夜もふけかかってきたころ、アレフは自分の部屋で鏡を前にしておしゃれをしていた。 「よし、こんなもんでいいだろう。さ〜て、今日はどの女の子の所に行こうかな?」 今晩は特に相手が決まっているわけではなかったのだが、とにかく女の子と会う以上、だらしのないカッコをすることはできない。 いや、例え女の子と会う予定がなくてもいつでもカッコよくしているというのがアレフの身上だった。そして彼が帽子をかぶろうとし た時、コンコンと部屋のドアをノックする音がした。 (誰だ?今晩は女の子が来るってことはないはずだけど…) そう思いながらアレフはドアの前に立ち、言った。 「どちら様ですか?」 「あっ、アレフくん?クリスだけど…」 「クリス?」 何て間の悪い時に来るヤツなんだとアレフは思った。しかしクリスは親友だし、ここで追い返すのも気がひけた。そこでアレフはド アを開けた。すると−。 「アレフく〜ん…」 そこには今にも泣きそうな顔のクリスがいたのである。 「うわっ、何だ何だ!?いったい何があった!?」 「実は…」 「ちょっと待て。立ち話も何だし中に入れ、な?」 「うん…」 そしてアレフはクリスを部屋の中に入れた。 「ミルク温めてやるから、ちょっと待ってろ」 そう言うとアレフはミルクを鍋に入れてそれを火にかけた。 「で、何があったんだ?」 アレフが優しい声でクリスにたずねた。 「うん…。学校の宿題ができないんだ…」 これを聞いたアレフががくっとなった。 「おまえなあ!そんなことでわざわざ俺の所に来るんじゃねえ!」 「ご、ごめん、やっぱりそう言われると思ったよ…。でも、何とか一人でやってみたんだけど、どうしてもうまく行かないんだ。それ で、なんだかすごく怖くなって…」 「あのなあ、おまえにできない物が俺にできるわけないだろう?」 「でも、こんな時にはアレフくんの所に来ることぐらいしか、僕には思いつかなかったんだ…」 「俺ってそんなに信頼されてるのか…。だけど、おまえにできない宿題なんてあるのか?学校じゃ優等生なんだろう?」 「優等生だから、特別な宿題を出されちゃったんだ」 「学校も罪なことするねえ。まあ、とにかく見せてみろ」 「うん…」 そう言ってクリスはアレフに学校のノートを見せた。 「思った通り、さっぱりわからねえ…」 アレフはつぶやいた。 「ここが問題なんだけど…」 クリスが何かの公式のような物を指さした。だが、他の個所と同じようにアレフにはさっぱりわからない。 「こりゃ俺には無理…あっ、ちょっと待ってろ」 アレフは火にかけていた鍋のことを思い出した。もう中のミルクは温まっている。アレフはそれをコップに移すと、それをクリスに 渡した。 「まあ飲め。暖まるぞ」 「ありがとう」 そして暖かいミルクを飲むクリスを横目に、無駄だと思いつつもアレフは宿題のノートをもう一度見てみた。 「あれっ?おい、俺のカンなんだけど、こうすればいいんじゃないか?」 「どうするの?」 「だから、これをこうして…」 「あっ、できた!すごいやアレフくん!!」 クリスが感嘆の声をあげた。 「アレフくん、どうもありがとう!」 「いや、ただのまぐれだって。解いた自分がよくわかってないんだから」 「まぐれでもすごいよ!」 「そ、そうか?だけどクリス、魔法で俺に負けるなよな」 冗談半分でこう言ったアレフだったが、これを聞いたクリスが沈んだ顔になった。 「そうだ…魔法は僕が唯一得意にしてる物なんだ…それなのにアレフくんに負けて…僕から魔法を取ったら何も残らないのに…」 そう言うとクリスは泣き出してしまった。すすり泣きである。 「おい!男が簡単に泣くんじゃねえよ!そうだ、もう一杯ミルク飲め!!」 アレフはクリスからコップを奪い取ると、ミルクを入れてまたクリスに渡した。 「一気に飲んじまえ!コンプレックスと一緒にな!」 「うん…」 さっきより少しだけ冷めてしまったミルクをクリスは飲み干した。その彼にアレフが言う。 「どうだ、すっきりしたか?」 「うん、ちょっとは…」 「いいか、このことだけは言っておくぞ。おまえには魔法しかないなんていうのは、おまえ自身の勝手な思い込みだ。俺はわからない が、おまえには何か別の才能があるはずだ」 「別の才能って…何?」 「だから俺にはわからないって。おまえが見つけるんだよ。自分でな」 「うん…。アレフくん、僕ね…」 そうクリスが言ったが、なぜか言葉が途中で止まった。 