょっと寄り道していいか?」 「寄り道?どこに行くの?」 「タバコ切れちゃってただろ?だから…」 「うん、いいよ。ボクももう少し恵さんとお散歩したいし…」 そう言ってキャラットが俺に体を寄せてきた。俺は彼女の肩に手を置いてそっと抱き寄せた。自転車のかごの中で、目覚まし時計の 針はゆっくりと時を刻み続けていた。 <了> 図書室へ |