私のアガスティアの葉・体験記 Prophecies of Agastya of my own    (体験記1・2・3・4・5・6はリンクしてください。)

体験記1 アガスティアの葉という単語を耳にするの巻

体験記2 ツアーを組む「言い出しっぺ」になるの巻

体験記3 1996年 5月15日 出発当日の巻

体験記4 マドラス到着・・・お香の薫りにカレーの匂い、インド式時間の中で。

体験記5 さて、あの、あの、アガスティア解読館へ・・・

体験記6 アガスティア解読館で。初日

早速、葉っぱ探しの作業がスタートしました。私達のメンバーは、女性陣・男性陣と、分かれ、それぞれのナディリーダーと、通訳の方が付きました。

待合室にはただ茣蓙が敷かれてあるだけです。ドカドカっと荷物をひろげ、直に座るしかありません。

ミネラルウォーターのボトルが差し入れされました。

水は貴重です。体が、水しか受付けないというのが本音。

さて、まず、第一番目の「指紋」を押す作業です。

女性は、左手の親指の指紋を押します。

赤いスタンプ台にペトっと指をのせ、特殊な紙?に3回押しました。たった、これだけです。これが、初日でした。

次の日も、同じように片道3時間かけて、カンチプラムへ向かいました。2日目の作業は、「待つ」ということだけです。私は、待合室の壁に背をもたれかけ、座ることにしました。外は、ゴンゴンと太陽が照り、時々通る、車やバイクの砂ぼこりが舞います。気分転換に戸外へ出ても、私は、5分と外には立っていられませんでした。

この写真は、Jパオが撮った2階からの風景です。椰子の実ジュース売りの屋根です。

「待つ」というのが、こんなに時間を味わえるものなのかー・・・とシミジミしました。時間の緩やかな帯が目に見える様でした。日本での日常では、決して体験できません。

まだ、この頃、骨折したところの痛みが残っていたので、

長時間、同じ姿勢で座っているのは、辛かったな・・・

解読館に着いた時、ひとまず、全員の葉が見つかったという情報が入りました。昨日の、指紋を押した順番に「葉が見つかりましたよ。」と呼ばれるのかな、と思っていたら、バラバラでした。最初は、確か-、S朗さんがリーデイングルームに呼ばれました。私は、選手を送りだすかのように、「頑張ってねー。」と言ったのを覚えています。

この時、読んでいただく「葉」というのは、第1カンダムといって、人生を小説のあらすじのように、大まかに死期まで、年齢ごとに書いてある表紙のようなものです。

これだけでも、人生において重要なポイントは、記されているので、十分過ぎるくらいです。

私は、3時間くらい経ってから、やっと呼ばれました。

「はい!」と大きな声で返事をし、奥の別棟のリーデイングルームに入りました。ガタガタと、

録音ウォークマンとメモ帳を握る手が震えました。

小さな部屋に、シヴァ神の絵が飾られていて、木製のテーブルセットがありました。

本で拝見したあのナデイリーダーさんが座っていました。テーブルには、3つのアガスティアの葉の束が置いてありました。「あっ、この中に私の葉があるの?!」ガタガタガタ、手の震えが一層と増しました。

「私の葉」が入っているだろうという束を

一つ一つ、つきとめて行きました。

それは、「イエス」「ノー」の質問形式で、ナデイ・リーダーが葉の内容を読んでいき、

私に質問していきます。古代タミール語で書かれた葉の内容をナデイ・リーダーがタミール語で読み、タミール語から、日本語へ熟練の通訳の方が訳してくれました。

一つの束で約20の質問です。その内、一つでも、「現在の私」に該当しないものがあったら、その葉は違う人のものです。 

「母は生きている」「イエス」・「貿易の仕事をしている」「ノー」

「外国人と結婚する予定」「ノー」・「妹がいる」「イエス」・・・えんえんと質問が続く。

私の葉は、3束目でやっとありました。ある一枚の葉の質問がその当時の私に全部一致していました。ナデイ・リーダーに「あなたの葉の束が出てきましたよ。」っと部屋に呼ばれて、1時間は経過していました。

「こ・こ・これが、私の事が書いてある葉。どなたが、書いてくれた文字なんだろう?」

 

遠い遠いインドで、遥か遥か昔に、「今の私」が書き記されていた・・・

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※ 「続き」を作成中です。完成次第、更新します。

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