弦エニシ&me  その18  その19へ


Q 弦先生の、お葬式は、いつだったのですか? 盛大でしたか?
A お葬式は、していません。でも、2011年9月23日に、「お別れ会」は、渋谷で、行われました。

Q 弦先生のお墓に、お参りに行きたいのですが、場所は、どちらですか?
A 弦エニシのお墓は、有りません。 御遺骨は、ちゃんと、保管されています。
  その場所に関して、今は、言う事が出来ません。

この二つの質問に対して、やっと、真実を、書くことにしました。

2011年8月5日  夕刻  東京都済生会中央病院 810号室
弦先生が、最期を過ごした病室で、私達、O先生、Sちゃん、Tちゃん、私で、
部屋の片づけを、していた時だった。
病院に常駐している「葬儀担当」の方が、お越しになった。
これから、どういう、手順にしますか?という、打ち合わせだった。

区の助成金で、行う事が出来る、一番シンプルな葬儀にしましょうという事に、なりました。
一瞬、私は、それでいいのかな?・・・っと、  考えてしまいました。

今、思えば、無理にお葬式を出して、ガヤガヤ、シクシクと、大勢の方々に、
見送られるよりも、
身内で、さっぱり、あっさりと、「さよなら」っと、される方が、弦エニシ自身も、
望んでいたのかもしれません。
人に迷惑かけたり、面倒くさい事が、大嫌いでしたからね。 

その打ち合わせも、終わり、さぁ、御遺体に会いに行きますかっと、
なりました。
ナースステーションに行き、この件を、告げると、「出来ません」との
返答でした。
17時で、霊安室が、閉まってしまったとの事でした。
どうしても、という場合は、ある許可を、取らなくては、いけないので、2時間、待って下さいとの事でした。

「ミミちゃん、せっかくだから、待って、会って来たら?」っと、Tちゃんかな?私に、言ってくれたの・・・
まずは、そうだよなーって、思ったけど、2時間かー。私、茨城の自宅に、帰らなくちゃいけないし、遅く、
なっちゃうなーっと、自分の事を、考えてしまいました。ごめんなさい、先生。

そう、思った瞬間、弦先生の、洋服を、まとめたバッグが、急に、重くなった!
先生、素直に帰ります。
御遺体に会わず、私は、帰る事にした。病院の外に、出て、4人で、又、近々、会いましょうっと、いう事になり、
悲しい夕陽の中、私は、三人を、残し、麻布十番駅の地下鉄に、向かった。
とっさに履いてきた、サンダルが、凄い音を立てて、駅への、地下階段を、降りて行った。
麻布十番駅から、どうやって、TXに、繋げていいか、全く、分からなかった。あせった・・・
手帳の、地下鉄路線図を、開く。  何とか、なりそうだった。
帰りの、電車の中では、とにかく茫然とするしかなかった。  あっという間に、TX守谷駅に着いてしまった。
駐車場に停めておいた、私の車に、さっき、引き取ってきた、洋服類を、後部座席に積んだ。
車内、一杯に、弦先生、独特の香りが、広がった。 どの、香水を、病室で、つけていらしたのかしら?
ぐっと、涙を、こらえ、音楽を、全快にかけて、急いで自宅に戻った。

この時、時計は、午後8時を、周っていた。

今回、添付の写真は、「お別れ会」の二次会を、宇田川町フォーチュン カフェ スターで、開いた時のものです。
私と、一緒に、写っている方は、トリン在籍の、ベテラン占い師のK様です。もう、知り合って、
20年以上、経ちますね。
優しい御姉様みたいな存在です。


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