影狩人バージョンM

 昼間はにぎやかなこのエンフィールドも、夜になれば静かになる。しかしその日は、夜遅い時間にもかかわらず騒がしかった。
「くそう、どこに行きやがった!?」
 そう言ったのは自警団第一部隊のアルベルト。彼ら自警団は、この街に現れた盗賊を追っていたのだが−。
「ダメですアルベルトさん、見失ってしまいました!」
「ちっ!おいおまえら、怪しい人物を見つけたらとっ捕まえて尋問だ!」
「わかりました!」
 こうして散り散りになった自警団員だったが、その様子を人家の屋根の上から見ている人物がいた。
「まったく、あんな賊一人も捕まえられないなんてな…。そんなだから俺のことを誤認逮捕しちまうんだよ。ま、その罪を晴らしてく
れたのもあいつらだから、そう悪くも言えないけどな」
 それはジョートショップの居候、彰であった。無実の罪を着せられたものの現在では晴れて自由の身となった彼だったが、その課程
で特殊な身体となってしまったのだ。その特殊性とは−。
(おい彰、また俺の身体を使うのか?)
「ああ」
(けっ、正義の味方気取りか。気にくわねえな)
「何とでも言え、シャドウ。身体を操れるのはこの俺なんだ」
(ふん、好きにしやがれ)
 心の中に響く声と会話をする彰。その声はどこから来るのかというと…いや、「来る」というのは間違いである。実は声の主である
シャドウは彰の心の中にいるのである。約一年前、何らかの原因で彰の身体から抜け出した彼の負の感情はシャドウという存在になっ
た。そしてそれから時が過ぎ、再び彰とシャドウは一体化した。だが、彰の中に入ったシャドウの精神は消えなかった。そして彰と会
話することができるようになってしまったのである。さらに、この他にも彰の特殊性はあった。
「よーし、それじゃ行くか。影…転…身…!」
 彰がそうつぶやくと、彼の体に変化が現れた。体が黒い光に包まれていく。そして彰の服装が変わっていった。その服装はかつて彰
と敵対していたシャドウの姿。すなわち拘束具のような服と一つ目を型どった眼帯である。
「ふうう…。何度やってもこの変身ってのは妙な感じだな」
(おい彰、あの賊がどこに行ったのかはわかるのか?)
「この身体の能力を使えば簡単に見つかるさ。えーっと…あっちか」
 そう言うとシャドウとなった彰は屋根の上を跳んでいった。
「へへっ、ここなら自警団にも見つからねえだろう。オレ様を捕まえようなんて甘いんだよ」
 それは先ほどアルベルトたちが追いかけていた盗賊であった。
「さて、あとはヤツらがあきらめるまでこの路地裏で待って…って、何だてめえは!?」
 いつの間にか、彼の目の前に前身が黒い男が立っていたのである。もちろんそれは変身した彰であった。
「くっ、自警団か!?」
「違うね。あんなヤツらと一緒にするなよ」
「自警団じゃねえだと!?じゃあてめえはいったい…」
 賊に聞かれた聞かれた彰は一言こう答える。
「…影狩人」
「影…?…うわっ!?うわああああっ!?」
 闇の中に悲鳴が響いた。その声を聞きつけたアルベルトがこの路地裏にかけ込んできたが、そこには一人の男が倒れていた。
「おい!どうした!?何があった!?…って、おまえはさっきオレが追いかけてた賊じゃねえか!!」
「うう…自警団か?おとなしく逮捕されるから、オレを保護してくれ…」
「何だ?さっき逃げてたくせにどうして捕まえてくれなんて言うんだ?」
「こ…これ以上あいつにやられるぐらいなら牢獄の方が安全だ…」
「あいつ?あいつってだれだ、おい!?」
「か…影狩人…」
「何、またヤツか!!くそ、犯人逮捕の手助けをしてくれるのはいいが、こう何度もオレたちの先を越されちゃ、自警団のメンツ丸つ
ぶれだ!」
 そんなことを言うアルベルトを、またもや彰が屋根の上から見ていた。変身を解いて、元の姿に戻っている。そして彼はこんなこと
を言った。
「たく、メンツだの何だの言うぐらいなら、俺より先に悪人を捕まえてみせろってんだ。さーて、帰って寝ようっと」
 そうして彰は屋根を跳び、彼の住むジョートショップに帰っていった。

