弦エニシ&me  その14  その13へ  その15へ その16へ

 あの日の事。
2011年8月5日 13時18分。私の、携帯電話が、鳴った。原宿スターからの、着信だった。
何だろ? しばらく、出勤していないから、本当に、何だろ?って、思った。
出てみた。受付の、Sちゃんだった。「あのですね、あのですね。」 Sちゃんの、混乱が、すぐに、分かった。
「どうしたの?」  「弦エニシ先生、いっばい、体に、注射、点滴の、針を、刺されていて・・・ね」
「だから、何が、あったの?」私も、焦る。 「弦先生、亡くなりました。」   Sちゃんの、ボロボロの声。

私は、顔面が、強張るというより、何をすればいいのか?分からず、とんでもない、顔に、なってしまった。
「今から、そっちに、いくよ。」 渋谷の宇田川町に移転した、フォーチュン カフェ スターに、行く決心をした。
調度、その時、私の娘、当時小学校5年生の、夏休みの宿題を、一緒に、リビングで、していた時だった。
「ごめん、ママ、これから、東京に、行ってくるね。」 初めて、娘を、一人にしてしまった日でも、あった。
(私の家は、二世帯住宅なので、家の中に、誰か大人はいます。)

黒のペイズリー柄のワンピースに、サンダルを、履いて、向かいました。
守谷駅の駐車場に着くまで、私は、車を、運転していましたが、何がなんだか、分からなかったです。
混乱していました。
そして、TXに乗り、ちょっと、冷静になりました。
でも、何を、考えたんでしょうねー。電車に、乗りながら、
「弦先生、バッグ、三個で、いいですから、形見分けしてくれませんか?」って、思ってしまいました。
いざ、渋谷へ、到着。スターに、一目散で、駆けつけました。
同僚の、Tちゃんが、鑑定中でした。
そーっと、奥の席に座り、終わるのを、待っていました。長くかかりそうなので、
受付のSちゃんが、「巻いて、巻いて」っと、Tちゃんに、相図を、送っていました。

「行きますか・・・」 私達、三人が、最初に口にした言葉です。

そして、下の階の、姉妹店のトリンに行きました。Kさんという、
ベテラン占い師さんが、Tちゃんを、
抱きしめて、泣いていました。そして、トリンのオーナーの、
弦先生の彼氏だったO先生っと、
合流し、早速、タクシーに乗り込みました。
O先生、Tちゃん、Sちゃん、私の、四人で、東京都済生会中央病院
 810号室へ、向かいました。個室でした。
さっきまで、弦エニシが、生きていたお部屋。
病室には、洋服、本、プラセンターの薬の瓶、
コロコロローラー、
カップ、ハブラシ、洗顔剤、
お化粧品、などなど、生活感そのものが、残っていました。
ベッドの後も、横たわっていたそのままに、なっていました。
御遺体は、既に霊安室に運ばれていて・・・

この日のうちに、お部屋を、きれいにしなくては、いけないので、持ち帰る物、処分してもらう物と、分けました。
私は、洋服を、主に、持ち帰りました。重かったー。帰りのTX内で、へとへとでした。
でも、病院内で、使っていた消耗品は、残していったつもりでした。歯磨きや、お化粧道具とかね・・・

右の写真は、実際、弦先生が、使っていた鏡と、マンションの鍵を、通していた蝶のストラップです。

帰りのTXで、唇が渇いたので、ポーチの中、リップクリームを、探しました。
そうしたら、銀色に光る、口紅が、目にとまりました。
うわー、さっき、病室に、置いてきた、弦先生が、病室で、使っていた口紅が、あるー!!!
テレポーテーション
ぞっと、するというより、キャっ、と、嬉しくなりました。
弦先生、一緒に、私の自宅に、帰りましょう。

そして、その夜、病室から、引き取って来た、洋服を、私のベッドに、敷き詰め、一緒に、寝ました。
「先生、淋しくないですよ♡」って、ずっと、夜中、目が覚める度に、言っていました。
夜明け・・・弦先生の、体臭の匂いと、消毒の様な匂いが、私の鼻を、かすめました。
弦エニシ  本当に、この世を、去ってしまった。

公式な死因の病名は、白血病です。
でも、本当は、脳梗塞で、亡くなりました。血管が、ボロボロだったので、がくっと、脳の血管が、切れたようです。

弦エニシ先生、私を、来世では、先生の、子供にして下さいね・・・弟子ではなく。


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