ひまわりちゃん

2007年7月14日 生 ・ 2018年5月14日 没 (10歳10か月)
BERNESE MOUNTAIN DOG、メス

4匹兄弟の一匹・・・二匹は、夭折。 セントと、ひまわりが、生きる。

 私にとっては、初めての、超大型犬です。娘の、幼稚園時代や、体操教室で、知り合ったTさんから、
譲ってもらいました。ちょうど、ナナちゃんが、亡くなって、外の犬が、いなくなってしまったので、
「うちに、仔犬が、産まれたんだけど、だれか、飼ってくれない?」という、声に、つい、魅かれてしまって・・・
最初は、ナナちゃんが、いるしなって、思ったんだけど、12月30日に、ナナちゃんが、亡くなってしまって、
年が、明けてから、まだ、Tさんが、「誰か、いない?」って、飼い主を、探していたんです。

 何か、思う事か、あったので、Tさんに、電話してみました。「仔犬、いますか? 女の子は、いますか?」
「いるよー!」 「女の子だったら、飼いたいんですけど。外で、飼える?」 これが、ひーちゃんとの、始まりだった。

 バーニーズマウンテン ドック・・・何回も、犬種を、聞いてしまった。果たして、どんな犬なんだろう?
全く、調べずに、Tさんのお家に、いわゆる「面接」に行ってみました。
家の中に、大きい犬が、4匹も、いました。動物園のような、雰囲気です。
家の中の、家具や、床は、ボロボロでした。こんなに、ボロボロの家は、見たことがなくって・・・
大きい犬を、飼うというのは、こういう事なのかって、知ったようで、驚いた感じしかなかったです。

  これが、「ひまわり」と、紹介されたかな。やんちゃな、女の子でした。
Tさんが、「愛情の、偏りが、出て来ちゃってね。」って、話していました。どうしても、可愛い子と、そうでない子が、いるのかな。
どうか、Tさんにとって、ひまわりちゃんは、可愛くない子で、ありますように。じゃないと、私に、譲ってくれないでしょう。

 年が明けて、1月の寒い日、ひまわりちゃんを、もらいに、行った。弘二君の、オデッセーに、乗せるのに、大変だった。その夜から、うわん、うわん、鳴いて泣いて、ずっと、夜中鳴いていて、近所迷惑だっただろうなー。
次の日も、鳴いて、泣いて、ずっと、鳴いて、うるさかったです。
そして、Tさんの家に、帰りたくて、次の日には、脱走してしまい、捜索しました。
このように、、脱走した時は、必ず、警察に、一報していました。 そういう、犬種だったからです。

 ひーちゃんは、何回、脱走したかな? 4回かな? 一回は、一晩、帰ってこなくて、やっと、見つけて帰ってきたり。
ある時は、私が、図書館の前で、ひーちゃんを、見つけた事が、あります。
近所の、ママが、「今、大きな犬が、いてさー。」っと、偶然、話かけて、くれたのが、切っ掛けでした。
見つけて、「ひーちゃん!」って、声を、かけたら、「ビクっ」と、している表情が、わかりました。

 28キロの体重の時に、避妊手術を、しました。お世話になっていた動物病院でも、一番、体重の重い子の、
手術だったとの事でした。 ゆっくり、2泊して、帰ってきました。 これで、少しでも、寿命が、延びれば、いいなー。

 
 バーニーズは、高級犬なので、室内で、飼うらしい。だけど、我が家では、外犬にしてしまった。
自由に動ける鎖・ロープ、茅葺の屋根を、作ったり。階段の下を、利用した部屋を、用意したり、それなりの環境は、整えました。
6月には、動物病院に、無理を言って、サマーカットして、体温調整に、気をつけたりね。

