弦エニシ&me  その15

 救急車の件。

その時は、必死だったけど、今では、笑っちゃう事が、有りました。
2000年5月の日曜日の事です。 私は、妊娠5ヶ月の妊婦でした。
スターへは、出産の前の前の月、つまり、7月終わりまで、通勤していました。足が、浮腫んで、
でっかいサンダルを、履いて、夏の暑い盛りに、山手線に乗り、通勤していました。
何度ともなく、電車内で、席を、譲って頂いたか、本当に、有難うございました。今も、ジンっと、きます。

そんな、5月のある日。朝食で、中途半端な脂の残る「銀ムツみりん」の、焼魚を、食べました。
それが、あたってしまったのだと思います。スターに、向かう途中から、腹痛がして来ました。
スターに、着いた途端、ドアを、叩きまくり、中に、入れてもらい、トイレに、直行しました。
「ミミちゃん、どうしたの?」っという、弦先生の、声が、左耳に、飛び込んで来ましたが、それどころでは、
有りませんでした。もう、お腹が、痛くて、痛くて・・・
そして、私は、妊娠している・・・   どうしよう!!!

トイレから出て、弦先生に、もう、ダメですっと、辛うじて言えました。
「大丈夫?ミミちゃん。」 もう、どうしましょう、状態です。
私への、指名のお客様も、来店していました。その、あたふた状態を、見られてしまいました。

でも、もう、この痛さには、耐えられない・・・

「救急車を、呼びましょう」  弦先生が、おっしゃってくれた。
助かります・・・ お願いします。

受付のSちゃんが、119、してくれた。

救急車の到着まで、ちょっと、時間が、あった。その間・・・
「私、救急車に、乗った事ないわよ。ここの店のオーナーの本名、聞かれても、言わないでよ、
でも、ミミちゃん、死んじゃいやよ。」っと、弦先生、おろおろと、叫んでいました。
私の、お腹を、擦りながら。 (優しい♡)

もう、私の事、心配しているんだか、何だか訳わかんなくなりました。

そして、救急車が、店の前に到着。救命士さん達が、来て下さいました。
私、必死で、歩いて階段を、降りて、救急車に、乗りこみました。
弦先生が、ドアのすそで、涙ぐみながら、見送ってくれました。
受付のSちゃんが、付き添いで、一緒に来てくれました。

渋谷の国道を、走りぬけていくわけですよ。
痛いながらも、「かっこいいー、今、渋谷の、あの道を、走っているのよねー」っと、
ワクワクしている私が、いました。車内でね・・・本当に、私は、危機感の無い人です。
そして、救急を、受け付けてくれた病院が、恵比寿の、広尾病院でした。
私の、実の妹が、都内で、看護師を、しているので、連絡をとってみたら、駆けつけてくれるとの事でした。
そして、Sちゃんは、私が安定した様子を、見とどけ、スターに、帰りました。
有難うね、Sちゃん。私は、帰る姿の背中に、何度も、手を合わせました。

結局、何でも、無かったの。軽い、食あたりでした。
赤ちゃんの、心音も、確かめる事が、出来ました。
その後、妹と、私で、スターに、御心配かけました・・・っと、戻りました。
ドアを、開ける時、照れくさかったです。

「ミミちゃん、良かったわー!!」っと、泣いているんだか、笑っているんだか、
良く分からない表情の、弦エニシが、私を、抱きしめてくれました。

先生、ごめんなさい、御心配、おかけしました。

その後、2000年 9月8日に、私は、女の子を、帝王切開で、産みました。
実は、帝王切開というのは、日時を、希望出来るのです。
私が通院していた、産婦人科から「手術はいつが、いいですか?」っと、聞かれていました。
当時、隣の、席で、鑑定していらした占い師さんは、西洋占星術を、得意としている方でした。
7月、その占い師さんに、伺ったんですよ。「いつ、産むというか、出すのが、いいの?」って。
そしたら、9月8日ね、月と、太陽の位置が、とても、良いから・・・っと、助言を、受けました。
その通りに、私は、手術の予約を入れ、出産しました。

その年の10月に、スターへ、復帰しました。

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