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弦エニシ先生の、お墓参りをしました
2026年3月7日(土)に、鎌倉の報国寺に、行って来ました。
故 弦エニシ先生が、眠るお墓に、やっと、お参りする事が、出来ました。 小高い場所で、こんなに眺めが、良い所で、眠ってらっしゃるんだーって、思いました。
「先生、来ましたよ。」 私は、それしか、言えませんでした。 お墓に来れた事で、感無量になってしまって、それしか言えませんでした。
先生のお骨にお参りしたのは、江古田斎場が、初めてでした。まだ、戒名もつかず、期間が、来たら、出されてしまう・・・
そして、やっと、お墓に入れましたね。戒名も、ついていましたね。10年、かかりましたね。
墓石に、お名前が、彫られていました。「京估」というのが、本名だと、知りました。京子ではなくて、京估です。
お寺で、購入したお線香を、あげました。風が、強かったので、なかなか、お線香に、火が回らず、苦戦しました。
前回、書いた「百合の花を、持って・・・」は、実践出来ませんでした。ごめんなさい。(毎年、命日には、私の鑑定室の、祭壇には、献花しています。)

今現在、先生の、お客様だった方々を、何名か、引き継いで鑑定していますよ。
私は、私だけの実力ではなくて、弦エニシという、お名前の、後ろ盾が、あったので、今、こうして、存在しているんだと、
シミジミ感謝しています。
原宿フォーチュン カフェ スターに、在籍していたから、その時の、特殊訓練が、
今の私、ミミ月丘を、作ってくれたんだと、有り難く思っています。
本当に、先生には、どう感謝しても、しきれない、思いが、こみ上げて来ました。風が、私の涙を、乾かしてくれたのが、幸いでした。
今頃になって、私は、弦エニシ一門の弟子の中で、愛されていた方なんじゃないかなって、思いました。
「先生、死んでる場合じゃないですよ。 先生に、占って戴きたい御方が、たくさん、いらっしゃいますよ。」
冗談ではなく、ホントに、そうですよ。あの、独特の、風貌と、キャラで、ズバリの鑑定は、弦エニシにしか、出来ませんから。
私の脳裏に焼きついている、鑑定中の、先生の御姿は、今も、生きています。
私は、占い師として、先生を、越える事は、出来ないでしょう。そもそも、土台が、違うし、私は、占いに対して、徹底していないし。(半端ではないですよ。)
だけど、占い師として、完璧だった、弦エニシを、後世に、残す為に、書き続ける事は、私の出来る事なので、書き続けます。
私は、本当に、恵まれていました。すぐ傍に、最高峰の、「師」が、いて、学べて、教えて戴いて、生かしてもらえて・・・本当に、幸せです。
先生、63歳で、お亡くなりになったのですね。 今(2026年3月現在)、私は、57歳です。先生の、57歳は、どんなでしたか?
名残惜しいけど、お墓をあとにしました。 たぶん、先生の、魂は、ここに、ずっといないと思ったんですよ。
桐ケ谷斎場で、お骨を、納めたのを、思い出してしまいました。 これは、現実では無い、何? だけど、先生は、お亡くなりになってしまった。そのお骨・・・
お線香の香りが、目に沁みました。
☆後日談☆
このお墓参りから、1週間も経っていない夜に、弦エニシ先生が、私の夢に出て来ました。いつものように、タロットカードのスプレッドを、解説していました。
私が、お墓参りをしている姿を、見ていて下さったのかしら? 絶対にそうだって、思った夢から覚めた朝でした。