弦エニシ&me  その17

時々、弦先生と、私は、真面目に、占いに、関して、もちろん、タロットカードの事・・・
リーディングの事や、コンビネーションの、解き方など、いろいろと、語り合いました。
そして、気学に関しても、話す事が、多かったですね。私は、吉方位取りといって、良い方角に、
温泉旅行をしたり、湧水を、訪ねて行ったりと、かなり、アクティブな活動を、していましたから、
弦先生にとっては、ちょっと、観察するには、おもしろい弟子だったのかもしれません。
ちょくちょく、方位の確認や、上海は、日本のどこからみると、西南なんだとか、教え合いもしましたね。
右の写真は、鹿島神宮での、お水取りの時です。

しかし、占い・易というと、「手相」が、強いですよね。
実は、「手相」という、単語は、原宿スターには、皆無でした。メニューにも、無かったし、
オーダーも、有りませんでした。
ひぇ、!  今、思うと、なんと強気のお店だったのでしょう。 タロット 一本!  「手相」が、無い!!!

弦先生との、会話で、「手相」という単語は、一回だけ聞いた事が、有ります。
(ここからは、弦エニシの会話です。)
ミミちゃん、おととい、蟹のキチンキトサンの、メーカーのパーティーに、いったのよ。
私が、占い師だって、会場で、言ったら、周りにいた人達、殆どの人が、私に、手のひらを、差し出したのよ。
うっ・・・っと、来たわ。  「手相」を、みてよって、ことでしょう。
あー、嫌だったわ。 思わず、ごめんなさい、しちゃったわ。
私は、タロットという、カードで、占いを、していますって言って、バッグの中に入っていたタロットカードを、
取り出して、見せちゃったの。 でも、見せただけ。 アハハー


この話を、聞いた時、私には、何か、強く感じるものが、あった。
別に、「手相」を、否定しているのでは、ありません。それは、御理解下さい。
弦先生の占いという分野には、「手相」は、無いんだなって、思いました。
私も、そうしようっと・・・   確かに、手相は、気になる事も、ありましたよ。
私、超文系なのに、理系の手相なんです。 
そうなんです、私の母や、妹の、手相と、太い線は、良く似ています。妹は、完全な理系です。
弦先生が、一言・・・「手相も、遺伝よね。」 そう言っていました。  わー、斬新な、一言でした。パチパチ。

私が、26歳位の時だったかしら。。
日曜日、仕事が、終わり、弦先生が、若手占い師を、束ねて、私も、誘って頂き、
原宿のどこだったかしら?
チャイナ風居酒屋に、ガヤガヤと、飲み&食べに、行った事が、有りました。

偶然にも、隣のテーブルには、今も、テレビで、御活躍中の、
「女性芸能リポーター」様達が、
楽しく、やんや、飲み&食べて、いました。

やっぱり、弦先生、その中の、何人かに、「弦エニシでしょ!」って、
気付かれてしまいました。
そして、あれですよ、あれ、「弦先生、ミテー!」っと、
リポーターの数名が、弦先生に、手のひらを、
見せようとしたした瞬間・・・  私、全身で、くい止めました。
両手を、大きく広げ、背中で、弦先生の、姿を、
隠しました。  「すみません、お待ち下さい。」  有難い事に、
手を、引っ込めて下さいました。

ふー、助かった。
こんな席で、弦先生に、あたふたしてもらっては、大変だったわー・・・。

まぁ、なんとか、「手相」に至らずに、済みました。
その後、この、お隣りの席と、私達の席は、合流し、午前3時位迄、楽しく、ワイワイ出来ました。
この日、弦先生は、1時頃、帰ってしまった記憶が、ある。 主役は、抜ける・・・
とっても、素敵な、演出だった。   何という、心意気!! 
そして、支払いが、全て済んでいた!!!
弦先生、何だよー!!! かっこよ過ぎるよー!!!


山の手線の始発で、帰る時、原宿駅のホームで、私と、若手占い師達と、熱く、一人一人、握手して、
別れたのを、思い出します。皆、どうしているのかな?
私は、ここにいるから、見つけたら、連絡頂戴ね。

「ミミちゃん、詳しく、書いているわね。よく、覚えているわね。笑っちゃう。」
うわっ、弦先生、読んでいらっしゃいましたか・・・ 

今回、掲載の写真は、貝細工の箪笥です。弦先生の、マンションの、リビングに、有りました。
たぶん、オーダーメイドだったのかもしれません。

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