「どうした?」 「ごめん…僕…なんだか眠くなって…」 そう言うとクリスはアレフによりかかるように眠ってしまった。 「おい!こんな所で寝るんじゃねえ!動けないじゃねえか!」 しかしクリスは起きない。 「まったく、なんでいきなり寝ちまうんだよ…。さっきのホットミルクに眠り薬でも入ってたか?って、そんなわけねえだろ!」 一人でやるノリツッコミは悲しい。アレフはクリスの寝顔を見てこうつぶやいた。 「宿題ができたってことで安心しちまったんだろうな…。いいぜ。おまえが起きるまで、俺はここでこうしていてやるよ」 それからしばらくして−。 「ううん…あれ?ここは…」 クリスが目を覚ました。そして辺りを見回す。 「そっか、僕はアレフくんの所に来て…。あっ、アレフくん…」 「よう、目、覚めたか?」 アレフは起きていた。ずっとこの状態でいたのだ。少し変わっていたのは、クリスに毛布がかけられていたことだった。 「もしかして、僕、眠っちゃってたの?」 「ああそうだ。で、その間中俺にずーっと寄りかかってな」 「ごめん、アレフくん…。あっ、今何時!?」 「今?11時過ぎてるぜ」 「大変だあ!寮に帰らないと!!」 クリスは大急ぎで帰る準備を始めたが、その彼にアレフが言った。 「なあ、どうせ門限過ぎてるんだろ?このままここに泊まってったらどうだ?」 「そうはいかないよ。帰らなきゃ…」 「そうか…。じゃあせめて送ってくよ」 「えっ?」 「女の子の所に行くついでだ」 そして二人はアレフの部屋からエンフィールド学園へと向かった。 「う〜ん、いい夜風だ」 歩きながらアレフが言った。 「そうだね。あっ、桜が揺れてる…」 「夜風に夜桜か。なかなか風流だよな。これで隣にいるのがおまえじゃなくってかわいい女の子だったらもっといいんだけど」 「ごめん、僕で…」 クリスが沈んだ顔になった。 「だ〜か〜ら〜!そうやって自分に対して悲観的になるのはやめろよ!」 「ご、ごめん…」 「それと、そのすぐに謝るくせもな」 「うん…。ねえアレフくん、僕ね、自分と違うことをしてる人をうらやんだりするんだ」 「それは女性に対して積極的なこと俺のことを言ってるのか?」 「それもあるけど、アレフくんだけじゃなくって、とにかく自分のできないことをやってる人間をうらやましく思うんだよ」 「それ言ったら、世界中の全部の人間がおまえにうらやましく思われる対象じゃないか」 「そうだよね…。でも僕思ったんだ。やっぱり僕は僕だから、ダメな自分も好きになっていかなくちゃいけないって」 「当たり前だ。ま、いつまでもダメなままじゃいけないけどな」 「うん…」 この言葉を最後に二人は黙ってしまった。しばらく無言で歩くクリスとアレフ。ところが、急にクリスが口を開いた。 「ねえアレフくん、明日はどんな日になるかな?」 「何だいきなり?」 「今日よりもいい日になってくれるかな?」 「なってくれるかなじゃなくって、自分でいい日にするんだよ。そうでもしなきゃやってられねえって」 「そっか。そうなんだね…」 そうして二人はエンフィールド学園の学生寮についた。しかし、高い壁に囲まれた寮の門は閉ざされている。 「閉まってるか、やっぱり…」 「で、どうするんだ?」 「あそこから中に忍び込めるんだ。ちょっと危ないけど」 「よし、手伝ってやるよ」 そうしてクリスはアレフの手伝いで壁の内側に入ることができた。 「ありがとう、アレフくん。後は大丈夫だよ」 クリスは外側にいるアレフにそう言った。 「それじゃ、がんばれよ」 「うん、ばれないようにするよ」 「それもあるけど、それだけじゃないんだ、今のがんばれは」 「えっ?」 「これからのおまえの全部に対してがんばれって言ったんだ」 「アレフくん…。ありがとう。今の言葉、さっき飲んだミルクみたいに温かいよ」 「おいおい、臭いセリフは俺の専売特許だぜ。もっとも、俺の場合は女の子にしか言わないけど」 「アレフくん、アレフくんがいてよかったよ」 「そうか?俺はもう行くぜ。じゃあな」 そうしてアレフは学生寮に背を向けて歩き出した。歩きながら一人つぶやく。 「あいつもそのうちいい男になりそうだな…」 そんなことを言う彼の上には月が輝いていた。 「今日はもう少し散歩して、そのまま帰るか。たまには、女の子と会わない夜ってのがあってもいいよな」 <了> 図書室へ |