弦エニシ&me  その26

「占いで運命を変えることができる」  中谷 彰弘 著   説話社

この本は、1999年の9月に、出版されました。インタビュー形式の、写真付きの化粧本です。
のち、違う出版社から、写真無しの単行本も、出版されました。
関東地区で、活躍中の有名な占い師様方が、ずらり、掲載さけている本です。
この一冊が、私の、占い師人生というか、過ごし方、スケジュールの
組み方など、全て、変えてしまったかのように、
思えます。どうして、私みたいな、占い業界では、ミジンコみたいな私が、
この本の出版にあたって、
選ばれたのか、実は、今も、本当の理由は、知らないのです。 
とにかく、中谷氏が、アンケートか何かで、
占い師に関して、何かの読者に、対して声を、聞いた時に、
私、「ミミ月丘」が、有ったそうです。
もちろん、超有名処の、弦エニシは、インタビューに、
真っ先に選ばれていました。

1999年 6月の平日。
弦先生と、私は、中谷彰弘氏の著書の為、インタビューに向かうのに、
原宿スターで、何度も、念入りに、お化粧直しを、しながら、その時間を、待っていた。
「同じ、本に、このお店から、2人も、選ばれるなんて、光栄ね。」 弦先生、ルンルン。
私は、恐れ多くて、えっえっとしか、返事が、出来ませんでした。

何で、私が、選ばれたの?というより、呼ばれているの?
さっぱり、検討が、つきませんでした。
時間が、迫ってきた。

「弦先生、行きましょう。」っと、私は、てっきり、一緒に、中谷彰弘事務所に、行くもんだと、思っていました。
だって、私の後に、インタビューの予定が、入っているのは、弦先生でしたから。

「ミミちゃん、先に行ってて。」
はーい、分かりました。事務所は、青山なので、歩いて行って来まーす。
てくてくと、歩いて、中谷彰弘事務所に向かいました。
これから、インタビューという緊張感が、私の心臓を、バクバクさせました。

そして、事務所のあるマンションに到着。
ピンポーンと、チャイムを、鳴らしました。 明るく、中谷氏のマネジャーさんが、出迎えて、下さいました。

そして、約1時間の、夢のような時。  中谷彰弘さんを、タロットカードで、占い実践しました。

もう、感激でした。  

そして、帰る時が、来ました。調度、事務所のマンションのフロアで、弦先生と、すれ違いました。
あっ、弦先生・・・     先生、私に対して、無視を、しました。
それは、最初、ショックでした。私、悪く、受け止めてしまいましたよ。
でも、でも、それは、師匠としての、誇りでした。威厳そのものでした。
弟子との一線を、きちんと、引いていた方でした。
この、師弟関係に、私は、頭が、下がる事が、多々有りました。

でも、後日、お茶を、する度に、言うんですよ。
「ミミちゃん、びっくりさせて、ごめんね。私、冷たい人では、ないわよーん。」って・・・
もう、ふざけないで下さいよ。  いつも、笑い顔で、「考えてしまう事」は、解決していました。

そんな、日々を、今も、思い出します。

上記の写真は、かなり、変わったデザインのバッグです。
かっこよく、小脇に抱えていましたよ。

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