 食べ物は、私の、両親に任せていたので、あまり、わからないですが、市販のドッグフードを、食べていました。
3.4歳の、成長期の時は、鮪のアラの、湯がいたのを、食べていました。これが、長命に、繫がったのかもしれません。
だけど、父が、ビスケットだの、パンだのを、あげていたので、それが、糖尿病の原因になったのかなって、思いましたが、
歳に、なると、糖尿だの、なんだだの、人間も、出てきますからね。しょうがないですね。

 何時頃からか、番犬になったのでしょうか。家族以外には、絶対に、慣れない犬でした。
何度、会っても、どんなに、犬好きの方で、あろうが、絶対に、心を、許さない犬でした。
私の、記憶では、2人だけ、ひーちゃんに、触れる事が、出来ました。一人は、以前、大型犬の、ブリーダー経験の方で、
なんと、ひーちゃんの、後頭部に出来た、「癌」を、指摘して下さいました。
これが、ひーちゃんにとっての、二回目の手術でした。癌摘出だけの、無事な、手術でした。

 もう、一人は、動物と、会話が、出来る専門家の方でした。「アナタには、二人の、ママが、いるのね。」って、話かけていました。確かに、ブリーダーさんのところに、長くいて、そして、うちに、来たからね。 

 この、バーニーズマウンテン ドッグが、短命の犬種で、あるというのは、動物病院の、待合室で、待っている時に、
「犬図鑑」を見た時でした。6歳~8歳という記述があり、一気に、悲しくなってしまったのを、覚えています。
えっ、大型犬って、長生きじゃないの? 違っていました。大型犬は、短命なんです。
いや、これは、信じず、この子を、飼おうと、その時、思いました。

 ひーちゃんは、私の、両親の管理の元で、育ちました。「あげないで。」って、言っても、人間が、食べる物を、
父は、あげてしまうのです。それは、何度言っても、ダメでした。まあ、食事を、与えてくれただけでも、いいか。

 別に、番犬の訓練をしたわけではないのですが、家族以外の人や、車のエンジンには、敏感でした。
容赦なく、ワンワン吠えていました。よく、吠えるなーって、いつも、感心していました。
ブリーダーさんが、「お座り」、「待て」、「お手」、「おかわり」を、教えてくれていたので、しつけは、楽でした。

 外で、飼っていたので、気を付けていたのは、フィラリアです。毎年、フィラリアの検査と、お薬を、もらって、きっちり、あげていました。
一度も、検査に、ひっかかった事が、ありません。やはり、予防注射や、検査は、ちゃんと、やっておいて、良かったです。必然ですが。

 6歳の頃から、動物病院の院長から、「立てなくなりますからね。」と、脅かされていたんだけど、
亡くなる、三日前まで、元気に、歩きまわっていましたからね。6歳の時に、「老犬」と、院長に、言われた時、
私も、弘二君も、実感出来なくて、「何の事か?」って、思ったくらいです。
それぐらい、最期の最後まで、「老い」を、感じさせない犬でした。
 
 2017年10月の、朝日新聞の朝刊の、ペットを、紹介するコーナーに、投稿したら、ひーちゃんが、載ったのです。
ダメもとで、写真と文を、メールで、送ったら、採用されました。その時の写真が、
              このページの、一番上に、出ている写真です。
              採用して戴いた記者さんと、お話した時に、「飼い主さんとの、距離感が、とても、良い。」と、言われました。

 でも、あー、やっぱり、ひーちゃんは、お歳なんだと、思ったのが、3月に、いつもの、予防接種を、受けに行った時でした。動物病院の、院長先生に、今年の、サマーカットを、断られた事でした。「麻酔を、かけるのと、手間暇が、かかる。」って、言われて。
30分程の、麻酔らしいですが、この歳の、ひーちゃんには、キツイらしいです。それと、この子の、カットは、大変だったんですって。
これまでの、10回の、サマーカットをして戴いて、有難うございました。これも、長生き出来た、お陰の一つでした。

