弦エニシ&me  その19  その20へ

一番、ぶるぶる震えた時

2011年8月8日に、Sちゃんから、電話が、有った。私は、その電話を、娘が通う小学校の駐車場で、
受け取った。 「弦先生の、火葬の日時が決まりました。」 もちろん、行きます。

8月12日 
私は、朝から、黒の喪服を着て、東京・五反田駅に、行くのを、今か今かと、過ごしていました。
午後1時が、集合時間。喪服での、移動は、やはり、汗かきまくりでした。
五反田駅に、ちょっと早く着いてしまったので、何故か、洋服を、買いに行ってしまったのです。
そして、時間になって、集合場所に行ったら、Tちゃんが、来ました。そして、Sちゃん。
最後に、JRの改札を、通って来られたのが、O先生。

4人で、タクシーに乗り込み、桐ケ谷斎場に、向かいました。
待ち合いホールにて・・・
私達の、組?というか、何ていうんでしょうね。弦エニシを、弔う組ですよね。
私達4人、文化人のおじさん、行きつけの店のマスター、そして、法廷相続人の御姉様御夫婦が、
集まりました。総勢、8人でした。 マスターは、私達に挨拶をして、ちょっと、お話をして、お帰りになりました。

私、ここぞと、ばかり、マスターに、質問しました。
弦先生は、お酒は、飲まれたんですか? どんな、おかずを、召し上がっていたんですか?  等など・・・
意外にも、先生は、最初の、一杯だけ、軽くお酒を、飲んで、もつ煮だの、焼き鳥など、
庶民的な物を、オーダーしていたようです。もちろん、がっつりご飯ものも、あったようです。

そして、時間になりました。火葬する部屋に、私達は、通されました。
弦エニシの遺体が、これから焼かれる扉の前に安置されていました。
Sちゃんの、肩に、手を、そっと置き、私は、一歩一歩と、御遺体の方に、進みました。
私の目に飛び込んで来たその光景は、一枚の写真のように、脳裏に焼かれています。
一番、ぶるぶる震えた時でした。
担当者の女性スタッフの方が、「御花を、御棺の中に、入れて下さい」っと、素敵な御花が、たくさん、
盛ってあるトレーを、差し出してくれました。私達は、ゆっくりと、一輪づつ、棺に、いれました。

そうだ、O先生が、生前、弦先生が大好きだった、香水を、持ってきて下さっていたわっと、思い出し、
香水を、急遽、カバンから、取りだしてもらいました。
私は、その香水・ポール スミスの、ROSE という、香水を、御遺体に、
降りかけまくりました。
シュッシッュっと、ありったけ・・・しまいには、顔面にまで、かけてしまいました。
大好きな香りに包まれて、焼かれて擁きたかった。
そして、最後、私は、弦エニシの、前髪に、キスをした。
本当は、透き通るように白い肌の頬に、したかった・・・
棺には、弦エニシ 著 の、第一弾のタロットカード教本も、入れました。O先生だったかな。

そして、扉は、開かれ、御遺体は、中へ。

ショックで、めまいが、したので、Sちゃんの肩に、摑まってしまった。
それからの、数時間は、又、後で、書きますね。


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