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かなり昔の話
やっと人気が出たのに休養した巻

私が、24歳の時でした。原宿スターに、いろんな雑誌の方が、取材に訪れ、それは、全て、
弦先生が、有名な御陰でした。私も、その恩恵にあやかっていた一人でした。
本当に、恐れ 多い事ですよ。弦先生に、今、何ともその時の恩恵に対して、お礼を、言っていいか、何にも、言葉が、
浮かびません。ひたすら、有難うございます。それだけです。

私も、幾つかの、有名な雑誌に、単品で、載る事があり、仕事量も、倍増どころか、もう、てんてこ舞いでした。
睡眠時間も、当時、ぼぼ3時間でしたね。仕事の後、遊びに行くにも、忙しかったですから。
もちろん、体調も、崩しました。昼・夜が、分からなくなりました。
それと同時に、実家から、「いい加減、実家に、戻って来なさい!」という、強制的な命令が、有り、
泣く泣く、大好きな東京から、茨城へ、引っ越す時期が、重なりました。ドタバタの、半年が、私を襲いました。
そのとき、私は、気の小さいせいか、胃を痛む日々を、送っていました。実は、「胃潰瘍」を、患っていました。
毎日、朝、起きると、吐き気をもよおし、、胃液を吐く生活でした。
とうとう、精密検査を受けました、その結果、かなり、ヤバイ 「胃潰瘍」でした。

原宿に通うのも、辛いし、
その当時は、地元の水海道駅から、常総線に乗り、取手駅から、常磐線で、日暮里駅、そこから、山の手線で原宿駅。
約2時間の片道通勤でした。

もう、限界と思い、弦先生に、「休養」を、お願いしたことが、あります。
その時、原宿スターのお店には、先生と、私しか、いなかったのを、覚えています。
すみません、胃が、痛いのと、何か、限界を、感じてしまっているので、しばらく、お休みを、頂いても、よろしいでしょうか?
「日曜日、来ないの?」
はい・・・すみません、体が、限界で・・・それに。
「ミミちゃん、お休みを、取りましょう。貴方、まだ、若いもんね。」
約、8ヶ月でした。私が、お休みを、頂いたのは。

「宿題だしていい?」
何ですか?宿題とは?
「ミミちゃん、タロットカードしか、出来ないのよね。何か、統計的な占い方法を、学んで帰ってきてちょうだい。」
統計的な占い術ですか? 
私には、タロットカードと感だけが、頼りだったのですが・・・

そして、とうとう、地元に、帰り、どうしようと、毎日、近所の同級生が作る有名な、「アンパン」を、昼に食べながら、考えていました。
体重が、一挙に、7キロ増えました。
そんな時、父のライオンズクラブ仲間で、M建築会社の社長の奥様のEさんが、「気学」に詳しく、
そして、仕事として活用しているという、情報が、入りました。
「これだ」って、思いました。早速、父に頼んで、Eさんに、気学を、教えて下さらないかと、お願いしました。
そしたら、あっさりと、毎週木曜日だったら、午後、時間が取れるという事なので、私は、Eさんとの、個人レッスンに、
通う事にしました。さすが、建築会社の社長夫人の御自宅でした。御自宅に、当時としては、珍しい「サウナ」が有りました。

「九星気学」に関して大御所の、日本易学協会相談役を、務めた故・遠藤尚里氏・著の、
教科書を使い学びました。

弦先生には、封書にて、統計学を学べる場所と、指導者がいる事、そして、私の健康状態、実家の状況など、
茨城県に帰って来て、初めての夏に、報告しました。お伝えする事で、私は、満足でした。


でも、弦先生は、全て記憶していましたね。
こんな、チッポケな弟子の私が休養中、何をしているのか、何を、吸収してるのか、いつも、心配して下さったようです。
それは、私の元同僚や、元彼氏様から、後日、話を伺いました。

本当に、お会い出来ない所で、弦先生に、御心配を、かけしてしまって、申し訳なかったです。

「ミミちゃん、もう、そんなに、深刻に、ナラナイ、ナラナイ。ミミちゃん、もっと、キャはー、楽しく、思い出しましょうね。」

弦先生、気学は、面白くて、夢中になれますね。今、吉方位取り等、実践していて、楽しいですよ。
行く先で、友達が出来たりします。仲間が増えていますよ。 情報交換は、大切ですね。

そして、いつか、一緒に、先生と、温泉に入れたらなって、思います。
先生の本命星七赤と私の五黄の共通の吉方位は、今年は、三方位(南方位は△)もあるので、行ける所、たくさん、有りますよ。
今度、御連れしますからね。
「御部屋に内風呂が有る処にしてね。」
わかりました。  今度こそ、一緒に、行きましょうね。


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