弦エニシ&me   その48 その49へ

隔離された時・・・ハーミット Hermit の思い出
   
原宿フォーチュン カフェ スターの主宰・弦エニシは、ある時期、渋谷区内に三ヶ所の鑑定場所を、持っていました。
母体のオンデンビル2Fのスター、竹下通り入口のパレフランスの一室、そして、宇田川町のUビル4Fのハーミット。
残念な事に、パレフランスの個人鑑定室は、私は、入った事がありませんでした。小じんまり部屋だったよって、聞いています。
たぶん、素敵な香水の香りに包まれていた御部屋だったのかなって想像出来ます。

1991年6月  集英社 コスモポリタンという、雑誌に二週連続で、私の記事が掲載された時が有りました。
其の当時は、雑誌の影響が、とても大きかったので、原宿スターへの問合わせや、鑑定予約が凄かったです。
そこで、弦先生は、御配慮して下さったのでしょうね。
当時のまだ、20代そこそこの、私は、何にも、「お店の事」「同僚の事」「御客様の事」考えていませんでしたからね。
原宿スターで、私だけの御客様を、鑑定する事を、別の場所に構えて下さるっていう御配慮でした。
その当時の私には、全然分からない、御配慮でした。

6月20日頃だったかな・・「ミミちゃん、今日一日、来週も、その次の週も、ミミちゃんは予約で一杯だから、
トリンの上のハーミットで、鑑定してくれない?」
何で、渋谷のトリンの上にある部屋で、鑑定・仕事しなくちゃいけないのーって、叫びたくなりました。
トリンの上の部屋・・・確かに、トリンに応援に行った時、上の階に部屋が有るのは知っていました。
でも、何の部屋かは、知りませんでした。
実は、当時、弦先生が、個人的鑑定室として、借りていた部屋でした。

受付のSちゃんが、4か月程、私の鑑定予約に関しては、ハーミットで、鑑定致しますっという内容を、案内してくれました。
弦先生の指示通り、御予約を頂いた御客様を、毎週日曜日に、約4か月一人ボッチで、ハーミットで、鑑定しました。
ハーミットは、ペルシャ絨毯が、敷き詰められていて、奥の方の物置きに、弦先生の彼氏様が、使っていた太鼓や、
弦楽器が、置かれていました。
助かった事に、私は、タバコが、大の苦手なので、ハーミットの室内では「禁煙」これが、最初に掲げたポップて゜した。
原宿スターでは、「灰皿」の要望があると、提供していましたからね。
ごめんなさい、喫煙なさる方には、私の文章は、きついですよね。
ハーミットでは、好きな様に、過ごせました。

でも、孤独でしたね。御客様と、触れ会っているのは、有難かったです。私も、バリバリ、若かったでしたから、それなりに、盛り上がりましたよ。
しかし、同僚に会えなかったり、弦先生に、挨拶出来ない直行直帰は、淋しかったですね。

お約束通り、約4か月で、又、原宿スターで、同僚と一緒に、仕事を出来るようになりました。
ほっと、しました。
あの時の、ハーミットの部屋の映像は、忘れません。落ち着いた雰囲気の部屋でしたよ。
その部屋は、後の、最後の「原宿フォーチュン カフェ スター」が、存在していました。2011年10月迄。

日曜日の朝、私は、今も思い出します。「あー、原宿に行かなくっちゃ。」っと、身支度していた時を・・・
その当時のハイヒールが、靴箱で泣いています。
 

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