 その翌朝である。休日であるためジョートショップの何でも屋業務も今日は休み。というわけで彰は遅い時間までベッドの中に…い
るつもりだった。だが、そうは問屋が卸さないのがこのジョートショップ。一人の人間が彰の部屋に入ってきて、彼の体にかかってい
る毛布をひっぺがした。
「こら彰、いつまで寝てるのよ!早く起きなさい!」
「う〜ん…アリサさん、今日は休みなんですからもう少し寝させてくださいよ…って、ん?」
 彰は寝ぼけた頭で考えた。アリサがこのような起こし方をするだろうか?彼女は毎朝彰のことを、優しく起こしているのだ。
「アリサさんじゃない…?誰だー!?」
 その声と共に目を開ける彰。まだ焦点の合わない彼の目に、何か金色の物が飛び込んできた。
「金色の髪の毛…ってことはマリアかおまえ!?」
「ピンポンピンポン!彰、おはよう!」
「ああ、おはよう…って、いたって普通の会話をするんじゃない!なんでおまえが俺を起こす!?」
「アリサおばさんに頼まれたの。ほら、早く下に降りてきてよ」
「何か腑に落ちんが…。まあいい。着替えるから先行ってな」
「うん、わかった」
 そしてマリアは彰の部屋を出ていった。
「まったく、マリアに俺を起こすのを頼むアリサさんもアリサさんだけど、その頼みを聞くマリアもマリアだよ…。だいたい、あいつ
何しに来たんだ?」
 ブツブツとそんなことを言いながら彰は服を着替え、下に降りていった。
「ふわぁ…あっ、おはよう、テディ」
 彰はそう挨拶をしたのだが、テディはなぜかニヤニヤしている。
「彰さん、おはようっス。若奥様に起こされた気分はどうっスか?」
「何言ってるんだおまえは…。あれ?そういやそのマリアの姿が見えないけど…まさかあいつ、俺を起こして帰ったのか?」
「ちゃんといるわよー!」
 そのマリアの声は、ジョートショップの台所の方から聞こえてきた。
「はあ?おいテディ、どうしてマリアが台所にいるんだ?」
「マリアさん、ご主人様と一緒にボクたちのご飯作ってくれてるんスよ」
「そうか…。でも、以前にあいつが料理作った時、魔法と同じように爆発したことが…」
「それってもう結構前の話っスよ。今じゃマリアさん、そんな失敗をすること少なくなったっス」
「確かにな…。まあしかし、そこまでしてくれなくてもいいのに…」
「なーに言ってるスか、好きな人のために何かしてあげたいってのは女の子としてごく普通のことっスよ」
「そういうもんか、やっぱり…。あ〜、でも、この一年間あいつのことを妹としてしか見てなかったし、おまけにそれまで恋愛経験な
んてないから、女の子の扱い方なんてわからねーよ〜!」
「そんなのアレフさんに聞けばいいじゃないっスか」
「とは言ってもなあ…」
 二人がそんなことを話しているうちに、台所から彼らを呼ぶ声がした。
「彰ー、テディー、ご飯できたわよー」
「…ま、そのことは後で考えるとして…」
「とりあえず今はご飯、っスね?」
 こうしてジョートショップのいつもの三人にマリアを加えた四人は朝食を食べた。
「ほーお、うまくなったもんだなあ」
「えへへ、ありがと彰。マリアね、魔法だけじゃなくて、料理とか、一生懸命練習してるんだよ」
「へえ、そいつは感心だな。そうなんだよな、おまえって、見かけによらず努力家なんだよな」
「ぶー、見かけによらずとは何よー」
 そんな和やかな朝食の中、ジョートショップの外から足音が聞こえた。
「あら?何かしら…?」
 アリサの声に、彼女の目の代わりを自負しているテディが窓から外を見た。
「なんか、自警団の人たちが走ってったっス。何なんスかねえ?」
「あっ、もしかして…」
 マリアが口を開いた。
「夕べ盗賊騒ぎがあったって、アルから聞いたわ」
「盗賊?まあ、物騒ねえ」
「うん…本当はそれほどたいしたことのない盗賊だからアルが自分で取り調べとかをすればいいんだけど、その盗賊が影狩人にやられ
たって言うから、リカルドおじさんが出向いてるんだって」
「影狩人?何スかそれ?」
 こうテディが言ったものだからマリアは驚いた。
「えっ、テディ、影狩人を知らないの!?影狩人っていうのはね、神出鬼没で、自警団でも捕まえられないような悪人をこらしめる謎
