弦エニシ&me  その22  その23へ

つい、この間の日曜日、冬の午後、私は、大洗海岸にいた。
波打ち際まで降りたち、潮の香りを、肺一杯に、吸い込み、その時間を、楽しんでいた。
まるで、秋の日の子供のように・・・ ザッパーンっと、波が、白いしぶきを、立てる。
目の前には、碧い太平洋が、広がり、そして、青い空には、白い上弦の月が、登っていた。

14時20分  私の携帯電話が鳴った。 仕事の依頼の、電話だった。しかも、
相手は、泣いている。
どうしても、今日、見て欲しい(鑑定)との事だった。 夕方17時30分に、
お越し下さい。約束しました。
そして、10分も経たないうちに、又、電話が鳴った。初めての、男性の
御客様でした。やはり、今日、見て欲しいとの事でした。18時30分に、
お越し下さい。 約束しました。

しかたない、早めに家に、帰るか・・・

16時前の、まだ、陽の高い時間に、私は、水戸ICから、常磐高速道路を、走り、
家路に就いた。70キロ、80キロと、アクセルを、踏んでいた。
夕陽が、素晴らしく、輝いていて、高速道路を、黄金色に、染めてしまった。
もう、車線が、見えないよ。かなり、焦る。手のひらは、汗で、ツルツル。

運転しながら、その時、あの日の事を、思い出した。  教訓を、言い渡された日の事。

2001年12月の某日曜日。
私は、必死で、原宿スターに出勤しました。実は、前々日の、金曜日の夜中に
家の廊下で、
転倒事故をして、病院で、頭を、4針縫う怪我を、しました。土曜日は、
子供を、友達の家に預けて、
一日中寝ていました。そして、日曜日、原宿スターへ、出勤しました。
頭に、スカーフを、巻いて、包帯を、隠して、何とか、格好は、整いました。

無事に、御予約の、御客様方々を、鑑定し、15時50分、帰る用意を、
していました。
すると、早めに、弦先生が、出勤して来ました。
「おはよう、ミミちゃん、大丈夫?頭、切って、縫ったんだってー? 昨日、Sちゃんから、聞いたわよ。」
はい、御心配おかけしました。すみません。
「でも、今日、良く、出勤したわね。休んでもよかったのに。」
いえ、そんな事は、出来ません。
「ミミちゃん、来てくれて、本当に、良かったわ。」
急に、仕事が、終わって緊張がほぐれ、傷口の痛みが、戻ってきたのと、
先生の、口から、喜んでいいのかな?っていう言葉を、頂いて、
私は、泣いてしまいました。

「ミミちゃん、覚えておいて。」
何でしょうか?
「今日、見てもらいたい、いついつ見てもらいたいという、御客様に対して、
絶対、断っちゃだめよ。」
はい。
「一人の御客様を、断るという事は、10人の御客様を、失う事なのよ。」
はい。  何という、心構え。   私は、その教訓に、震えました。

占い師という、仕事は、御客様、依頼者様を、常に、立てて、優先しなくては、
いけないのだと、
身を持って、痛感した御言葉でした。 
本当に、弦先生は、どれだけ、献身的な方だったのかと、
その日、帰りの電車の中で、涙・涙で、暮れました。

派手な衣装に包まれた弦エニシ、その本心は、素朴な「人のことだけ思う」弦エニシに接した、一日だった。


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