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    弦エニシの半生を分析・鑑定

弦先生の事を、分析・鑑定するという、恐れ多い今回のお話です。
その30は、何を書こうかと、考えに考えていました。
私は、プロの占い師ですから、やはり、鑑定を、してみたいと思いました。それも、師匠のね。
今回は、専門用語・専門知識がないと、「???」が、あると、思います。
分かる範囲で、読んでみてね。

おーい、ミミ月丘易学教室の生徒さん達、そして、ミミ月丘一派の皆は、このページを、
講義の一つとして、ノートに、録って下さいね。

弦エニシ
昭和23年7月18日 日曜日 生まれ たぶん関東地区
 甲辰日干 寅卯空亡 七赤本命 離宮傾斜

算命学で、鑑定してみると、とにかく、本来は、本当の、御両親に育てられ、確かな、愛情を、受けて、
普通に、結婚して、穏やかな家庭を、築いていたい星の元に、産まれていました。
しかし、生後三カ月で、養女になり、その後の、人生は、愛情を、素直に受け止められなかったり、
感じとれなかったり、波乱が多かったのでしょうね。

弦先生の人生のリズムは、「4」です。
ちょうど、44歳から64歳まで、大運天中殺という、暗黒の20年を、経験しています。
その間は、暗黒どころか、名前が、売れ、マスコミからも、引っ張りダコ。
毎日、予約鑑定スケジュールは、いっぱい。
人気番組のレギュラーも、何本か、ありました。
とにかく、毎日、駆けずり周りましたね。
本来は、運が、悪い時なのに、何故か、世間から注目を、浴び、それが共感を、人気を得て、
弦エニシは、輝いていました。

占い的にみると、「不自然な輝き」でした。
でも、弦先生は、パーっと、有名になって、皆の心に、派手なイメージが、残り、それで、いいのよって、
いう気持ちがあったのかもしれません。人気がなくなり、飽きられた先生なんて、想像が、つかないですもの。

2002年、目黒本町から、南青山に、引っ越ししました。
確かに、東北の大吉方位に転居しています。鬼門方位です。
でもね、弦先生、54歳の時なんですよ。先生、御自分が、「4」の数字に、変わる時に、
何らかの行動、大きな、行動を、していらっしゃるんですよ。
動きたくなるんですよね。

そして、御自分の年天中殺の2011年。卯の年、亡くなりましたね。
早すぎる死でした。 

時々、弦先生の事を、思って、タロットカードの一枚引きを、します。
いつも、同じカードが、出ます。
「女帝」のカード。

これは、私が、原宿スターに、出勤する度、弦エニシの占いカレンダーのCDを、引いていた時と、同じ、カードです。

そして、今夜、私、一枚引きしていいですか?ワンオラクル。

「審判の女神」のカード。   「決め時ね。」      先生、私、何を、決めるのですか?
「たくさん、あるでしょう。何、しているのよー。」

弦エニシ先生、次は、普通の家庭にというか、どれが、普通なのか、わかりませんが、普通の家庭を持ちましょうね。
そして、来世でも、会いましょうね。
できれば、私を、子供として、受け入れて下さい。お願いします。


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