のヒーローなのよ。これまでに四回現れたけどいまだに正体は不明なの」
「へえ、そうなんスか」
「だけど、手がかりはあるの。アルが悪人から聞きだした話によるとね、影狩人は拘束具みたいな服を着て、一つ目を型どった眼帯を
してたんだって」
「ふ〜ん…あれ?そのカッコ、どこかで見たような気がするっス…」
「えっ?あっ、そういえば…」
 それでテディとマリアは考えた。世を騒がせている影狩人。その姿は二人の記憶の中にある誰かにそっくりであるが、果たしてそれ
は誰なのか。そして考えること数十秒、二人は同時に同じ人物の名前を言った。
「シャドウ!!」
「ゴホゴホゴホッ!」
 二人の声を聞いた彰が思わずせきこむ。その彼にマリアがたずねた。
「ねえ彰、火山制御装置の中でシャドウを倒したわよね?それ以来いっぺんもあいつの姿を見てないけど、どこ行ったの!?」
「し、知らないよそんなこと!だいたいカッコが似てるってだけでシャドウと影狩人を同一人物って見るのはどうかと思うぜ。だいた
いあいつは悪人だ。その悪人がどうして別の悪人をこらしめるんだ?」
「でも、影狩人を横文字にするとシャドウハンターっス」
「だからってな…。とにかく、影狩人がシャドウだろうが俺には関係ない。ごちそうさんマリア。メシ、うまかったよ」
 そう言って彰はテーブルを立とうとしたのだが、マリアがそれを許さなかった。
「ね〜え、あ・き・ら〜」
「うっ、何だその声色と、子犬のような目は…」
「今日は暇…よね?」
「た、確かに暇だけど…今までの話からすると、一緒に影狩人を捜せとか言うのか?」
「あったり〜!ねえ、いいでしょう?」
 こう言われて彰は考えた。言うまでもなく影狩人の正体は自分であるが、一緒にいる時に下手なことをすれば、そのことがマリアに
ばれるかもしれない。その時、彼の心の中に声が響いた。
(おい彰、わかってるだろうが、俺たちの正体を知った人間は殺さなきゃならないんだぜ。それが闇の掟だ)
(そんなことはわかってる。だからこうして悩んでるんだろうが!)
(ヒヒヒ、悩むだけ悩みな。俺は眠ってるからよ)
 そうしてシャドウの声は消えた。彰の様子が変なので、マリアが心配そうに声をかける。
「ねえ彰、どうしたの?」
「い、いや、どうもしないよ。でも、どうするかな…」
 そしてまた彰は考える。しばらく考えた後で、彼はマリアにこんなことを言った。
「わかった、探しに行こうぜ、影狩人を」
「本当?ありがとう!だから彰って大好き!」
 こうして二人はジョートショップを出て見つかるはずのない影狩人を探しに出かけた。ところで、なぜそれまでしぶっていた彰がマ
リアに付き合うことにしたかというと、それはこんな考えからであった。
(ま、今日一日、マリアに付き合ってる時だけ注意すれば何とかなるだろう。こいつのことだからそのうち飽きるさ)

 こうして影狩人を探したマリアたちであったが、そんなもの見つかるはずはない。なぜならば、彼女の隣にいる彰こそが影狩人だか
らである。エンフィールド中を歩き回っているうちに、もう夕方になってしまった。
「あーあ、見つからないわねえ、影狩人…」
「そうだな…。なあマリア、今日はもう帰らないか?」
「うーん、どうしようかなあ…」
「実を言うとさ、俺、すごく腹減ってきちまったんだ。だから早く帰って何か食べたいな〜って…」
「そう…。じゃあ、またマリアがジョートショップでご飯作ってあげるわよ」
「はは、それじゃまたごちそうになっちゃおうかな…ん?」
 マリアと話をしていた彰だったが、急に言葉を止め、周囲を見回し始めた。
「彰…どうしたの?」
「いや、ちょっとな…。悪いマリア、ここで待っててくれないか?」
「えっ?」
「すぐ戻るから。じゃあ、ここで待ってろよ。動くなよ!」
 そう言うと彰はどこかへ走っていってしまった。一人残されたマリアだったが、今日の彼女は朝から好奇心の塊になっている。待っ
てろと言われて素直に待っているはずがない。
「彰、どこに行くつもりなのかしら…。よーし、あとつけてみよう」
 そうして、マリアもまた彰が去っていった方向へと走っていった。
(彰、おまえ、悪人を察知したんだな?)
