弦エニシ&me  その11

 昨日が、暗い話だったので、今日は、明るく、「タクシー」と、「街中」での事を、書きますね。

弦先生は、自動車の普通免許は持っていませんでした。まぁ、都内は、必要無いような、気もします。
だから、移動は、全て、タクシーでした。原宿スターと御自宅、ご飯食べる所、仕事先、などなど、全て、
タクシーでした。タクシーの、会社には、こだわりは、無かったみたい・・・
弦先生の、お財布や、カバンの底、コートのポケットから、わさわさと、タクシーの、領収書が、入っていました。

殆どの、領収書が、「ワンメーター」か、「ツーメーター」です。

私が、27歳の時かしら?ある日、弦先生が、息をきらして、スターに、出勤。
「先生、どうしたんですか? ゼイゼイいってますよ。」 本当に、苦しそう。
「だってー、パレフランスで、タクシーを、拾おうと、頑張って、そんで、やっと、つかまえて乗って来たのよ!」
えー、パレフランスから、ここへ!!!竹下通りの入り口からだったら、歩いた方が、早いでしょう。
「マジですか?」 こんな距離、、歩いたら、ほんの、5分程の移動に、タクシーですか・・・
「先生、歩いた方が、早いですよ。」 普通に、言ってみました。
「いやっだー、歩くの疲れるわー。それに、人、多いし。」  もう、私、この感覚、分かんなかったです。。

確かに、履いている靴や、サンダルは、どれも、10センチ以上、ヒールのある物ばかりでした。
歩くには、大変な、高さでしたね。 しかし、意外にも、靴のサイズは、小さめだったかも。

これは、タクシーの領収書が、溜まるはずです。
先生、申し訳なかったですが、これらの領収書は、ゴミ箱に入れちゃいました。

あとね、笑っちゃう街での話が、有ります。
私は、16時で、仕事が終了でした。そして、弦先生は、17時から、
鑑定開始でした。
時々、表参道の交差点で、すれ違いになるんです。

弦先生は、外出する時は、昼だろうが、夕方だろうが、いつも、サングラスを、
かけていました。

明るい、夏場は、何も言わず、先生に、手をふると、気付いてくれて、
手をふり返してくれていました。

4年前の、10月の時、その交差点を、渡っている弦先生を、発見。
いつものように、手をふりました。
えー、気付いてくれない!!!

「弦先生、お疲れ様ですー、先に失礼しますー!」と、大きな声で、
手を、振りながら、叫んでみました。
すると・・・   気付いてくれました。

「キャー、ミミちゃん、お疲れ、お疲れ」っと、これまた、私に、叫びながら、返答している弦エニシが、
そこには、いました。

ラフォーレ原宿前の、交差点で、小派手な女と、大派手な女が、オーバーリアクションで、
叫び合って、「バイバイ」している光景・・・
弦エニシファンが、見たら、転がりながら、笑いこけるでしょうね。

実は、最後、生きていらした、弦先生を、見たのは、やはり、この、交差点でした。
2010年の、10月でした。いつものように、サングラスをかけて、歩いていました。「あっ、弦先生!」
まぁ、いいかっ・・・又、会えるし。  その時は、そんな感じでした。
何故か、声を、かけられず、人の流れの中、私は、千代田線の駅に、向かってしまった。
明治神宮前駅、原宿駅、何度、乗り降りしたのだろうか?  原宿スターに、通うのに。
高校生だった時の、私に、問いたい。
それが、私にとって最後の、弦エニシの、生きている時の姿だった。 
今も、鮮明に、その時の交差点の風景を、思い出す。

写真の、バッグは、弦先生がロサンゼルスに、旅行した時に、購入した、マリリン・モンローの、バッグです。
超大きくて、ド派手なのよ。私、このバッグを、見た時、圧倒されたわ。

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