弦エニシ&me  その23

2011年8月21日 日曜日

この日、私は、自宅の鑑定室で、9時から14時まで、ノンストップで、仕事をして、其の後、ある場所へ向かった。

16時 千代田線 表参道 B1 出口 地上階段
私は、母と、一緒だった。本当は、都内に住んでいる妹も、駆けつけてくれるはずだったのだが、
急に、仕事で、来れなくなってしまったとの事だった。独身で、ベテラン看護師だから、しょうがないか・・

O先生が、待ち合わせ場所に、来ました。
3人で、弦エニシが、最後、住んでいたマンションの部屋に、行くことになりました。
南青山・・・おしゃれの最先端の街ですよね。
通りには、高級なブティックや、美容室、Paul Smith の直営店などが、並んでいました。
駅から、10分位歩いて、マンションに、到着。うわー、三階建てだけど、見るからに、高級マンション。
マンションのオーナーの方の、お名前が、とっても、珍しい苗字でした。

102号室  ここが、弦先生の、お部屋。賃貸でした。
ひとまず、部屋を、見ておかないと・・・

カチャ・・・ ドアが開けられた。 3人、無言になりました。
それから、中に入らせてもらいました。
床が、洋服を、始め、いろいろな物で、40センチは、上っていました。

右の写真は、マンションの表札に、自ら、鉛筆で、薄い紙に書いた文字です。
もう、貴重過ぎます。

2回目の訪問の時、最初は、プロの業者さんに、頼めばいいかなっと、
思い、見積もりを、してもらいました。
見積もりの結果、軽く、乗用車一台、買える値段でした。
無理だ・・・いくらなんでも、自腹切れない。

その時、私の母が、「うちらで、やりましょう。」って、涙を浮かべて、叫びました。
えー!!!!!!! 仰天しました。
確かに、私の実家は、魚の卸業者なので、トラックは、持っているし、人材も、いるけど。
「ママ、本気?」って、私、思わず、聞いてしまいました。
「何だか、とっても、悲しくなってきたわ。うちらで、この、先生のマンション、片づけしましょう。」っと母。

そういう経緯で、私が、弦先生の、マンションの中、全てを、片付け、受け取る事に、
なりました。もちろん、それに関して、法定相続人の御姉様夫妻との、正式な文書のやり取りが、
有りました。

私の実家の家業の、2t トラックを、午後使っていいよって事に、なりました。
元某有名引っ越し業者にいた社員と、口が堅そうな社員達と、私が依頼している家政婦さんを、
伴い、次の週に、5日間かけて、片付け、整理、掃除、しました。2t トラックを、南青山‐水海道間を、
約10往復しました。

それは、それは、とてつもなく、膨大な、引っ越し作業でした。
4日目だったかな? 電車で、帰宅する時が有りました。
余りにも、疲れてしまい、常総線・守谷駅のホームで、泣き崩れたのを、思い出します。
弦先生が、亡くなってしまったという事へのショック、マンションの引っ越し作業が、あまりにも大変なのと、
そして、家に帰ったら、家の事を、しなくては、ならない現実。
もう、泣くしかなかった。  そして、8月28日、全て、作業が、無事終了しました。

右の写真は、引き取った荷物を、一先ず、私の仕事場に、置いた様子です。


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