(ああ。この能力は変身しなくても使えるから便利だよな)
(こいつは本当は俺の同類を探すための能力なんだ。なのにてめーはそれをそいつらを倒すために使うなんて…)
(がたがた言うな。あっ、あそこで変身するか)
 人の入ってこないであろう裏路地を見つけた彰はそこに入り、例の呪文を唱えた。
「影…転…身…!」
 そして彰はシャドウ…いや、影狩人となる。
「よし、行くか」
 そうつぶやくと彰は悪の気配の出所へと向かった。もちろん、他の人間に見つからないように注意しながらである。そしてその気配
の出所では−。
「あんたたち、人様の物盗んでいいと思ってるのかい!?」
「へっ、縛られてるのに口の減らねえばあさんだ」
「ほんとほんと。俺たちがその気になればすぐあの世に行っちゃう状況なのにねえ」
 その家では、マスクをかぶった二人の男がおばあさんを見下ろしていた。
「この人でなし!あんたらなんか、自警団に捕まっちまえばいいんだ!」
「残念だが自警団は来ない。ヤツらがここに来る頃には、俺たちは他の街に逃亡してるさ」
 男の一人がそんなことを言ったその時、部屋の中に一つの影が飛び込んできた。
「!?」
 男たちが驚く間もなく、影は二人の強盗のうち一人を電光石火のキックで打ち倒した。
「な、何だてめえは!?」
 もちろんそれは彰であったが、彼はお決まりの返答をする。
「…影狩人」
「な…あの噂の…ぐぎゃあっ!?」
 一瞬にしてもう一人の強盗も倒された。圧倒的な力の差である。その後彰は、縛られていたおばあさんのロープをほどき、それで強
盗たちを縛った。
「おばあさん、後はあなたが自警団に通報してください」
「あ、ありがとうございました!あの、あなたは…」
「言ったはずです。俺は影狩人だと。では!」
 そうして彰は部屋を飛び出し去っていった。
「マリアを待たせてるから、早く戻らないとな」
 彰は大急ぎで先ほどの路地に戻り変身を解いた。
「ふうー、これで一件落着と」
 そう彰が大きく息をついたのだが−。
(ん?おい彰、後ろ見てみな)
「後ろ?…えっ!?」
 シャドウの声に従い後ろを振り返った彰は息をのんだ。何とそこにマリアがいたのである。彼女は驚いた顔をしている。
「これ、どういうこと…?シャドウが彰で、彰がシャドウで…」
 マリアは混乱しているようである。シャドウの声が彰の心に響く。
(ドジったな、彰。正体知られちまったからには殺すしかないぜ)
(殺すって…そんなことできるわけないだろう!)
(できない?おまえ、闇の掟を忘れたのか?)
(そんなこと言ったって、マリアは…)
(けっ、もういいぜ。あの女は俺が殺す)
 シャドウがそう言った直後、彰の身体に異常が起きた。
「なっ!?体が…動かない!?」
(今のおまえはひどく動揺している。だから俺がこの身体を操れるんだ。さあ、おまえの身体と俺の心でその女を殺すんだ!)
「うっ…やめろ…」
 シャドウに支配された彰の身体がマリアに歩み寄る。さすがに彼女も彰の様子がおかしいことに気がついたが、もう遅かった。彰の
手がマリアの首にかかる。
「あ…きら…?」
「逃げろ…マリア…!」
 口ではそう言いながらも、マリアの首を絞める彰の力はどんどん強くなっていった。
「うっ…彰…なんで…」
「やめろ…やめるんだ、シャドウ!!」
 しかし、彰の手は放れない。マリアの顔がしだいに青白くなっていく。このままでは彼女は確実に死んでしまう。マリアの目から涙
が流れ出した。それは単に苦しみのせいではないだろう。そしてそれを見た彰もまた、涙を流したのである。
「やめろよ…やめろっつってんだろ、この腐れド外道ー!!」
 彰はあらん限りの大きな声で叫んだ。するとその瞬間、彼の体が彰の意思で動くようになったのである。この一瞬で彰はマリアの首
にかかった自分の手を引き離し、彼女を突き飛ばした。
「ゴホゴホゴホッ…!あっ、彰!?」
 突き飛ばされたマリアが見た物は、身体から黒い光を発しながら苦しんでいる彰だった。
「うああ…出ていけ…俺の中から出ていけー!!」
 彰の叫び。その声に反応するように、彼の身体から何かが飛び出した。それはしだいに人の形になっていく。
「あれは…シャドウ!?」
 マリアが声をあげた。そして彼女の中に、彰と共にジョートショップで働いた一年間で幾度となく遭遇し、彼らを苦しめたシャドウ
の姿がよみがえる。
「へへへっ、追い出してやったぜ、シャドウをよ…」
 心持ち苦しみが薄れたように見える彰が言った。そして彼とシャドウが対峙する。