 舌を、噛んじゃったのが、始まりだったのかな。たけど、5月3日に、フィラリアの、ビスケットを、あげた時、ゆっくり食べていた時、
「どうしちゃったのかな?」っと、思い始めました。 急に、ひーちゃん、もう、歳なんだなって、思ってしまった。
 いつも、フィラリアの、ビスケットを、あげる時は、体を、揺すって喜んで、食べていたのに。

 その前に、一年前、口の中に、癌が、見つかったんだっけ。 それと、糖が、高いのと・・・糖尿病!
尿の採取をって、言われたけど、結局、出来なくて、ホッタラカシニ、していました。

今回、舌を、噛んだ時に、口の中の癌も、診てもらいました。やはり、進んでいました。
それくらいかーって、思った、診察でした。  普段の診察と、変わらなかったような気がしました。
診察台にも、しっかり、自分の足で、昇っていたし。 

 昼間、家に、帰って来て、もう、ひーちゃん、寿命なのかなって、思って、鎖を解いて、放してみました。
「行きたいとこ、行きな。」って・・・ゆっくりと、向かった時の、後ろ姿は、いつまでも、忘れる事が、出来ません。
庭の、裏手の、垣根の木の下に、座っていました。 そこが、一番、落ち着く処だったんだね。

 5月14日、容態は、急変しました。夕方に、背中を、丸めて、咳をしながら、血を吐いてしまいました。
これは、もう、ダメかもって、感じました。だけど、お医者さんに、診てもらわないとって、私は、思いました。
もし、ひーちゃんが、死ぬのなら、死因は、なんなのか、はっきりしておきたかったら。


 もう、動けない状態だったけど、弘二君が、抱えて、車に乗せて、動物病院へ。
何だろ、突然、レントゲンを、採る事に、確か、肺に、癌が、移転していないか調べるという事だったけど。
           ・・・時間が、掛かっている・・・何だか、重い雰囲気。
           院長が、額に汗を掻いて、診察室に、戻って来た。
「肺に癌は、移転していません、ただ、胃捻転が起きています。緊急手術が、必要です。だけど、手術は、出来ない」と、
 告げられました。
「あと、数時間後には、この子は、亡くなります。」と、言われた時、一番、辛かったです。頭の中が、真っ白になりました。
弘二君は、何にも、言えないくらい、ショックを、受けていました。

 わかりました。連れて、帰ります・・・それしか、言えなかったです。数時間か・・・数時間の命なんだね。
 初めて、ひーちゃんを、家の中に、入れた。玄関内に、タオルケットを敷いて、その上に、そっと、寝そべてみました。
胃捻転・・・苦しかっただろうね。 痛かっただろうね。体の向きを変えたり、最期まで、自分の、位置を、確認していました。
睦っちゃんが、顔を、ひーちゃんに、押し付けて、泣いていました。
ひーちゃんも、時々、涙を、流していました。

 もう、最期という時に、ひーちゃんが、暴れたのです。前足で、半分立って、「うおおおーん。」って、
叫んで、そのまま、ガクンと、逝ってしまいました。
看取れました。 亡くなる瞬間を、一緒に、過ごせました。 

 最期の、叫びは、「あたし、幸せだった!」と、言っているように、聞こえました。
 
 8歳生きるのが、せいぜい、といわれた、バーニーズマウンテンの、ひまわりちゃん。享年10歳10か月
神様に、与えて戴いた約3年を、生きました。スイスで、こう言われているんだから、
本当に、8歳以上生きる、バーニーズマウンテンは、少ないんでしょうね。
人間で言ったら、110歳の大御婆ちゃんでしたから、大したもんでした。

 私の、40歳代を、一緒に、歩んでくれた大切な、犬でした。
この家の、守り神でした。 いろんな意味で・・・守ってくれました。 お役目を、果たしてくれて、有難う。
           
           


 左・・・青年期のひまわりちゃん。
 右・・・老年期のひまわりちゃん。








車の、座席にて、最期の、元気な、表情のひーちゃん


 ミミ月丘へ