弦エニシ&me     その39  その40

初リサイタルの話

弦エニシは、シャンソン歌手でも、あったのです。御友達に、有名なシャンソン歌手の方も、いらっしゃいました。
歌は、御上手でしたよ。 高音の透き通った御声でした。
元彼氏の、0先生が、楽器、例えば、フルート、バイオリン、ピアノ、太鼓等、全ての、
楽器に、長けていた方なので、生前、リサイタルは、多数あったと、思います。 その時々の、写真が、たくさん、残っています。

 その第一回目が、1998年、10月に、裏原宿のオシャレな中華レストランで、行われました。
最初、チケットの売れ具合など心配したりしました。 DMを、送ったり、御電話を頂いた時にお知らせしたり、PRは、頑張りましたね。
そして・・・結局は、満席に、なりました。弦エニシの人徳です。


さぁ、リサイタルの始まりです。  スローな、ナンバーから、スタート。
アップテンポな曲も、ノリノリで、披露していました。
御客様も、美味しい、飲み物と、御食事をしながら、素敵に歌う、弦エニシに、酔っていました。
私は、ステージの裾にいました。もう、感激と、嬉しさと、「そうね。そうね。」っと、うなずきながら、観ていました。
弦先生の表情は、、緊張と、満足気と、半々でした。

My Funny Valentain を、歌ってくれました。  この歌は、ジャズですね。  これ、私のリクエスト曲。

やっぱり、緊張していたのですよね。
曲の合間の時、ステージを、降りる時、ドキドキしている弦エニシが、私達の元に、走ってきました。 ハヤっ・・・!
「ミミちゃん、喉、乾いた。ハラハラ、するわー!」っと、突進して来ました。  うわっ・・・!
舞台の裾で、見守っていた私の飲みかけのビールグラスを、奪って、いきなり、飲んでしまいました。 ゴクゴク、キュー! びっくり、唖然!
とにかく、緊張していたのだと、思います。

この日、私の主人の、弘二君も、一緒に、行きました。彼にとっては、占い業界の独特の、雰囲気は、とっても、
楽しいものに、見えた様です。 場慣れできない彼が、可愛らしかったです。何でも、対応出来る人なのに・・・

さて、リサイタルが、終わり、たくさんの花束が、弦先生に、贈られました。
弦エニシは、満足げに、「有難う」「有難う」っと、いっぱい涙を、溢しながら、御客様、一人、一人に、御声を、かけていました。
私も、その御姿を、観ながら、ちっちゃく、拍手していました。

さて、お片づけの時が、きました。たくさんの、荷物?を、原宿スターに、持ってかえらないと、いけません。
身長が184cmある弘二君が、いろいろと、手伝ってくれました。背が高いのは、いいですね。
看板や、花束など、どっさり、持ち帰りました。
傾斜が急な階段があるスターの店舗へ・・・やっと、着きました。
原宿スターの、内装を見た彼は、「これ、倉庫?」っと、言ったのが、印象的でした。
ふふふ、笑えるかなー・・・、原宿スターに、お越しになった方にしか、この風景は、分からないですよ。
私も、どう、お店の内装、風景を、表現していいか、分かりません。
・・・っというか、言えない。 物が、いっぱい。・・・その一言かしら。  

やっぱり、似るのかしら。私の、書斎も、当時の原宿スターの様子に近い状態です。
これも、弦エニシ先生の影響かしら。 まぁ、いいか。

初リサイタルの時の、衣装は、現在、私の鑑定室に、飾ってあります。
竹の子族・・・知っている方は、ツウですね。この、ピンクのスパンコールのドレス、竹の子族の服ですよ。


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