「ひゃっひゃっひゃ、まさかまた肉体を手に入れれるとは思わなかったぜ!おい彰、火山制御装置内では不覚をとったが、今回はそう
は行かねえぞ。今度こそおまえを倒して奴隷にしてやる!」
「奴隷だあ?冗談言うな。今回も俺が勝つ」
「ぬかせーっ!!」
 シャドウが彰に攻撃を仕掛ける。決着がつくまで長い時間がかかると思われたが、あっけないほど簡単に勝負はついた。
「ぐ…ぼぁ…!」
 そんな声を出して地面に倒れこんだのは−シャドウだった。彼は自分の敗北が信じられないようである。
「な、なぜだ!あの時は俺と彰の実力はほぼ互角だったのに…」
「教えてやるぜ、シャドウ」
 そう言う彰には、勝者の余裕というものが見られる。
「おまえの力の源は俺の持つ負の感情だろう?俺はあれから人間的に成長して、そういった感情をある程度制御できるようになったん
だ。だからおまえは弱くなった。もちろん、俺が強くなったってのもあるけどな」
「な、なるほどな…。だが忘れるな。いくら努力をしたところで、負の感情をゼロにすることはできない。そして、わずかでもそれが
ある限り俺は消えない…。それじゃあ、また俺はおまえの中で眠らせてもらうぜ…」
 そしてシャドウは真っ黒な光の球体となった。その球体は、彰の体に突き刺さり、消えた。そして、シャドウを取り込んだ彰はこん
なことを言った。
「忘れねえよ。忘れられたら、こんな苦労した生き方はしねえ…うっ!」
 彰は膝をついた。その彼にマリアが駆け寄る。
「彰、大丈夫!?」
「ああ、大丈夫だ。それより、おまえの方は?」
「マリアももう平気。苦しくないよ」
「そうか?どれ、ちょっと見せてみろ」
 そう言って彰はマリアの髪をかき上げ、その首すじにそっと手を当てた。そしてそこを凝視する。
「ちょ、ちょっと彰、恥ずかしいよ…」
「あーあ、あとが残っちゃってるよ。でもこれなら時間がたてば消えるか」
 そう言うと彰はマリアの首から手を離した。
「ふう…」
 マリアが小さく息をついたが、彰がその理由に気づくはずがない。
「ところで、今気がついたんだけど…」
 彰が言う。
「おまえ、よく俺の側に来れるな。俺はおまえを殺そうとしたんだぞ。怖くないのか?」
「んー…でもあれは、彰であって彰じゃなかったし…。何がどうなってるのかはよくわからないけど…」
「そうか…。おまえには、全部話しておいた方がいいのかな…」
 そうして彰はこの一連の出来事に関連することを全て話した。シャドウの正体、影狩人になった経緯など全てを。
「ふーん、そういうことだったんだ…。でも、正体を知った人は殺さなきゃならないなんて…」
「今回は特別だぜ。その…マリアだから…」
 この彰のセリフは、後ろの方に行くに連れしだいに小さな声になっていったが、それでもマリアはそれを聞き取った。
「ありがとう…。でもそれって間違ってると思うわ。マリアだからどうじゃなくって、人を殺すのっていけないわ、やっぱり」
「そうは言っても、闇の掟が…」
「それってそんなに大切?人の命よりも?」
「うっ…」
 彰は低い声をあげた。マリアの言うことは的を得ている。
「…もしおまえが今日のことを誰かにしゃべったら、俺はこの街にはいられなくなる。だがその時はおまえもただじゃ済まない」
「えっ?やっぱり殺しちゃうの…?」
「殺しはしない。その時は、俺はおまえをさらう。そして、二人でどこか知らない街にでも行くことになる」
「えっ!?ねえっ、それってかけ落ち?かけ落ち?」
「何目を輝かせてるんだおまえは…。まあとにかくだ、このエンフィールドで普通に生活していきたいんだったら、今日のことは誰に
もしゃべるんじゃないぞ」
「うん、わかった…」
「よーし、いい子だ。んじゃ、帰るぞ」
 そうして家路につく彰とマリアだったが、その二人はこんなことを考えていた。
(マリア、いつまで黙っていられるだろう…。俺はいつまでこの街にいられるだろう…)
(彰とかけ落ちかあ…。ふふっ、それもいいかも…なんてね)
 そしてマリアは彰のことを見つめたが、その視線を感じた彰は奇妙な悪寒を覚えた。
「…あのさマリア、おまえ、何を考えてる?」
「んふふ〜、さ〜あ、何かしらね?」
「…ま、いいか。なるようになる、だな」
 それが彰の出した結論であった。その結論を出させたのはマリアの笑顔。そんな二人を、沈みかけた夕日が見ていた。

<了>

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