弦エニシ&me   その4

弦先生の、本名は、Kyokoさん。亨年63歳。七赤金星の生まれでした。
早過ぎましたよね。何度となく、私は、弦先生の眠っている場所で、「死んでる場合では、無いですよ!」って、
叫んでしまい、一度、注意された事も、有りました。 でも、未だに、泣いた事が、有りません。
あの世から、「ミミちゃん、泣かないで、泣かないで、」っと、私は、言われているから。


スターという、お店は、とにかく占いハウスとしては、人が、たくさん来店する所でした。
それぞれの、占い師さん達が、顧客を、つかんでいましたからね。
そんな、お店でも、弦先生と、私と、二人っきりになる時間が、時々有りました。

これは、私が、まだ、独身時代の時だった。弦先生が、しんみりと、お話してくれたのです。
御自分の、生い立ちの事。
「ねぇ、ミミちゃん、こっち、来て」  弦先生、自ら、二杯の紅茶を、用意してくれていた・・・
「聞いて、くれる?」 私は、何だか、分からず、一先ず、先生と、同じテーブルに、座ってみた。

弦先生が、語り始めた・・・
「私ね、もらいっ子なのよ。実の、お母さん、お父さん、知らないの」
ゲゲ、そんな、重大な事、私に、話していいんですか?何でー!!???
「私には、姉と、妹が、いるらしいのよ。三姉妹だったのよ。」
そうでしたか。
#もらいっ子の説明・・・弦先生が、生まれて、わずか生後3か月頃の時、
  子供のいない、御親戚が、生家に、訪ねて来ました。その親戚の方が、
  真っ白な肌の、ふくよかで、 笑顔のかわいい赤ちゃんに、一目ぼれして、
  その日のうちに、連れ去るように、弦先生は、養女と、なったそうです。#

「時々、夢を、見るの。姉妹で、手を繋ぎながら、輪になって、ランラランっと、踊っている夢」
はー、それは、記憶していた風景だったのでは・・・
「でも、私、赤ちゃんの時に、引き取られたみたいだから、姉妹の事は、全然、知らないの」
私は、この時、さらっと、聞いていました。そうなんだーって。記憶ではなく、希望だったんだー。

まぁ、この、姉妹と、私は、無縁と、思っていました。会う事は、無いなって。

育ての養父母の死も、私が、原宿スターに、在籍していた時に、有りました。
その時、私は、スランプ状態だったので、スターには、出勤していませんでした。
申し訳なかったです。

2011年8月、思ってもいない事が、起こりました。弦先生の死去です。
それが、切っ掛けで、弦先生の、血縁関係にあたる、御姉様に、お会いしました。弦エニシが、焼かれる火葬場で。
東京の、桐ケ谷斎場でした。
私達の元へ、上品な、御夫婦が、訪ねて来ました。最初、どなたか、分からなくて。
なんと、弦先生の、実の御姉様夫婦でした。どう、対応して、よいやら。
実の、妹が、どんな人生を、送ったのか、全く知らないようでした。

「うちには、太っている人いないのよね」って・・・それが、私と、話した、第一声でした。印象的でした。
弦先生は、太っていましたからね。
お声が、弦先生に、そっくりで、戸惑いました。もちろん、御顔もね。御姉様は、痩せていらしたけど。

弦先生は、予測していたのかなー?それとも、何の気なしに、私に、語っていたのかなー?
よくわかりません。でも、昔、聞いておいて、良かったです。
弦先生は、本当は、姉妹と、会いたかったのかな。探せたと、思うけど・・・
実は、弦先生が、亡くなった時、産んだ、御母様は、生きていました。(現在は、分かりません。)
遺品を、御姉様を、通して、お渡ししています。
それを、知った時は、辛かったです。泣きたかったけど、「泣かないで」っと、言われていたので、泣きませんでした。
ぐっと、こらえました。厳しかった、師弟関係でしたから、私は、守ります。

又、私の、記憶の事を、次回は、書きますね。馬券の話でも、しましょうか?
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